颱風の後は地震だ。2004年まさに異常なり。被害に遭われた方、お見舞い申し上げます。




2004ソスN10ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 24102004

 秋冷の竹を眺むるあとずさり

                           平林恵子

語は「秋冷」(「冷やか」に分類)。晩秋になると、朝夕は冷え冷えとしてくる。多くの植物が葉を落とし枯れてゆく季節でもあるわけだが、ひとり竹のみが青々と枝葉を繁らせる。「竹の春」という季語もあるほどで、若竹も生長してこの青に加わるから、竹山などは周囲を睥睨するが如きの存在感を示すようになる。私の故郷は竹の多いところだったので、子供の頃から実感していた。そんな竹林か竹やぶか、作者は凝視しようとして、思わずも「あとずさり」したというのである。あとずさりしたのは、全体をよく見ようという意識が働いたことにもよるだろうが、竹群れの圧倒的な存在感を前にして、むしろ精神的に後ろに退かされたという想いのほうが強いのだと思う。だから、実際にはあとずさりをしていないのかもしれない。しかも、季は秋冷の候だ。澄んだ大気の中でくきやかな竹たちは、ますます軒昂にくきやかさを増すようであり、折りからの冷えに縮みがちな作者の身体との取り合わせが絶妙だ。「秋冷」は「あきびえ」ないしは「しゅうれい」と発音できるけれど、この場合には凛とした竹の姿を思いあわせて、音読みの「しゅうれい」でなければならない。掲句は句集の表題作であり、そう思ってから奥付を見たら、やはり「しゅうれい」とあった。『秋冷の竹』(2004)所収。(清水哲男)


October 23102004

 思ひ出してはあそぶポケットの団栗と

                           加藤楸邨

語は「団栗(どんぐり)」で秋。本来はクヌギの実のことを言ったようだが、一般的には似たような木の実の総称になっている。どこかに出かける途中で、気まぐれにいくつか団栗を拾ってポケットに入れた。出先でときどき「思ひ出しては」、ポケットに手を入れてまさぐりながら楽しんでいる。「あそぶ」とあるけれど、取り出して遊んだのではないだろう。たとえば会議中などに、大の男が素知らぬ顔で上着のポケットに手を入れ、懐かしい感触を楽しんでいる様子が想像されて微笑ましい。茶目っ気よりも、なんだかしいんとした情感を感じさせる句だ。「ポケットの団栗と」の「と」が、そう感じさせるのだ。ところで、ドングリは食べられる。縄文人の主食だったという説もあるくらいで、敗戦後の食糧難の時代には婦人雑誌などが盛んに奨励していたようだ。私も当時団子にした物を食べたことはあるが、飢えていたにもかかわらず、そんなに美味いものではなかったような気がする。いまでもたまに見かけるドングリのクッキーなどは、小麦粉の割合が格段に多いのだろう。ドングリの風味だけを味わうのならそうすべきで、100パーセントドングリ粉だけでは第一パサパサしてしまうし、とても風味だの風流だのとは言っていられないはずである。『加藤楸邨句集』(2004・芸林21世紀文庫)所収。(清水哲男)


October 22102004

 にわとりも昼の真下で紅葉す

                           あざ蓉子

て、「にわとり」は「紅葉」しない。「昼間」には「真下」も真上もない。それを承知で、作者は詠んでいる。あえて言うのだが、こうした句を受け入れるかどうかは、読者の「好み」によるだろう。わからないからといって悲観することはないし、わかったからといって格別に句を読む才に長けているわけでもあるまい。何度も書いてきたように、俳句は説得しない文芸だ。だから、読みの半分くらいは読者にゆだねられている。そこがまた俳句の面白いところであり、どのような俳人もそれを免れることはできない。従って、掲句が読者に門前払いされても、致し方はないのである。でも、私はこの句が好きだし、理由はこうだ。まず浮かんでくるのは、しんとした田舎の昼の情景である。すなわち「昼の真下」とは、天高くして晴朗の気がみなぎる地上(空の「下」)の光景だろう。そこに一羽の老いた「にわとり」がいる。このときにこの鶏は、間もなく死に行く運命にあるのだが、その前に消えてゆく蝋燭の火が一瞬鮮やかな光芒を放つように、生き生きと生命の炎を燃やしているように見えた。その様子を周囲の鮮やかにしてやがて散り行く「紅葉」になぞらえたところが、私には作者の手柄だと写る。くどいようだが、この読みも当然私の好みのなかでの話であり、作者の作句意図がどうであれ、このように私は受け取ったまでで、俳句の読みはそれでよいのだと思う。俳誌「花組」(第24号・2004年10月刊)所載。(清水哲男)




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