早朝から子供らのはしゃいだ声が聞こえる。どこかに出かけるのだろう。よい夏休みを。




2004ソスN8ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1082004

 餡パンの紙袋提げ夏の果

                           下山光子

語は「夏の果(はて)」。そろそろ、夏もおしまいだ。朝夕には、いくぶんか涼しい風も吹きはじめた。あれほど暑い暑いと呻いていたくせに、いざ終わりとなると少し淋しい気がする。そんな情感が、さらりと詠まれた句だ。なんといっても「餡パンの紙袋」を提げているのが良い。代わりに同じ食べ物でも、茄子や胡瓜などでは荷も句も重くなりすぎるし、かといって水羊羹や何かの菓子の類では焦点がそちらのほうに傾いてしまう。その点餡パンは、主食というには軽すぎるし、お八つというにははなやぎに欠ける。よほどの餡パン好きででもない限り、食べる楽しみのために買うというよりも、ちょっとお腹がすいた時のために求めておくというものだろう。だから、餡パンの紙袋を提げていても、当人にはいわば何の高揚感もない。いくつかの餡パンをがさっと紙袋に入れてもらい、ただ手にぶらぶらさせて歩いているだけである。その気持ちの高ぶりが無いままに、しかし四辺には秋の気配がなんとなく漂いはじめているのであって、このときに作者はさながら紙袋の軽さで夏の終わりを実感したというところか。深い思い入れではないだけに、逆にあっけなく過ぎていく季節への哀感がじわりと伝わってくる。『茜』(2004)所収。(清水哲男)


August 0982004

 原爆忌子供が肌を搏ち合ふ音

                           岸田稚魚

日九日は1945年(昭和二十年)に、六日の広島につづいて長崎に原爆が投下された日だ。あの日から五十九年が過ぎた。「長崎忌」あるいは「浦上忌」とも。この句は、原爆のことはもちろん、まだ誰にも戦争全体の記憶が生々しかったころに詠まれている。したがって、原爆忌ともなると、現在のように原爆の惨禍に象徴的に焦点を当てるだけではなくて、他のもろもろの戦争による悲惨にも同時に具体的に思いが至るのは、ごく普通の感覚であった。声高に戦争反対などを言わずとも、国民のほとんどは「二度とごめんだ」と骨身にしみていた。理屈ではなく実感だった。そんな日常のなかの原爆の日、子供らが喧嘩している様子が聞こえている。兄弟喧嘩だろうか、暑い盛りだから双方は裸同然なのだ。お互いの「肌を搏(う)ち会ふ音」がし、作者はこんな日に選りに選って争いごとかと不機嫌になりかけたが、しかし思い直した。戦争という争いごとのもたらした数々の災厄のことを思えば、むしろ戦争を知らない子供たちの他愛無い喧嘩などは、逆に平和の証ではないのか。生きているからこそ喧嘩もできるのだし、喧嘩もできずに逝ってしまった子供たちの無念は如何ばかりだったか……。と頭を垂れて思い直す作者に、「肌を搏ち合ふ音」はむしろ生き生きと輝いて聞こえはじめたにちがいない。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


August 0882004

 大阪に曵き来し影も秋めきぬ

                           加藤楸邨

だ残暑のきびしい折りだが、四辺がどことなく秋らしくなってきた感じを「秋めく」と言う。気詰まりな用事のために出かけてきたのか、それとも体調がすぐれないのだろうか。「曵き来し影」の措辞には、作者があまり元気ではないことが暗示されている。みずからを励ますようにして、やっと「大阪」までやってきたのだ。暑さも暑し。大阪はごちゃごちゃしていて活気のある街だから、余計に暑さが身に沁みたのだろう。が、流れる汗を拭いつつ歩くうちに、ふと目に入った路上の自分の影には、かすかに秋色が滲んでいるように見えたと言うのである。真夏の黒い影とは違って、ほんの少し淡く金色の兆したような色の影がそこにあった。ほとんど一瞬のうちに身の内を走り抜けた感覚を詠んだ句だが、こうして書き留められてみると、このときの作者の疲れたような姿が浮かんでくるし、大阪の街のたたずまいまでもが彷彿としてくるところが見事だ。多少は大阪を知る者として、私には句の抒情性が的確であることがよくわかる。同じ関西でも、京都でもなければ神戸やその他の都市でもない。大阪には大阪に特有な街の表情があり、不意にこのような感傷を呼び起こすところがある。猥雑とも言えるエネルギーに満ちた大阪のような街は、またセンチメンタリズムの宝庫でもあるのだと、いつも思ってきた。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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