新幹線四十年を記念して特急「つばめ」が走った。TVで見て懐しさ一入。ああ食堂車。




2004ソスN10ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 03102004

 ぬす人に取りのこされし窓の月

                           良 寛

寛といえば、なんといっても歌と詩と書だ。俳句(発句)は入らない。良寛作と伝えられる句はたかだか百句程度だが、そのなかにもオリジナルかどうか疑わしいものがかなりあるという。図書館で見つけた新潟市の考古堂から出ている『良寛の俳句』(写真と文・小林新一)を開いたら、良寛の父親は名の知れた俳人(俳号・以南)であったが、良寛にとって俳句は遊びだったと村山砂田男が書いていた。「芭蕉を俳聖とするならば、一茶は俳人というべきであり、良寛は他の芸術同様、枷(かせ)のない無為の境地において俳句を楽しんだ俳遊である」。さて、その「無為な境地」の人の家に泥棒が入った。前書に「五合庵へ賊の入りたるあとにて」とあるから、入られたのは良寛が五十代を過ごした草庵だ。昨年の初夏に八木忠栄の案内で大正初期に再建された五合庵を見に行ったけれど、そのたたずまいからして、またそのロケーションからして、およそプロの泥棒がねらうような庵ではない。落語なら「へえ、泥棒に入られたのか。で、何か置いていったか」てな住居なのだ。村山さんは蒲団を持っていかれたと書いているが、何か根拠があるのだろうか。が、何にせよ奪われた側の良寛は、さすがの泥棒も「窓の月」だけは盗みそこねたなと、呑気というのか闊達というのか、とにかく恬淡としている。ここらへんが、良寛と我ら凡俗の徒の絶対の差であろう。句の味としては一茶に似ている感じがするが、一茶と良寛とは全くの同時代人だった。それにしても、泥棒に入られて即一句詠むなんぞは、やはり「俳遊」と呼ぶしかなさそうである。(清水哲男)


October 02102004

 生きて会ひぬ彼のリュックも甘藷の形り

                           原田種茅

語は「甘藷」で秋。「さつまいも」のことだが、句では「いも」と読ませている。戦後も間もなくの混乱期の句だ。消息のわからなかった同士が、偶然に出会った。食料難の時代、作者は食べ物を求めて農村に買いだしに出かけた帰途とうかがえる。背負ったリュックには、やっとの思いで手に入れた甘藷が詰まっているのだ。したがって会った場所は、電車の中か、それとも駅頭あたりだろうか。お互いに相手を認めての第一声は、「久しぶりだなあ」というよりも「おお、生きてたか」というのが、当時の自然な挨拶だろう。よかったと手を取りあわんばかりの邂逅にも、しかし、ちらりと相手のリュックに目が行ってしまうのは、これまた当時の自然の成り行きというものだ。どうやら彼のほうも甘藷を手に入れたらしいことが、リュックの「形り」(「なり」と読むのかしらん)でわかったというのである。これで彼のおおよその暮らし向きもうかがえ、どうやら似たようなものかと思う気持ちは、平和な時代には絶対にわいてこなかったものである。その哀れさと苦さとが、会えた喜びの陰に明滅していて、何とも切ない。この後、二人の会話はおそらく弾まなかったろう。そそくさと連絡先を伝えあうくらいで、それぞれが家族の待つ我が家へと急がねばならなかったからだ。この世代も、若くて七十代後半を迎えている。甘藷もそうだが、ただ飢えをしのぐためにだけ食べた南瓜など、見るのもイヤだという人もいる。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


October 01102004

 鉢植に売るや都のたうがらし

                           小林一茶

語は「たうがらし(唐辛子)」で秋。真紅に色づいた唐辛子は、蕪村の「うつくしや野分の後のたうがらし」でも彷佛とするように、鮮やかに美しい。だが、蕪村にせよ一茶にせよ、唐辛子を飾って楽しむなどという発想はこれっぽっちも無かっただろう。ふうむ、「都」では唐辛子までを花と同格に扱って「鉢植」で売るものなのか。こんなものが売れるとはと、いささか心外でもあり、呆れ加減でもあり、しかしどこかで都会特有の斬新なセンスに触れた思いも込められている。むろん現在ほどではないにしても、江戸期の都会もまた、野や畑といった自然環境からどんどん遠ざかってゆく過程にあった。したがって、かつての野や畑への郷愁を覚える人は多かったにちがいない。そこで自然を飾り物に細工する商売が登場してくるというわけで、「虫売り」などもその典型的な類だ。戦後の田舎に育った私ですら、本来がタダの虫を売る発想には当然のように馴染めず、柿や栗が売られていることにもびっくりしたし、ましてやススキの穂に値段がつくなどは嘘ではないかと思ったほどだった。でも一方では、野や畑から隔絶されてみると、田舎ではそこらへんにあった何でもない物が、一種独特な光彩を帯びはじめたように感じられたのも事実で、掲句の一茶もそうしたあたりから詠んでいると思われた。(清水哲男)




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