2004N8句

August 0182004

 ひまはりと高校生らほかにだれも

                           竹中 宏

語は「ひまはり(向日葵)」で夏。漢字名のように、花は太陽の動きにあわせて向きを変える。たくさん咲いていても、どれもみな同じように見える。その向日性において、また同じように見えるという意味でも、高校生の集団に通い合うものがありそうだ。夏休み、部活かなにかの「高校生ら」が向日葵の咲く野か路傍に見えている。炎天下ということもあり、元気な彼ら以外には「ほかにだれも」いない。こうした夏の白昼の光景は、なんだかサイレント映画のように森閑とした印象だ。その印象が、作者をみずからの高校生時代の記憶に連れて行ったのだろう。面白いもので、過去の記憶に絵はあっても、めったに音は伴わない。だからこのときの作者の眼前の光景と過去のそれとは苦もなくつながる理屈で、とたんに作者は過ぎ去ってしまった青春に深い哀惜の念を覚えたのだ。と同時に、いま眼前にある高校生らと向日葵の花の盛りの短さにも思いがいたり、青春のはかなさをしみじみと噛みしめることになった。「ほかにだれも」で止めたのは、いま青春の只中にあるものらへの作者の優しさからだ。彼らは昔の自分がそうであったように、はかなさに気づいてはいない。ならば青春は過ぎやすしなどと、あえて伝えることもないではないか。「だれも(いない)」と口ごもったところに、句の抒情性が優しくもしんみりと滲んでいる。『花の歳時記・夏』(2004・講談社)所載。(清水哲男)


August 0282004

 暑き故ものをきちんと並べをる

                           細見綾子

語は「暑き(暑し)」。人の性(さが)として、炎暑のなかでの行為はどうしても安きに流れがちだ。注意力も散漫になるし、適当なところで放り出したくなる。だが、そうした乱雑な振る舞いは、結局は精神的に暑さを助長するようなもので芳しくない。たとえば取り散らかした部屋よりも、きちんと片付いている部屋のほうに涼味を感じるのはわかりきったことだ。なのに、ついつい私などは散らかしっぱなしにしてしまう。で、いつも暑い暑いとぶつぶつ文句を言っている。掲句では、何を「並べをる」のかはわからないが、それはわからなくてもよい。暑いからこそ、逆に普段よりも「きちんと」しようという意思そのものが表現されている句だからだ。それも決して大袈裟な意思ではなくて、ちょっとした気構え程度のそれである。でも、この「ちょっと」の気構えを起こすか起こさないかは大きい。その紙一重の差を捉えて、句は読者に「きちんと」並べ終えたときの良い心持ちを想起させ、暑さへのやりきれなさをやわらげてくれている。句に触れて、あらためて身辺を見回した読者も少なくないだろう。むろん、私もそのひとりだ。『冬薔薇』(1952)所収。(清水哲男)


August 0382004

 空港に眼鏡の力士雲の峰

                           吹野 保

語は「雲の峰」で夏。気象学的には積乱雲を指し、その壮大さはまさしく雲の峰だ。一読、虚をつかれた。いや、作者も同じ気持ちだったかもしれない。言われてみれば、なるほど「力士」にだって近視や乱視の人もいるだろう。かつて名横綱と謳われた双葉山が安芸ノ海に70連勝をはばまれたときは、よく見えないほうの目の死角をつかれたのが敗因だったという。が、土俵では誰も眼鏡はかけるわけにはいかないから、私たちは先入観として力士と眼鏡はなんとなく無縁だと思い込んでいる。それが、かけていた。思わずも彼を見やると、まぶしそうに夏空を見上げている。眼鏡がキラキラと光っている。いっしよに見上げた大空には、大きく盛り上がった真っ白な雲がにょきにょきと聳えたっていた。広い空港と雄大な雲と大きなお相撲さんと……。この取り合わせが何とも言えず気持ちがよく、作者はしばしそれこそ大きな気持ちに浸ったことだろう。こういう句は、とても想像では出てこない。実景ならではの強さがある。元気の湧いてくる句だ。『新版・俳句歳時記』(雄山閣出版・2001)所載。(清水哲男)


