November 21 2004
亡き友は男ばかりや霜柱
秋元不死男
季語は「霜柱(しもばしら)」で冬。言われてみれば、私の場合もそうだ。「友」の範囲をそんなに親しくなかった同級生や同世代の知り合いにまで広げてみても、やはり「男ばかり」である。女性は長生きという定説が、私などの狭い交友範囲でも実証されている恰好だ。句の「霜柱」は、自分より早く死んで行った男友達の(散乱した)墓標に擬しているのだろうか。寒い朝にじゃりっと立っている彼らも、日が昇ってきてしばらくすると、あたりをべとべとにして溶けてゆく。すなわち、霜柱の消え方は決して潔くはない。この世に大いに未練を残して、いやいや消えて行くように思える。ここまで読む必要はない句なのだろうが、少なくともあのじゃりじゃりと凍った感じは、人の心をいわば毛羽立たせる。したがって、作者のような感慨も自然に浮かんできたのだろう。子供のころは、ときに長靴の買えなかった冬もあって、霜柱の道をゴム草履に素足で登校したこともある。私だけじゃない。そんな子は、たくさんいた。当時を振り返れば、しかし貧しかったことを嘆くよりも、元気だったなあと思う気持ちのほうが、いまは強い。「子供は風の子」というけれど、本当だ。子供の生命力は凄いんだ。そんなゴム草履仲間も、もう子供とは言えなくなった大人へのトバグチで、何人かが霜柱が溶けるように死んでいった。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)
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