そろそろ年賀状が気になってきた。が、まだ買ってもいない。せめてデザインだけでも。




2004ソスN12ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 07122004

 ケータイのあかりが一つ冬の橋

                           坪内稔典

ましたっ。パソコンを詠んだ句は散見するようになったが、携帯電話の句はまだ珍しい。俳人には高齢者が多いので、装置そのものを持っていないか、持っていても若者のように頻繁に使ったりはしないからだろう。要するに、あまり馴染みがないのである。加えて、携帯電話を「携帯」と略すことにも抵抗がある。句に「携帯」と詠み込んだだけでは、厳密に言えば何を携帯しているのか、意味不明になってしまう。そこで作者は「携帯」とせずに、片仮名で「ケータイ」とやった。この表記だと、読者にも当今流行のアレだなと見当がつく。さて、寒くて暗くて長い「冬の橋」。人通りも少なく、閑散としている。作者は、その橋を少し遠くから眺めている恰好だ。と、そこへ「ケータイ」を持った人が通りかかった。男か女かもわからないけれど、小さな液晶画面のバックライトだけが、明滅するかのように動いてゆく様がうかがえる。いったい、こんなところでこんな時間に、誰が何のために何を発信しているのだろうか。蛍の光ほどの淡い「あかり」のゆっくりとした移動を見ているうちに、しかし作者は持ち主である人間のことを次第に忘れてしまい、なんだか「あかり」だけが生きて橋を渡っているかのように思えてくるのだった。これぞ「平成浮世絵」の一枚だなと、読んだ途端に思ったことである。『俳句年鑑・2005年版』(2004・角川書店)所載。(清水哲男)


December 06122004

 手術同意書に署名し十二月

                           中岡毅雄

まれた月が「十二月」だから、句になっている。他の「十一月」や「十月」では句にならない。こういうところが、俳句の面白さだ。一年の最後の月なので、普段の月にはない雑事をこなさなければならないのだが、もう一つには一年を無事に締めくくりたいという意識も頭をもたげてくる。家内安全、無病息災……。今年一年を何事もなく、つつがなく全うしたい。全うして年を越したい。もう少しで、それを完遂できる。単なる時間経過の一標識にすぎない十二月ではあるけれど、心的にはそうした意識が、いわば伝統的に植え付けられており、むずむずと動き出す。だから、風邪でもひくと他の月よりも嫌な感じがする。それでなくとも多忙な仕事などに差し支えることもあるが、それよりも無事越年願望に障るからだ。だが年末であろうと、風邪を含めて病気は待ってはくれない。借金取りとは違うのである。ましてや「手術」ともなれば、その緊急性と病院のシステム上の問題もあるので、年明けまでずらすことはできない。病気は仕方がないとしても、選りに選って十二月に手術とは……。みずからの不運を突き放してはみるものの、なおそれがこの月に降り掛かってきたのは口惜しい。作者の心のうちでは、「手術同意書」を書くことによって、今年をスムーズに乗り切れないことへの諦念のようなものが、ようやく定まったかもしれない。逆に、余計に口惜しさが募ったかもしれない。句の表面的な変哲のなさが、かえって読者の心を騒がせる。「俳句研究」(2004年5月号)所載。(清水哲男)


December 05122004

 反論のありて手袋はづしけり

                           西村弘子

語は「手袋」で冬。これは、ただならぬ雰囲気ですぞ。喧嘩ではないにしても、その寸前。と、掲句からうかがえる。作者自身のことを詠んだのかどうかは知らねども、句を見つけた俳誌「鬼」(2004/No.14)に、メンバーの野間一正が書いている。「弘子さんは、意見をはっきり述べ納得するまで自説を曲げない。一方、頭脳明晰、理解早く、後はさばさば竹を割ったようなさっぱりとした性格の、大和撫子である」。いずれにしても、こういうときの女性特有の仕草ではあるだろう。男が「手袋」をはずしたって、別にどうということはない。ほとんど何のシグナルにもならない。しかし、女性の場合には何かが起きそうな気配がみなぎる。状況としては、相手と一度別れるべく立ち上がり、手袋をはめたのだが、立ち上がりながらの話のつづきに納得できず、もう一度坐り直すという感じだ。周囲に知り合いがいたら、はらはらするばかり。知り合いが男の場合には、口出しもならず、ただおろおろ。決して喧嘩ではないのだけれど、私も周囲の人として遭遇したことは何度かあって、疲れている場合には内心で「いい加減にしろよ」とつぶやいたりしていた。でも、女性がいったんはめた手袋をはずすだけで、その場の雰囲気が変わるのは何故だろうか。それだけ、女性と装いというのは一心同体なのだと、いかにも知ったふうな解釈ですませてもよいのだろうか。ううむ。『水源』(2004)所収。(清水哲男)




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