August 0482004

 蝉しぐれ防空壕は濡れてゐた

                           吉田汀史

の声、しきり。八月になると、どうしても戦争の記憶が蘇ってくる。といっても、私は敗戦時にはまだ七歳で、先輩方に言わせればぬるま湯のような記憶でしかないことになるのだろう。それでも、東京に暮らしていたから、連日の空襲の記憶などは鮮明だ。白日の空中戦も、何度か目撃した。庭先に掘られた「防空壕」には昼夜を問わず、空襲警報のサイレンが鳴れば飛び込んだものである。立派な防空壕じゃないから、四囲の壁などは剥き出しの土のままだった。夏場には、入るとひんやりとはしていたが、文字通りに泥臭かった。つまり、じめじめと「濡れて」いたのである。おそらく作者も、そんな感触を思い出しているにちがいない。そしてこの句の勘所は、「蝉しぐれ」の「しぐれ(時雨)」に引っ掛けて「濡れて」と遊んだところにあるだろう。現実には「蝉しぐれ」に濡れるわけはないから、一種の言葉の上での遊びであるが、しかしこの言葉遊びは微笑も呼ばなければ苦笑も誘わない。蝉しぐれの喧噪の中にも関わらず、何かしいんとした静けさを読む者の心に植え付けて座り込む。間もなく戦後も六十年。もはや往時茫々の感無きにしも非ずだが、茫々のなかにも掲句のように、いまだくっきりとした体感や手触りは残りつづけている。それが、戦争というものだろう。俳誌「航標」(2004年8月号)所載。(清水哲男)


August 0582004

 缶詰の蜜豆開ける書斎かな

                           下山田禮子

語は「蜜豆」で夏。読書中か、あるいは何か書き物をしているのだろうか。ふっと蜜豆が食べたくなって、冷蔵庫に冷やしておいた「缶詰」を出してきた。人によりけりではあるが、書斎でお八つを食べたりするときには、しかるべき器に入れたり盛ったりしてから食べるのが普通だろう。作者もまた、通常はそうしている。でも、このときにはそれをしないで、書斎で缶詰を開けたのである。つまり、大仰に言えば厨房の作業を書斎に持ち込んだのだ。よほど忙しいのか、ずぼらを決め込んだのか。とにかく日頃とは違う作業を書斎ではじめてみると、やはり違和感を覚えてしまう。汁が飛び散ってはいけないとか、ましてやひっくり返しては大変だとか、つかの間のことにしても、厨房とは違った配慮も必要だからだ。そうすると、いつもは何とも思っていなかった書斎空間が、これまた大仰に言えば異相を帯びて感じられることになった。それが、作者をして「かな」と言わしめた所以であろう。このときの缶詰は、いまどきのように蓋をすっと引き開けるものではなくて、缶切りで開けるタイプのものがふさわしい。食べるのも、器に移し替えずにそのままスプーンで掬うほうが、句にはよく似合う。缶特有の匂いが、ちょっと蜜豆のそれに混ざったりして……。『恋の忌』(2004)所収。(清水哲男)


August 0682004

 吾がかむり得ざりし角帽夏休み

                           杉本幽烏

前の句だろうか。おそらく作者は家庭の貧しさのために、勉学心はあったが、大学に行くことを断念したのだ。友人知己の誰かれが都会に遊学していくなかで、地元に残って働いている。往年の「角帽」はエリートの象徴みたいなものだったから、「夏休み」に帰省してくる学生たちの帽子は、よほど目にまぶしく沁み入ったにちがいない。羨望の念もあるだろうが、嫉妬のそれもある。そうしたコンプレックスを押し殺しつつ働く作者には、彼らの屈託のない態度も逆に辛い。大学生になった息子の角帽とも読めるが、こういう夏休みの捉え方もあったのである。さらりと読んではいるけれど、それだけに作者の哀感がしんみりと伝わってくる佳句だ。いまでは応援部くらいしかかぶらなくなった角帽だが、私が入学した昭和三十年代前半期くらいまでは、なんとかまだ生き延びてはいた。とくに新入生は、すぐにかぶらなくなったにせよ、求めなかった者はそんなにいなかったのではあるまいか。もはやエリートの象徴などとは思わなかったが、なにせ丸刈り頭に詰め襟の学生服を着ているのが普通だったので、高校時代の延長のような気分もあったと思う。帽子をかぶらないと、なんとなく落ち着かなかった。しかし、やがて丸刈り頭や学生服が廃れてきたことで、学帽も姿を消すことになる。だから、この句の味がわかる人は、ある程度の年代以上に限られてしまうだろう。『俳句歳時記・夏之部』(1955・角川文庫)所載。(清水哲男)


