昨日半袖、今日コート。これからは「小春日」ならぬ「小夏日」の季語を用意しないと。




2004ソスN12ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 06122004

 手術同意書に署名し十二月

                           中岡毅雄

まれた月が「十二月」だから、句になっている。他の「十一月」や「十月」では句にならない。こういうところが、俳句の面白さだ。一年の最後の月なので、普段の月にはない雑事をこなさなければならないのだが、もう一つには一年を無事に締めくくりたいという意識も頭をもたげてくる。家内安全、無病息災……。今年一年を何事もなく、つつがなく全うしたい。全うして年を越したい。もう少しで、それを完遂できる。単なる時間経過の一標識にすぎない十二月ではあるけれど、心的にはそうした意識が、いわば伝統的に植え付けられており、むずむずと動き出す。だから、風邪でもひくと他の月よりも嫌な感じがする。それでなくとも多忙な仕事などに差し支えることもあるが、それよりも無事越年願望に障るからだ。だが年末であろうと、風邪を含めて病気は待ってはくれない。借金取りとは違うのである。ましてや「手術」ともなれば、その緊急性と病院のシステム上の問題もあるので、年明けまでずらすことはできない。病気は仕方がないとしても、選りに選って十二月に手術とは……。みずからの不運を突き放してはみるものの、なおそれがこの月に降り掛かってきたのは口惜しい。作者の心のうちでは、「手術同意書」を書くことによって、今年をスムーズに乗り切れないことへの諦念のようなものが、ようやく定まったかもしれない。逆に、余計に口惜しさが募ったかもしれない。句の表面的な変哲のなさが、かえって読者の心を騒がせる。「俳句研究」(2004年5月号)所載。(清水哲男)


December 05122004

 反論のありて手袋はづしけり

                           西村弘子

語は「手袋」で冬。これは、ただならぬ雰囲気ですぞ。喧嘩ではないにしても、その寸前。と、掲句からうかがえる。作者自身のことを詠んだのかどうかは知らねども、句を見つけた俳誌「鬼」(2004/No.14)に、メンバーの野間一正が書いている。「弘子さんは、意見をはっきり述べ納得するまで自説を曲げない。一方、頭脳明晰、理解早く、後はさばさば竹を割ったようなさっぱりとした性格の、大和撫子である」。いずれにしても、こういうときの女性特有の仕草ではあるだろう。男が「手袋」をはずしたって、別にどうということはない。ほとんど何のシグナルにもならない。しかし、女性の場合には何かが起きそうな気配がみなぎる。状況としては、相手と一度別れるべく立ち上がり、手袋をはめたのだが、立ち上がりながらの話のつづきに納得できず、もう一度坐り直すという感じだ。周囲に知り合いがいたら、はらはらするばかり。知り合いが男の場合には、口出しもならず、ただおろおろ。決して喧嘩ではないのだけれど、私も周囲の人として遭遇したことは何度かあって、疲れている場合には内心で「いい加減にしろよ」とつぶやいたりしていた。でも、女性がいったんはめた手袋をはずすだけで、その場の雰囲気が変わるのは何故だろうか。それだけ、女性と装いというのは一心同体なのだと、いかにも知ったふうな解釈ですませてもよいのだろうか。ううむ。『水源』(2004)所収。(清水哲男)


December 04122004

 おでん煮る玉子の数と頭数

                           奥村せいち

語は「おでん」で冬。「煮込み田楽」の略称(って、ご存知でしたか)。昔の関西では「関東だき」と言っていたけれど、いまではどうだろうか。句意は明瞭。どこの家庭でも、おでんの大きな具は人数分だけ煮る。当たり前と言えば当たり前だ。が、ここに着眼して詠んだ作者の気持ちには、この当たり前を通じて、庶民の暮らしのつつましさ全体を表現したいという意図がある。おそらくは、かつての食糧難時代を経験された方だろう。いまでこそ食べようと思えばいくつでも食べられる玉子だが、当時はとても高価で、なかなか口に入らなかった。現在「頭数」分だけ煮るのは、むろん食糧難を思い出してのことではないけれど、しかしどこかに過剰な贅沢に対する躊躇の意識があって、そうしていると言えなくもない。食糧難の記憶は、体験者個々人のそれを越えて、社会的なそれとして残存しているような気がする。だからまず現在の家計にはほとんど影響しない玉子でも、依然として一人一個ずつなのではなかろうか。作者のような目で生活を見つめてみると、他にも同じようなことが発見できそうだ。個人が忘れ去ったこと、あるいは体験しなかったことでも、社会が代々受け継いで覚えているという証が……。掲句に、そういうことを考えさせられた。俳誌「航標」(2004年12月号・「今年の秀句五句選」欄)所載。(清水哲男)




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