プロ野球史上初のスト。これを契機に労使とも体質改善に努力せよ。楽しい野球を頼む。




2004ソスN9ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 1892004

 包丁に載せて出されし試食梨

                           森田六合彦

語は「梨」で秋。俳句を読んでいると、ときたま懐かしい光景に出会うことがあり、これもまた俳句の楽しさだ。俳句の文芸的な味わいはもとより大切だが、一方で時代のスナッブ写真的機能も大切である。この句は、私の少年期を思い出させてくれた。作者のいる場所などはわからないが、懐かしいなあ、初物の梨などはこうやって「どうだ、食べてみな」と大人が食べさせてくれたものだ。一般的に刃物を人に向けるのはタブーではあるが、皿に盛るほどのご馳走ではないし、量も少ないのでくるくるっと剥いてざくっと切って、「お一つどうぞ」の感じで「包丁」に載せて差し出したものだ。とくに梨のように水分の多い果実は、手から手へ渡すよりも、包丁に載せて出したほうがより新鮮で清潔な感じがあったためだと思う。まさに「試食」ならではの光景である。まさかねえ、こういうことが俳句になろうとは露ほども思ったことはなかったけれど。たぶん作者は、包丁に載せて差し出されたのがはじめての体験だったのではなかろうか。だから、ちょっとぎくりとして、作句したのに違いない。「試食」という状況説明をつけたのが、その証拠だ。私たちの世代なら、試食と言われなくてもそう思うのが普通だからである。ま、そんなことはどうでもよろしいが、とにかくとても美味しそうですね。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


September 1792004

 秋の暮大魚の骨を海が引く

                           西東三鬼

とに有名な句だ。名句と言う人も多い。人影の無い荒涼たる「秋の暮」の浜辺の様子が目に見えるようである。ただ私はこの句に触れるたびに、「秋の暮」と海が引く「大魚の骨」とは付き過ぎのような気がしてならない。ちょっと「出来過ぎだなあ」と思ってしまうのだ。というのも、若い頃に見て感動したフェリーニの映画『甘い生活』のラストに近いシーンを思い出すからである。一夜のらんちきパーティの果てに、海辺に出て行くぐうたらな若者たち。季節はもう、冬に近い秋だったろうか。彼らの前にはまさに荒涼たる海が広がっていて、砂浜には一尾の死んだ大魚が打ち上げられていたのだった。もう四十年くらい前に一度見たきりなので、あるいは他の映画の記憶と入り交じっているかもしれないけれど、そのシーンは掲句と同じようでありながら、時間設定が「暮」ではなく「暁」であるところに、私は強く心打たれた。フェリーニの海辺は、これからどんどん明るくなってゆく。対するに、三鬼のそれは暗くなってゆく。どちらが情緒に溺れることが無いかと言えば、誰が考えても前者のほうだろう。この演出は俳句を知らない外国人だからこそだとは思うが、しかしそのシーンに私は確実に新しい俳味を覚えたような気がしたのである。逆に言うと、掲句の「暮」を「暁」と言い換えるだけでは、フェリーニのイメージにはならない季語の狭さを呪ったのである。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)などに所載。(清水哲男)


September 1692004

 新宿の炸裂もせず秋ひでり

                           正木ゆう子

書林から『正木ゆう子集』(セレクション俳人・20)が出た。かねてから読みたいと思っていた第一句集『水晶体』(1986・私家版)から全句が収録されているので、私的にも嬉しい刊行だ。この句も『水晶体』より選んだ。「秋ひでり」は「秋日和」ではなく、むしろ残暑厳しい「秋暑し」の謂いだろう。当歳時記では「残暑」に分類しておく。まったくもって新宿という街は、いつ出かけても雑然を越えて猥雑であり、田舎の友人などは頭が痛くなるから嫌いだという。「地鳴り」という言葉があるが、新宿には「人鳴り」とでも言うべき独特の喧噪がある。街全体がうわあんと唸っているかのようで、風船のようにどこかをひょいと突ついてやれば、確かに「炸裂」してもおかしくはない雰囲気である。だが、この街は炸裂しない。猥雑な空気の中にもどこか忍耐強い緊張感があって、何が起きてもどどっと崩壊したりはしないのである。この句は、そんな街の緊張感を描いていて秀逸だ。「秋ひでり」はなおしぶとく暑く、しかしその暑さに捨て鉢になる寸前でじっと耐えているような新宿の空気のありようを、一息に伝える力を感じた。「炸裂」という抽象的な言葉もよく生きているし、作者の青春性も漂ってくる。ついでに言えば、渋谷や原宿、六本木などという繁華街ではこうはいくまい。これらの街はまだまだ薄っぺらで、新宿のような多重層的とでも言うべき緊張感はないからである。(清水哲男)




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