August 0782004

 新刊の机上に匂ひ秋立てり

                           佐野幸子

う、秋か。しかし毎年のことながら、「秋立つ(立秋)」とはいっても、昨日に同じ暑い日であることに変わりはない。だからこの日を秋として表現するには、体感だけではままならないことが多い。そこで「目にはさやかに見えねども」のなか、何か一工夫が必要となる。掲句は「机上」の「新刊」書に着目して、その「匂ひ」たつような新鮮な印象で新しい季節の到来を暗示してみせている。読書の秋なる常套句への連想効果を、あるいはちょっぴり期待してのことかもしれない。いずれにしても、新刊書は四季のなかではもっとも秋に似合う小道具だろう。「匂ひ」とあるけれど、これは実際のインクの匂いかどうなのか。昔と違って新聞などを含め、最近の印刷物はインクの匂いがしなくなった。インクそのものが改良されたこともあり、また活版印刷が姿を消したこともあって、とくに新聞で手が汚れなくなったのはありがたいが、開いたときにつんと鼻をつく良い匂いが失われたのは淋しい。私は掲句が載っていた歳時記の成り立ちなどからして、比較的新しい作品と判断し、一応「『匂ひ』たつような」と解釈しておいた。が、古い句であれば、当然新しいインクの香りとなるわけで、こちらのほうがより立秋の感覚にふさわしいとは思うが、実際のところはどうなのだろうか。『炎環・新季語選』(2003)所載。(清水哲男)


August 0882004

 大阪に曵き来し影も秋めきぬ

                           加藤楸邨

だ残暑のきびしい折りだが、四辺がどことなく秋らしくなってきた感じを「秋めく」と言う。気詰まりな用事のために出かけてきたのか、それとも体調がすぐれないのだろうか。「曵き来し影」の措辞には、作者があまり元気ではないことが暗示されている。みずからを励ますようにして、やっと「大阪」までやってきたのだ。暑さも暑し。大阪はごちゃごちゃしていて活気のある街だから、余計に暑さが身に沁みたのだろう。が、流れる汗を拭いつつ歩くうちに、ふと目に入った路上の自分の影には、かすかに秋色が滲んでいるように見えたと言うのである。真夏の黒い影とは違って、ほんの少し淡く金色の兆したような色の影がそこにあった。ほとんど一瞬のうちに身の内を走り抜けた感覚を詠んだ句だが、こうして書き留められてみると、このときの作者の疲れたような姿が浮かんでくるし、大阪の街のたたずまいまでもが彷彿としてくるところが見事だ。多少は大阪を知る者として、私には句の抒情性が的確であることがよくわかる。同じ関西でも、京都でもなければ神戸やその他の都市でもない。大阪には大阪に特有な街の表情があり、不意にこのような感傷を呼び起こすところがある。猥雑とも言えるエネルギーに満ちた大阪のような街は、またセンチメンタリズムの宝庫でもあるのだと、いつも思ってきた。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


August 0982004

 原爆忌子供が肌を搏ち合ふ音

                           岸田稚魚

日九日は1945年(昭和二十年)に、六日の広島につづいて長崎に原爆が投下された日だ。あの日から五十九年が過ぎた。「長崎忌」あるいは「浦上忌」とも。この句は、原爆のことはもちろん、まだ誰にも戦争全体の記憶が生々しかったころに詠まれている。したがって、原爆忌ともなると、現在のように原爆の惨禍に象徴的に焦点を当てるだけではなくて、他のもろもろの戦争による悲惨にも同時に具体的に思いが至るのは、ごく普通の感覚であった。声高に戦争反対などを言わずとも、国民のほとんどは「二度とごめんだ」と骨身にしみていた。理屈ではなく実感だった。そんな日常のなかの原爆の日、子供らが喧嘩している様子が聞こえている。兄弟喧嘩だろうか、暑い盛りだから双方は裸同然なのだ。お互いの「肌を搏(う)ち会ふ音」がし、作者はこんな日に選りに選って争いごとかと不機嫌になりかけたが、しかし思い直した。戦争という争いごとのもたらした数々の災厄のことを思えば、むしろ戦争を知らない子供たちの他愛無い喧嘩などは、逆に平和の証ではないのか。生きているからこそ喧嘩もできるのだし、喧嘩もできずに逝ってしまった子供たちの無念は如何ばかりだったか……。と頭を垂れて思い直す作者に、「肌を搏ち合ふ音」はむしろ生き生きと輝いて聞こえはじめたにちがいない。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


