また雨の予報。百年後の日本は地球温暖化により雨国になるらしいが、その兆しかなア。




2004ソスN10ソスソス8ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 08102004

 運動会昔も今も椅子並ぶ

                           横山徒世子

語は「運動会」で秋。近所の学校の運動会を、よくのぞく。べつに知人の子や親戚の子が出ているわけでもないのに、つい徒競走スタートのピストルの音や歓声などに誘われて足が向いてしまうのだ。三十分くらい子供たちの元気な動きを見て、満足して帰ってくる。きびきびした身体の動きは、見いるだけで気持ちがすっきりする。が、掲句を読んで「はっ」と思ったことに、もしかすると私が運動会を見に行くのは、そのようなこともあるけれど、もう一つは郷愁を感じたいためかもしれないということだった。騎馬戦や棒倒しは危険なので止めようとかいった競技の変遷はあるにしても、「昔も今も椅子並ぶ」で、運動会ほどにデザインの変わらない学校行事は、他に無いのではあるまいか。入学式や卒業式のスタイルは大きく変わってしまったし、学芸会はほとんど姿を消し、遠足などもあまり遠くまでは歩かなくなった。残るは運動会のみというわけで、あの空間には誰もが子供だった頃の様子が、そのまま保存されていると言ってよいだろう。椅子の並べ方も同じなら、来賓のためのテントも同じだし、流れるマーチも昔と変わらず、運動場に引かれた白線だってそっくりだ。郷愁を誘われるのも、無理はない。この句は端的に、そのあたりの事情を述べている。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


October 07102004

 柚子味噌を載せてをります飯の上

                           吉田汀史

語は「柚(子)味噌」で秋。味付けをした味噌のなかに、柚子の表皮をすって混ぜ合わせる。その昔、ものの弾みから、本格的なふろふき大根をつくったことがあり、そのときにはむろん「柚子味噌」もちゃんとつくった。たまたま美味かったけれど、以後は良い大根もなかなかないし、何よりも面倒臭いので、それっきりになっちゃった。かれこれ二十年も前の話である。という具合に、ふつう柚子味噌は料理の調味料に使うものだ。それを作者は「飯の上に載せて」いると言うのである。つまり、ご飯のおかずというのか、ご飯を美味しく食べるためにそうしているのだ。こりゃ、いいなあ。と、すぐに思った。というのも、戦後の混乱期に何もおかずがなかったとき、仕方なく味噌や塩を「飯」といっしょに食べた体験があるからだ。単なる味噌に比べれば、柚子味噌は上等中の上等だから、当時を思い出して咄嗟にそう反応したのだった。作者にも同様の体験があるのだろうが、しかし、句の書き方はどこかでちょっと照れていて微笑ましい。飽食の時代に、わざわざ粗食を選んだのではない。おそらく君たちは知るまいが、これは別に奇異な食い方じゃないんだ、本当に美味いんだからと、いささか開き直り気味の照れ隠しと読んだ。詠めそうで、詠めない句。その前に、誰もなかなか、こういう句を詠もうとはしない。俳誌「航標」(2004年10月号)所載。(清水哲男)


October 06102004

 青電に間に合ふ星の別れかな

                           伊丹竹野子

語は何だろうか。字面だけからすると、無季句である。が、句意に添って情景を想像すれば、「星の別れ」とは「星空の下の別れ」であり、星空が最もきれいな季節である秋の「星月夜の別れ」と読めなくもない。よって、当歳時記では異論は承知で「星月夜」に分類しておく。ところで私がこの句に目を止めたのは、もはや死語ではないかと思われる「青電」が使われていることにもよる。車体の青い電車のことじゃない。昔の市電などで、行先を示す標識を青色の光で照明したところからそう呼ばれたもので、最終電車である赤電(車)の一つ前の電車を言った。もう、若い人にはわからない言葉だろう。帰宅を急いで運良く最終電車の前の電車に乗れると、何となくほっとする。赤電は切なく侘しいが、青電にはそれがない。後続の赤電との時間差がたいして無いのだとしても、とにかく青電に乗ると、得をしたような気分になるものだ。まだそんなに遅い時間じゃない、もっと遅く赤電で帰る人もいるのだから……。と、とくに句のように別れがたい人と別れてきた後では、不意に散文的な現実に呼び戻されて、自己納得するというわけだ。「星」の幻想と「青電」の現実。私たちは両者の間を、行ったり来たりしながら暮らしている。俳誌「ににん」(16号・2004年9月30日刊)所載。(清水哲男)

[訂正します]数人の読者から「星の別れ」は季語「星合(七夕)」の項目にあるとのご指摘をいただきました。ありがとうございます。後出しジャンケンみたいですが、実はそれも考えました。でも、「電車」ゆえ「実際の人の別れ」ととったほうが面白いと思って書いたわけです。しかし歳時記にある以上、私の解釈は強引すぎたかと反省しています。よって、「間違った」解釈はそのままに、掲句を「七夕」の項に移動させることにしました。




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