この意味不明看板も今日で終了。来月は写真家・藤倉明治さんの登場です。お楽しみに。




2004ソスN9ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 3092004

 菊膾淡き一夜の人なりし

                           佐藤惣之助

語は「菊膾(きくなます)」で秋。菊の花びらを茹で、三杯酢やからしあえで食べる料理。食用の菊は東北地方に多く栽培されており、はじめて山形に行ったとき、八百屋の店先で大量に売られているのを見て「なんだろう」と思った記憶がある。こういう句を作らせると、さすがは歌謡曲(「湖畔の宿」「人生の並木道」「緑の地平線」など)で名声を馳せた作者だけあって、実に巧いものである。「淡き」は「菊膾」と「一夜の人」両者に掛けられており、いま膳に出された菊膾を前にして、かつて愛した女性との甘美な思い出にしばし浸っている図だ。「一夜の人」とはまことに思わせぶりな言い方だが、そこが惣之助らしいところで、二人の間に何があったか無かったかなどという下衆のカングリは無用である。淡さも淡し、これ以上無い二人の浅きえにしが、菊膾の風合いを見事に言い当てている。それだけでよいのである。惣之助は少年期から俳句に親しみ、二十代で高村光太郎、福士幸次郎、千家元麿らと詩を書きはじめたが、現在では詩人としての評価はほとんど無いと言ってよい。象徴派の詩人であった西条八十がそうであるように、あまりにも大衆歌謡で有名になりすぎた結果だろうか。全集はおろか全詩集もないことを思うと、なんだか痛ましい気がする。ちなみに阪神タイガースの応援歌「六甲颪」も、この人の作詞だ。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


September 2992004

 広報の隅まで読んで涼新た

                           伊藤白潮

語は「涼新た(新涼)」で秋。「広報」は区や市など自治体の発行している広報誌のことだが、これを「(隅から)隅まで」読む人はなかなかいないだろう。購読紙に広告といっしょに挟まれて配達される地域が多いので、一瞥もされないままにビラと同じ運命をたどる「広報」も多いはずだ。それを作者は「隅まで」読んだというわけだが、特にその号に注目したというのではなく、おそらくは気まぐれで読みはじめ、ついつい最後までページをたどってしまったということのようだ。読んだのはたまたま手に取ったときの気分が良かったからであり、その気分の良さは猛暑が去った後の「涼」がもたらしたものである。つまり「新涼」の心地よさから読みはじめて、読み終えると、今度は何か普段では経験したことのない達成感が生まれて、そこでまたあらためて快適な「涼新た」の実感がわいてきたということである。「新涼」に誘われて行為した結果、なおのこと「涼新た」の感を深くした。そういう構成だと思う。だからこのときに「涼新た」と「新涼」は厳密には同義ではなく、「涼新た」には作者の読後という時間が投影されている。要するに既成の季語の概念に作者個人のアクションを加え重ねているわけで、なんでもないような句に見えるかもしれないが、作者が素知らぬ顔をして、実は季語と遊んでいるところに掲句の楽しさがあると読んだ。『ちろりに過ぐる』(2004)所収。(清水哲男)


September 2892004

 月の雨ふるだけふると降りにけり

                           久保田万太郎

宵は十五夜。仲秋の名月だが、東京あたりの雲行きでは、まず見られそうもない。全国的にも今日は天気が良くなくて、天気図から判断すると、見られるとしても北海道や北陸の一部くらいだろうか。季語は「月の雨(雨月)」。雨降りで、せっかくの名月が見られないことを言う。雨ではなく曇りで見えなければ「無月」となる。しかし雨月にせよ無月にせよ、本義ではそれでも空のどこかが月の光りでほの明るい趣きを指すようだ。これには、楽しみにしていた十五夜が台無しになるのは、いかにも残念という未練心が見え隠れしている。そこへいくと掲句の雨は、もう明るいもヘチマも受け付けないほどのどしゃぶりだ。これほど降ればあきらめもつくし、いっそ気持ちがすっきりするじゃないかと、作者は言うのである。いわゆる江戸っ子の竹を割ったような気性が、そう言わせているのだろう。いつまでぐじぐじしていても、何も始まらねえ。早いとこ、さっさと布団を引っ被って寝ちまおうぜ。とまではさすがに言ってはいないけれど、そこに通じる一種被虐的な快感のような心持ちは感じられる。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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