August 1082004

 餡パンの紙袋提げ夏の果

                           下山光子

語は「夏の果(はて)」。そろそろ、夏もおしまいだ。朝夕には、いくぶんか涼しい風も吹きはじめた。あれほど暑い暑いと呻いていたくせに、いざ終わりとなると少し淋しい気がする。そんな情感が、さらりと詠まれた句だ。なんといっても「餡パンの紙袋」を提げているのが良い。代わりに同じ食べ物でも、茄子や胡瓜などでは荷も句も重くなりすぎるし、かといって水羊羹や何かの菓子の類では焦点がそちらのほうに傾いてしまう。その点餡パンは、主食というには軽すぎるし、お八つというにははなやぎに欠ける。よほどの餡パン好きででもない限り、食べる楽しみのために買うというよりも、ちょっとお腹がすいた時のために求めておくというものだろう。だから、餡パンの紙袋を提げていても、当人にはいわば何の高揚感もない。いくつかの餡パンをがさっと紙袋に入れてもらい、ただ手にぶらぶらさせて歩いているだけである。その気持ちの高ぶりが無いままに、しかし四辺には秋の気配がなんとなく漂いはじめているのであって、このときに作者はさながら紙袋の軽さで夏の終わりを実感したというところか。深い思い入れではないだけに、逆にあっけなく過ぎていく季節への哀感がじわりと伝わってくる。『茜』(2004)所収。(清水哲男)


August 1182004

 灼けそゝぐ日の岩にゐて岳しづか

                           石橋辰之助

語は「灼け(灼く)」で夏。「垂直の散歩者」連作十二句の内、つまり岩登りを詠んだ作品だ。山好きの詩人・正津勉の近著『人はなぜ山を詠うのか』で知った句だが、作者は山を花鳥諷詠的に詠むのではなく、実際に山にアタックしながら詠んでいる。したがって、彼の句には想像などではとても及ばないリアリティがあって力強い。山をやらない私のような読者にも、まざまざと伝わってくる。句は、炎天下の「岳(やま)」の岩肌に取っ付いて一息ついているときの感慨だが、この「しづか」にこそ岩登りの醍醐味の一つがあるのだろうと納得させられた。身体全体を使って、征服すべき対象に全力で挑む。日常の世界ではまずありえないことだし、「しづか」もまた日常のそれとはちがい、全身全霊にしみ込むような静謐感である。汗などはみな噴き出してしまった後の、一種の恍惚の状態と言うこともできようか。同書によれば、作者は俳誌「馬酔木」(昭和七年五月)に次のように書いている。「ロッククライミングの精神は火の如く熱烈であり、ときには氷の如く冷徹であらねばならぬ。どうしてもこの二つを詠ひ出さぬ限り満足な作品とは成し得ぬと思ふ。私は山を詠ふとき山に負けまいとする」。山岳俳句という新境地に賭けた気概が、ひしひしと伝わってくる件りだ。今日、彼の系譜を継ぐ登山家俳人はいるのだろうか。『山行』(1935)所収。(清水哲男)


August 1282004

 掃きとりて花屑かろき秋うちは

                           西島麦南

な句だ。季語は「秋うちは(秋団扇)」で、「秋扇」に分類。床の間に活けた花が、畳の上にこぼれ散っている。さっそく箒で掃き集めたのだが、さしたる量でもないので、わざわざ塵取りを持ち出してくるまでもない。で、そこらへんにあった「うちは」に乗せて捨てることにしたと言うのである。涼しくなってきて、もはや無用のものになりかけていた団扇が、ひょんなことで役に立った図だ。「花屑」を乗せて飛ばないように注意深く運びながら、あらためて作者は団扇をつくづくと眺め、季節の移ろいを感じている。いまどきなら掃除機ですすっと吸い込んでおしまいだから、情趣もへったくれもありはない。昔は良かったと言うつもりはないが、こうした小粋な句の材料が少なくなってきたことに、やはり一抹の寂しさはある。そういう我が家にも、座敷箒は無い。何年くらい前に消えたのだろうか。箒の思い出、ひとつ。子どもの頃は、花屑程度の微量なゴミはそのまま縁側から庭に掃き出したものだ。それからついでに掃き出した箒の塵を払うつもりで、縁側の縁で箒の先を力を入れて叩いたら、そんな音を立てるものじゃないと母に叱られた。「ザッ」という感じの音がするのだけれど、あれは人の首を斬るときの音と似ているのだそうである。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


