悼。懐かしい「大学受験ラジオ講座」「百万人の英語」のJ.B.ハリスさん死去。享年87。




2004N821句(前日までの二句を含む)

August 2182004

 鯉ほどの唐黍をもぎ故郷なり

                           成田千空

語は「唐黍(とうきび)」で秋。玉蜀黍(とうもろこし)のこと。私の田舎(山口県日本海側)では、南蛮黍(なんばんきび)と言っていた。作者は青森の人だが、手に重い大きな唐黍を畑でもいで、やはり故郷はいいなあと満悦している。こんなに大きくて充実したものは、他の地方ではめったに収穫できまいと、誰にともなく自慢している。このときに「鯉ほどの」という形容がユニークだ。植物が動物のようであるとはなかなか連想しにくいけれど、句のそれには無理が無い。まずはずしりと手に余る唐黍の大きさは鯉のように大きいのであり、とびきりのイキの良さや新鮮さもまた鯉のようであり、なによりも豪華な感じが鯉に似通っているというわけだろう。それこそ大きな鯉を釣り上げたときのような喜びが、句をつらぬいている。作者の故郷が鯉の有名な産地かどうかは知らないが、かつて上杉鷹山が米沢藩の濠で鯉を飼育したように、動物性蛋白質の乏しかった山国では鯉の養殖が盛んな地方が多かった。つまり、山国を故郷とする人々にとっては、鯉は特別に珍重さるべき魚なのであり、それだけに豪華のイメージは強いのである。句の「鯉ほどの」には、そうした山国の庶民生活の歴史感情も込められていると読めば、この純朴とも言える故郷賛歌がいっそう心に沁み入ってくるではないか。『現代俳句歳時記』(1989・千曲秀版社)所載。(清水哲男)


August 2082004

 曼珠沙華人ごゑに影なかりけり

                           廣瀬直人

語は「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」で秋。植物名は「ひがんばな」。別名を「死人花(しびとばな)」とも言うが、これは葉が春に枯れることから「葉枯れ」を「わかれ」と訛って、人と別れる花の意としたらしい。こうなると、もう立派な判じ物だ。ついでに「捨子花」の異名もあって、こちらは「葉々(母)に別れる」の謂いだという。いずれにしても、昔から忌み嫌う人の多い花である。だから墓場によく見られるのか、逆に墓場のような場所によく自生していたから嫌われるのか。句の情景も、おそらく墓場ではないかと思う。都会の洒落た霊園などではなく、昔ながらの山国の田舎の墓場だ。霊園のように区画もそんなに定かではないし、どうかするとちゃんとした道もついていない。周辺には樹々や雑草が生い茂り、曼珠沙華が点々と燃えるがごとくに咲いている。聞こえてくるのは蝉時雨のみというなかで、不意にどこからか「人ごゑ」がした。思わずもその方向を目をやってみたが、それらしい誰の姿も見えなかった。「影」は「人影」である。作者が墓参に来ているのかどうかはわからないが、それはどうでもよいことなのであって、山国のなお秋暑い白日のありようが、ちょっと白日夢に通じるような雰囲気で活写されていると読むべきだろう。私には田舎での子供時代の曼珠沙華の様子を、まざまざと思い出させてくれる一句であった。『朝の川』(1986)所収。(清水哲男)


August 1982004

 実の向日葵少年グローブに油塗る

                           古沢太穂

つう「向日葵(ひまわり)」といえば夏の季語だが、この場合は「実(種子)」ができているのだから、秋口の句としてよいだろう。戦後間もなくの句だ。秋とはいえ、まだ猛暑のつづく昼下がり。さすがに真夏の勢いは少し衰えてきた向日葵の見える縁先で、ひとり「少年」が一心に「グローブ」の手入れをしている。あの頃のグローブは貴重品だったので、これは珍しい光景なのだ。大事に大事に、少年が油を塗っているのも宜(むべ)なるかな。熟成に近い向日葵とこれから成熟してゆく少年との取り合わせは、それだけで生きとし生けるもののはかない運命をうっすらと予感させて秀逸だ。グローブ・オイル(保革油)には、哀しい思い出がある。小学生時代、クラスで本革のグローブを持っていたのはS君ひとりきりだった。誰もが羨んだけど、彼は遠い街から養子にやってきて、実家を去るときに父親がくれたものだということも知っていた。句の少年と同じように、学校でもよく油を塗っていたっけ。そんな彼と、ある日猛烈な喧嘩になった。取っ組み合いの果てに、彼は私の鞄の中味をぶちまけると、いちばん大切にしていた小型の野草事典を引き裂いたのだった。逆上した私は、同じように彼の鞄の中からグローブ・オイルを掴み出し、思い切り床に叩きつけた。途端にそれまでは涙を見せなかったS君が、びっくりするほどの大声で手放しで泣き出したのである。私も泣いた。泣きながらしかし、あまりの彼の悲しみように、後悔の念がどんどん膨らんだことをいまでも覚えている。数年前のクラス会で、謝ろうと思っておずおずと切り出してみたところ、彼は「覚えてないなア」と微笑した。Sよ、覚えてないなんてことがあるもんか……。『三十代』(1950)所収。(清水哲男)




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