近くのコンビニ。早朝に行くとパンや弁当を買う男たちで混み合う。なんだかなあ……。




2004ソスN9ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 1692004

 新宿の炸裂もせず秋ひでり

                           正木ゆう子

書林から『正木ゆう子集』(セレクション俳人・20)が出た。かねてから読みたいと思っていた第一句集『水晶体』(1986・私家版)から全句が収録されているので、私的にも嬉しい刊行だ。この句も『水晶体』より選んだ。「秋ひでり」は「秋日和」ではなく、むしろ残暑厳しい「秋暑し」の謂いだろう。当歳時記では「残暑」に分類しておく。まったくもって新宿という街は、いつ出かけても雑然を越えて猥雑であり、田舎の友人などは頭が痛くなるから嫌いだという。「地鳴り」という言葉があるが、新宿には「人鳴り」とでも言うべき独特の喧噪がある。街全体がうわあんと唸っているかのようで、風船のようにどこかをひょいと突ついてやれば、確かに「炸裂」してもおかしくはない雰囲気である。だが、この街は炸裂しない。猥雑な空気の中にもどこか忍耐強い緊張感があって、何が起きてもどどっと崩壊したりはしないのである。この句は、そんな街の緊張感を描いていて秀逸だ。「秋ひでり」はなおしぶとく暑く、しかしその暑さに捨て鉢になる寸前でじっと耐えているような新宿の空気のありようを、一息に伝える力を感じた。「炸裂」という抽象的な言葉もよく生きているし、作者の青春性も漂ってくる。ついでに言えば、渋谷や原宿、六本木などという繁華街ではこうはいくまい。これらの街はまだまだ薄っぺらで、新宿のような多重層的とでも言うべき緊張感はないからである。(清水哲男)


September 1592004

 大欅祭に晴れて小鳥来る

                           小林之翹

語は「小鳥来る」で秋。当歳時記では「渡り鳥」に分類。最近、森澄雄さんからいただいた随想集『俳句遊心』(2004.ふらんす堂)に載っていた句だ。この句について、森さんは次のように書いている。「原句は『祭日晴れて』であった。『祭日』は単なる祝日ではなく、その地方の祭りの日ととって『祭に』とした。そうすることによって、祭りの日の好晴とともに大欅の姿もはっきりするし、一句の空間も豊かになると考えたからだが、作者の意図は祭日を祝日の一日として、この率直な表現の明るさにも心ひかれ、なお忸怩たる想いも残っている。作者及び読者はいずれをよしとされるだろうか」(「臍峠」)。句としては、私は森さんの「添削句」のほうが格段に良いと思った。「祭日晴れて」でも悪くはないが、いささかピントが甘いからだ。ただし、「祭日晴れて」と「祭に晴れて」では、まったくシチュエーションが違うので、添削句は作者の意図を歪曲していると言わざるを得ない。私は文芸作品への添削それ自体を認めないが、百歩譲っても、添削は作者の意図を生かす方向でなされなければならないだろう。掲句の場合、作者が地元の祭りを詠んでいないことは明らかだ。したがって添削を受けた作者にとって、この句はなんだか他人の作のように感じられるはずである。森さんの「忸怩たる想い」も、おそらくはそのあたりから来ているのだと思う。当サイトの読者諸兄姉は、それこそ「いずれをよしとされるだろうか」。(清水哲男)


September 1492004

 障子貼る母の手さばき妻の敵

                           草間時彦

語は「障子貼る」で秋。といっても障子貼りは冬支度だから、もう少し先、晩秋の季語だ。当歳時記では便宜上、紙を貼る前の「障子洗ふ」に分類しておく。これはまた、言いにくいことをずばりと言ってのけた句だ。二世代同居の家庭では、嫁と姑の微妙な心理的確執はなかなか避けられまい。両者とも表面的には仲が良さそうに見えても、内実は大変なのだという句である。障子を貼る母には、おそらく何の屈託も無いだろう。見事な「手さばき」で手際よく次々に貼っていく。息子の作者としても、見惚れるほどの巧みさなのだ。だがしかし、妻には欠けているこうした見事な技術が、実は「妻の敵」として「母」を位置づけてしまう哀しさがある。障子貼りに限らず、気にしはじめればキリがないほどに、こういうことが日常的にいろいろと起きている。妻がまさか義母を「敵」などと言うはずもないのだけれど、はっきり言えばそういうことだと、作者は憮然としているのである。しかも上手な解決法などありはしないから、一つ一つをやり過ごしてゆくしかないのだ。子供の頃から母は自分の「味方」であり、現在は妻もむろん「味方」である。だからといって気楽なものだと言えないところに、この句の苦さがある。ぼんやりしているようでいて、男だってけっこう細かいところを見て感じているということだ。『中年』(1965)所収。(清水哲男)




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