August 1382004

 耳しいとなられ佳き顔生身魂

                           鈴木寿美子

語は「生身魂(いきみたま)」で秋。平井照敏の季語解説から引いておく。「盆は故人の霊を供養するだけでなく、生きている年長の者に礼をつくす日でもあった。新盆のないお盆を生盆(いきぼん)、しょうぼんと言ってめでたいものとする。そして、目上の父母や主人、親方などに物を献じたり、ごちそうをしたりし、その人々、およびその儀式を生身魂と言った。食べさせるものは刺鯖が多く、蓮の葉にもち米を包んだものを添えたりする」。つまり現在の「敬老の日」みたいなものだが、敬老の日よりも必然性があると言えるだろう。彼岸に近い存在である高齢者を直視し、故に敬老の日のような社会的偽善性は避けられ、長寿への賛嘆と敬意の念が素直に表現されているからだ。この句もそうした素直な心の発露であり、それをまた微笑して受け入れる土壌が作者の周辺にはあるということである。子規の句にもある。「生身魂七十にして達者也」。いまでこそ七十歳くらいで達者な方はたくさんおられるけれど、子規の時代には相当なお年寄りと受け取られていたにちがいない。私が子どものころだって、七十歳と言えば高齢中の高齢だった。一つの集落に、お一人おられたかどうか。小学生のときに「おれたちは21世紀まで生きられるかなあ」「六十過ぎまでか、まあ無理じゃろねえ」と友だちと言い交わしたことを思い出す。もちろん、村の高齢者の年齢から推しての会話であった。今日は、旧盆の迎え火。『新版・俳句歳時記』(雄山閣出版・2001)所載。(清水哲男)


August 1482004

 首振りの否定扇風機は愛しも

                           小川双々子

語は「扇風機」で夏。まだしばらくはお世話になる。新着の「地表」でこの句を読んで、つくづくと扇風機の「首振り」を眺めてしまった。なるほど、こちらがどう出ようとも、いつまでも首を降りつづけている。それを「否定」の表現としたのが句のミソで、再びなるほど、ゆっくりではあるが永遠に首を振りつづけるとは、赤ん坊の「いやいや」などを越えて、頑固な否定の意思が感じられる。でも最後には「愛し」いよと作者は言い、いきなりの「否定」という強い調子の言葉にぎくりとした読者に「なあんだ」と思わせる。作者一流の諧謔だから、ここに何か形而上的な意味を求めても無駄だろう。二年ほど前だったか、こんな句もあった。「水打つといふ絶対の後退り」。たしかに、水を打ちながら前進する者はいない。後へ後へと退いていくのみだから、その行為はなるほど「絶対」である。「否定」といい「絶対」といい、こうした高くて強い調子の言葉をさりげない日常の光景や行為に貼り付けてみると、たとえ「なあんだ」の世界でも新鮮に感じられるから、言葉というものは面白い。これからは扇風機を見かけるたびに、掲句を思い出すだろう。となれば、扇風機売り場などはさしずめ「否定地獄」みたいなもので、通りかかったら思わず笑ってしまいそうだ。俳誌「地表」(第435号・2004年6月)所載。(清水哲男)


August 1582004

 堪ふる事いまは暑のみや終戦日

                           及川 貞

争が終わったから平和が訪れたからといって、その日から「堪ふる事」が消滅したわけではない。生き残った者にとっては、戦後こそが苦しかったと言うべきか。平和を謳歌できるような生活基盤などなかったので、多くの人々が忍耐の日々を重ねていった。この句は、戦後も二十年を経てからの作句で、ようよう作者はここまでの心境にたどり着いている。たどり着いてみれば、しかし若さは既に失われ、往時茫々の感もわいてくる。作者の本音を訪ねれば、この暑中、何をまた語るべきの心境であるのかもしれない。『夕焼』(1967)所収。(清水哲男)


