いよいよオリンピックも終わりますね。四年に一度か……。次の北京まで元気でいよう。




2004ソスN8ソスソス29ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 2982004

 椿は実に黒潮は土佐を離れたり

                           米沢吾亦紅

語は「椿の実」で秋。冬に咲く花の鮮やかさとは裏腹に、褐色の椿の実は地味である。濃い緑の葉陰に隠れるように、ひっそりと実っている。通りがかりにたまさか気がつくと、もうこんな季節かと、あらためて月日の流れの早さを感じてしまう。一方で、日本海流とも言う「黒潮」の流れは雄大にして、かつ悠久の時を感じさせる。この繊細と雄渾との対比が、句のミソだろう。しかも作者は、めったに起きない「土佐」の黒潮大蛇行を目撃している。大蛇行とは、原因は不明だそうだが、黒潮の流れが陸地からはるか遠くに離れて行く現象を言う。これまでは、13年に一度くらいの割合で起きてきた。となれば、身近に残ったのは椿の実に象徴されるはかなさであり、ますます秋特有の寂しさが深まったことだろう。実は現在、この珍しい大蛇行現象が起きているのをご存知だろうか。その影響で、紀伊半島東岸から東海にかけては潮位が通常より数十センチ程度上昇し、高潮が起きやすい状態になっており、気象庁では警戒を呼びかけている。だから、今年の台風は余計に危険なのだ。また漁業にも影響が出ていて、東海沖ではシラスやサバが不漁であり、逆に御前崎沖では通常は取れないカツオが取れているという。『花の歳時記・秋』(2004・講談社)所載。(清水哲男)


August 2882004

 音もなく星の燃えゐる夜学かな

                           橋本鶏二

語は「夜学」で秋。大阪の釜が崎に隣接する工業高校(定時制)に三十三年間、国語教師として勤務した詩人の以倉紘平に『夜学生』(編集工房ノア)という著書がある。体験をもとに書かれたドキュメンタリーだ。今日、大多数の人は、当たり前のように昼間の高校に通い卒業していく。私もそのひとりだが、読み終えて非常な衝撃を受けた。一言でいえば「夜学生(夜間高校生)」にこそ社会の矛盾が集中しているのであり、しかも彼らはそれを具体的に引き受けて日々生きていく存在であるということに……。しかし、著者は苦学生である彼らを、ことさらに美化してはいない。困難な条件の下で驚くべき向学心を発揮する者がいるかと思えば、どうしようもないダメ生徒やワルもいる。数々のエピソードは、そんな彼らの姿を生き生きと描き出し、それがそのまま世の中の矛盾を炙り出していく。そしてまた、社会が常に変動していくように、彼らのありようも変化を止めることはない。たとえば著者は「昔のワルは少なくとも正直だった」という。人を殴ったら、それを認める勇気があった。が、現在のワルは認めない。「センコウ、証拠を見せろ」としらを切りつづける。全体的に、向学心も薄れてきたようだ。「かつて、夜学は、人間教育の場であった。人生の困難を背負った生徒たちが、ぶつかり合い、励まし合い、助け合って、最もよき人生の旅を経験するところに意義があった」。そんな時代の生徒たちの生き方には、卒業後も感動的なものがある。とくに連帯感の強さは、全日制高校出身者の比ではない。それが、なぜ、今のように多くの生徒が「しらけ」てしまったのか。ここには、戦後社会の進み方の何か大きな錯誤がある。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


August 2782004

 朝蜩ふつとみな熄む一つ鳴く

                           川崎展宏

語は「蜩(ひぐらし)」で秋。名前通りに夕刻にはよく鳴くが、夜明け時にも鳴くので「朝蜩」。朝方は鳴く数も少ないから、何かの具合で句のように「ふつとみな熄(や)む」ことがあるのだろう。瞬間「おや」と訝った作者の耳に、再び「一つ」が鳴きはじめたと言うのである。いくら哀調を帯びているとはいっても、雨や風の音などと同様に、日常的には蜩の鳴き声に耳そばだてて聞き入る人はいない。よほど激しくない限り、鳴いているのかどうかも定かではないのが普通の状態だ。だが、そうしたいわば自然音が、句のように突然はたと途絶えたときには、途端に人の耳は鋭敏になる。天変地異を感じたというと大袈裟だが、どこかでそれに通じるところのある自然の破調には、同じ自然界に生きるものとして、本能的に身構えてしまうからなのだと思う。したがって掲句は、蜩のある種の生態をよく捉えている以上に、人間本来の生理的な感覚をよく活写定着し得ている。蜩の句というよりも、蜩を詠んで人間を捉えた句とでも言うべきか。再び鳴きはじめた「一つ」を聞いたときにこそ、作者はほっとして傾聴したであろうし、いとおしいような哀感を覚えたことだろう。朝の蜩か……、遠い少年期に聞いたのが最後になってしまっている。『観音』(1982)所収。(清水哲男)




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