政府が民放含む160機関に有事の協力を義務づけ。「大本営発表」体制が現実のものに。




2004ソスN9ソスソス8ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 0892004

 台風直撃肺活八〇〇で怺えんとす

                           名取 等

年の日本列島は、うんざりするほど台風に見舞われつづけている。直撃を受けた地方の人は「うんざり」どころではないのだが、あまり直撃されない東京などでも、通過中は大気全体が異常な湿り気を帯びていて、体調にも少しく影響してくる。ましてや作者のように「肺活(量)八〇〇」程度で、しかも「直撃」されたとあってはたまるまい。強風に抗してただ呼吸をするだけでも、大変な苦しさなのだ。しかし、仕事には出かけなければならず、激しい雨風のなかに「怺(こら)えんと」出てゆく決意の句だ。自然の猛威にさらされるのは、いわゆる健常者ばかりではない。作者のような人もいるし、他のハンデを背負った人もいる。ニュースで報道される被害者のなかには、そういう人たちも当然含まれているのだろうが、そうした個人的事実は伝えられない。受け取るほうも、つい「ワン・オブ・健常者」と思ってしまい、そこまでは考えが及ばないのである。作者の意図はともかく、掲句はそうしたことを私たちに認識させてくれるという意味でも、貴重な一句ではなかろうか。ちなみに、それこそ健常者(18歳以上の成人)の肺活量の推測正常値は次の通りだ。男性={27.63−(0.112×年齢)}×身長。女性={21.78−(0.101×年齢)}×身長。作者の「八〇〇」は、なんと小さく、か細い数字であることよ。『現代俳句歳時記』(1989・千曲秀版社)所載。(清水哲男)


September 0792004

 何がここにこの孤児を置く秋の風

                           加藤楸邨

浮浪児
のページを八年ほど書いてきて、その折々の選句を振り返ってみると、結局私の関心やこだわりは先の大戦と敗戦以降の数年間に集中していることがわかる。年代でいえば、少年時代だ。たとえ時世に無関係なような花鳥風月句でも、どこかであの時代の何かに関わっている。いつまでも拘泥していてはならじと、時にジャンプしてはみたものの、またあの頃にいつしか回帰してしまっている。偶然に生き残った者のひとりとしての私……。この意識からは、何があってももう抜け出せないだろう。昨日、話題の『華氏911』を見に行ってきたけれど、いまひとつ入りきれなかったのは、マイケル・ムーア監督の位置がブッシュ大統領と同じ超大国の地平上にあったからだ。この映画は超大国の長としてのブッシュを実に痛快に告発しているのだが、弱小国イラク民衆の「何がここに」の呟きのような疑問に応える姿勢はさして無いと言ってよい。いや、理念としてあるのは認められるが、映像的には希薄だったとするほうが正確か。敗戦国の一国民たる私は、その点にいささかの消化不良を起こしたのだった。ま、しかし、これはあくまでも「アメリカ映画」なのである。掲句は、戦後一年目くらいの東京・上野の光景だ。引用した林忠彦の同時期の写真を見れば、戦争を知らない人でもいくばくかは作者の苦しい胸の内がおわかりいただけるだろう。この二人、その後はどうしたのだろうか。いまでも元気でいるだろうか。『野哭』(1948)所収。(清水哲男)


September 0692004

 台風の去つて玄界灘の月

                           中村吉右衛門

者は初代の吉右衛門。俳号は秀山、虚子その他の文人と親交があった。台風一過。というと、たいていの人は白昼の青空をイメージするのに、あえて夜の空を詠んでみせたところがニクい。おぬし、できるな。それも、普段でも波の荒いことで知られる玄界灘だ。台風が去ったとはいっても、真っ暗な海はさぞかし大荒れだろう。その空にぽっかりと上がった煌々たる月影。さながら芝居の書割りのごとくに鮮明で、しかるがゆえに壮絶にして悲愴な情景と写る。句に、嫌みはない。「玄界灘」と聞くと、私はうろ覚えながら戦後の流行歌の一節を思い出す。「♪どうせオイラは玄界灘の波に浮き寝のカモメ鳥」というフレーズがあって、メロディだけは全部覚えている。この歌は、親友の兄貴が好きだった。彼は下関港から出漁する漁師だったが、実家のある私たちの村にやってきたときに、当時はやった素人のど自慢会などに出ては、この歌を陶酔したような表情で歌ったものだった。美男にして美声だったから、村の若い女性に人気があったようだ。ずいぶん年上の人に見えていたけれど、おそらく二十歳そこそこだったのだろう。友人も、そんな兄貴を誇らしく思い自慢していた。が、彼は嫁さんももらわないうちに、それこそ玄界灘で船が転覆して、あっけなくこの世から去ってしまった。訃報の季節は覚えていない。もしも彼が生きていたら、この句の月の見事さを陶酔したような表情で語ってくれそうな気がする。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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