August 1682004

 天と地の天まだ勝る秋の蝉

                           守屋明俊

京都心の真夏日連続記録は一昨日(2004年8月14日)までで途切れたが、40日といううんざりするほどの長さだった。しかし、週間天気予報では、また今日から真夏日がつづきそうだと出ている。どこまでつづく真夏日ぞ、やれやれだ。さて、句の季語は「秋」ではなくて「秋の蝉」。立秋を過ぎると、ヒグラシやホウシゼミなどの澄んだやや寂しい感じの鳴き方をする蝉が増えてくる。が、この句ではそのなかでもミンミンゼミのようなアブラゼミ顔負けの元気な鳴き方のものを指しているのだろう。むろんまだまだアブラゼミも元気だから、両者の合唱は盛夏のころよりも騒々しく、それが時雨のように「天」から降り注ぐ感じは、なるほど「天まだ勝る」いきおいである。「天と地」と大きく振りかぶった句柄は、人の意識に酷暑がその間にあるもろもろの物事や現象を亡失せしめた状態を表していて、卓抜だ。企んで振りかぶったというよりも、暑さの実感が振りかぶらせたのである。今日は旧盆の送り火。京都では大文字の火が見られ、これぞ「天と地」をあらためて想起させる行事と言えるだろう。藤後左右に「大文字の空に立てるがふとあやし」の一句あり。『蓬生』(2004)所収。(清水哲男)


August 1782004

 昼顔の見えるひるすぎぽるとがる

                           加藤郁乎

語は「昼顔」で夏。一つ一つの花は可憐ではかなげに写るが、猛暑をものともせずに咲くのだから、あれで芯は相当に強いのだろう。そんな昼顔が、けだるさも手伝ってぼおっと見えている暑い午後の句だ。ここまでは誰にでも理解できるけれど、さあ下五の「ぽるとがる」との取り合わせがわからない。むろん作者も実際のポルトガルにあって、この句を作ったわけではない。しかし句の字面をじっと眺めていれば、あるいは句を何度か舌頭に転がしてみれば、静かな悲しみを帯びた不思議な魅力が立ち上がってくるのがわかる。多用された平仮名のやわらかい感じ、重ねられた「る音」のもたらす心地よさ。像も結ばないし意味も無い句でありながら、このような印象を受けるのは、やはり私たちの言葉に対する信頼の念があるからだろう。言葉に向き合ったとき、私たちは当然のように何らかの結像や意味を求める。その心的ベクトルをすっと外されたときに受ける戸惑いが、この句の魅力を生み出すとでも言うべきか。外した作者の外し方も、人が言葉に向き合うときのありようを熟知している。途中からの平仮名表記は、読者に最後まで一気に読ませるためのマジックなのであって、この間に漢字や片仮名を配置したのであれば途中で放り出されてしまう。つまり掲句は最後まですらりと読めるように書かれており、読み終えてから読者が「あれっ」と振り返る構造になっているわけだ。その「あれっ」があるからこそ、なんとも不思議な魅力を覚えることになる。ナンセンスの世界へと人を誘うためには、生半可な技巧ではおぼつかない。『球體感覚』(1959)所収。(清水哲男)


August 1882004

 夏休みも半ばの雨となりにけり

                           安住 敦

供たちの夏休みもいまごろになると、さすがに日に日に秋の気配が感じられるようになる。ましてや雨降りの日は、真夏の陽性な夕立などとは違って、しとしとと秋のうら寂しい雰囲気が寄せてくるようだ。子供にだってそういうことはわかるから、まだ夏休みはつづくのだけれど、「もうすぐ休みも終わるのか」という感傷もわいてくる。かっと照りつけていた日々の連続のなかでは、思いもしなかった神妙な気分になってくるのだ。掲句はむろん大人の句だが、そんな子供時代を回想しているのだろう。この原稿を書いているいまは、雨降りの夕刻だ。まだ五時過ぎだというのに、日没が早くなったこともあって、開け放った窓の外には早くも夕闇がしのびよってきた。時雨のようなかすかな雨音がしている。つい最近までの極暑が嘘のようで、まさに夏の果てまでたどりついたという実感。こういうときに、人は老若を問わず内省的になるものなのだろう。すなわち私たちの情感は、全てとは言わずとも、天候に左右され、天候に培われてきたところは大きい。この句はなんでもない句と言えば言えるが、実際にこうして雨の日に読み触れていると、もはや無縁となった子供時代の夏休みへと心が傾斜してゆく。と同時に、あのころの無為に過ごした日々と現在のそれとがひとりでに重なってくるのである。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


