優勝旗、津軽海峡を渡る。よくやった。両軍投手ヨレヨレの決勝戦だったが、堪能した。




2004ソスN8ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 2382004

 鮒ずしや食はず嫌ひの季語いくつ

                           鷹羽狩行

語は「すし(鮓・鮨)」で、暑い時期の保存食として工夫されたことから夏とする。「寿司」とも表記するが、縁起の良い当て字だ。句は「彦根十五句」のうち。蕪村に「鮒鮓や彦根の城に雲かかる」があるように、昔から「鮒ずし」は滋賀の郷土料理として有名である。作者は鮒ずしを「食はず嫌ひ」で通してきたのだが、彦根への旅ではじめて口にしてみて、意外な美味を感じたのだろう。誰にも、こういうことはたまに起きることがある。納豆の食わず嫌いが、ひとたび口にするや、たちまち納豆好きになった人を知っている。そこで作者は、ふと連想したのだ。季語についても、一般的に同じことが言えるのではあるまいか。少なくとも自分には「食はず嫌ひ」の季語があって、それも数えてみたわけではないけれど、けっこうありそうだ、と。「季語いくつ」は自分への問いかけであると同時に、読者へのそれでもある。言われてみれば、誰にもそんな季語のいくつかはあるに違いない。私どもの句会(余白句会)で、谷川俊太郎が「『風光る』って恥ずかしくなるような季語だよね」と言ったのを覚えているが、これなども食わず嫌いに入りそうだ。いや他人事ではなくて、私にもそんな季語がある。これからの季節で言うと、たとえば「秋の声」だなんてそれこそ気恥ずかしくて使えない。若い頃に物の本で「心で感じ取る自然の声」などという解説を読んだ途端に、とても自分の柄じゃないと思ったからだ。ところで、読者諸兄姉の場合は如何でしょうか。俳誌「狩」(2004年9月号)所載。(清水哲男)


August 2282004

 釣堀が見え駅に立つ人が見え

                           宮津昭彦

語は「釣堀(つりぼり)」で夏。句の「駅」は東京JR市ヶ谷駅、「釣堀」は市ヶ谷駅下のそれと特定できる。「市ヶ谷フィッシングセンター」という名称だ。休日ならばともかく、天気の良い日だとウィークデイでも釣り糸を垂れる人でにぎわっている。リタイアしたらしき高齢者が多いかというと、さにあらず。けっこう若い人も釣っているから、いったい彼らはどんな身分の人々なのだろうかと訝ってしまう。片や駅のホームには、鞄を抱えた忙しそうなサラリーマンたちの姿があるので、余計に釣堀の人たちが目立つのである。句はこのような情景を見たままスナップ的に詠んでいて、ふっと微笑を誘われる。編集者時代には印刷所に行くのにこの駅をよく利用したので、通るたびに一度でいいから真っ昼間に呑気に釣ってみたいものだと思っていたが、ついに果たせなかった。仕事をサボって釣るには、あまりにも目立ちすぎる場所なのだ。何人かの東京に長い友人に聞いてみたが、そう思ったことはあっても、誰も行ったことがないという。ネットで調べてみたら、次のようにあった。「JR市ヶ谷駅を降りると目の前に広がる、のどかな釣堀。貸し竿は100円、エサ代80円と低料金で道具が揃うので手ぶらで遊びに行ける。50cm以上もある大物のコイを狙うもよし、「ミニフィッシング」で金魚釣りを楽しむもよし。また釣れた魚は1時間につき1尾持ち帰ることができる」。「俳句研究」(2004年9月号)所載。(清水哲男)


August 2182004

 鯉ほどの唐黍をもぎ故郷なり

                           成田千空

語は「唐黍(とうきび)」で秋。玉蜀黍(とうもろこし)のこと。私の田舎(山口県日本海側)では、南蛮黍(なんばんきび)と言っていた。作者は青森の人だが、手に重い大きな唐黍を畑でもいで、やはり故郷はいいなあと満悦している。こんなに大きくて充実したものは、他の地方ではめったに収穫できまいと、誰にともなく自慢している。このときに「鯉ほどの」という形容がユニークだ。植物が動物のようであるとはなかなか連想しにくいけれど、句のそれには無理が無い。まずはずしりと手に余る唐黍の大きさは鯉のように大きいのであり、とびきりのイキの良さや新鮮さもまた鯉のようであり、なによりも豪華な感じが鯉に似通っているというわけだろう。それこそ大きな鯉を釣り上げたときのような喜びが、句をつらぬいている。作者の故郷が鯉の有名な産地かどうかは知らないが、かつて上杉鷹山が米沢藩の濠で鯉を飼育したように、動物性蛋白質の乏しかった山国では鯉の養殖が盛んな地方が多かった。つまり、山国を故郷とする人々にとっては、鯉は特別に珍重さるべき魚なのであり、それだけに豪華のイメージは強いのである。句の「鯉ほどの」には、そうした山国の庶民生活の歴史感情も込められていると読めば、この純朴とも言える故郷賛歌がいっそう心に沁み入ってくるではないか。『現代俳句歳時記』(1989・千曲秀版社)所載。(清水哲男)




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