August 1982004

 実の向日葵少年グローブに油塗る

                           古沢太穂

つう「向日葵(ひまわり)」といえば夏の季語だが、この場合は「実(種子)」ができているのだから、秋口の句としてよいだろう。戦後間もなくの句だ。秋とはいえ、まだ猛暑のつづく昼下がり。さすがに真夏の勢いは少し衰えてきた向日葵の見える縁先で、ひとり「少年」が一心に「グローブ」の手入れをしている。あの頃のグローブは貴重品だったので、これは珍しい光景なのだ。大事に大事に、少年が油を塗っているのも宜(むべ)なるかな。熟成に近い向日葵とこれから成熟してゆく少年との取り合わせは、それだけで生きとし生けるもののはかない運命をうっすらと予感させて秀逸だ。グローブ・オイル(保革油)には、哀しい思い出がある。小学生時代、クラスで本革のグローブを持っていたのはS君ひとりきりだった。誰もが羨んだけど、彼は遠い街から養子にやってきて、実家を去るときに父親がくれたものだということも知っていた。句の少年と同じように、学校でもよく油を塗っていたっけ。そんな彼と、ある日猛烈な喧嘩になった。取っ組み合いの果てに、彼は私の鞄の中味をぶちまけると、いちばん大切にしていた小型の野草事典を引き裂いたのだった。逆上した私は、同じように彼の鞄の中からグローブ・オイルを掴み出し、思い切り床に叩きつけた。途端にそれまでは涙を見せなかったS君が、びっくりするほどの大声で手放しで泣き出したのである。私も泣いた。泣きながらしかし、あまりの彼の悲しみように、後悔の念がどんどん膨らんだことをいまでも覚えている。数年前のクラス会で、謝ろうと思っておずおずと切り出してみたところ、彼は「覚えてないなア」と微笑した。Sよ、覚えてないなんてことがあるもんか……。『三十代』(1950)所収。(清水哲男)


August 2082004

 曼珠沙華人ごゑに影なかりけり

                           廣瀬直人

語は「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」で秋。植物名は「ひがんばな」。別名を「死人花(しびとばな)」とも言うが、これは葉が春に枯れることから「葉枯れ」を「わかれ」と訛って、人と別れる花の意としたらしい。こうなると、もう立派な判じ物だ。ついでに「捨子花」の異名もあって、こちらは「葉々(母)に別れる」の謂いだという。いずれにしても、昔から忌み嫌う人の多い花である。だから墓場によく見られるのか、逆に墓場のような場所によく自生していたから嫌われるのか。句の情景も、おそらく墓場ではないかと思う。都会の洒落た霊園などではなく、昔ながらの山国の田舎の墓場だ。霊園のように区画もそんなに定かではないし、どうかするとちゃんとした道もついていない。周辺には樹々や雑草が生い茂り、曼珠沙華が点々と燃えるがごとくに咲いている。聞こえてくるのは蝉時雨のみというなかで、不意にどこからか「人ごゑ」がした。思わずもその方向を目をやってみたが、それらしい誰の姿も見えなかった。「影」は「人影」である。作者が墓参に来ているのかどうかはわからないが、それはどうでもよいことなのであって、山国のなお秋暑い白日のありようが、ちょっと白日夢に通じるような雰囲気で活写されていると読むべきだろう。私には田舎での子供時代の曼珠沙華の様子を、まざまざと思い出させてくれる一句であった。『朝の川』(1986)所収。(清水哲男)


August 2182004

 鯉ほどの唐黍をもぎ故郷なり

                           成田千空

語は「唐黍(とうきび)」で秋。玉蜀黍(とうもろこし)のこと。私の田舎(山口県日本海側)では、南蛮黍(なんばんきび)と言っていた。作者は青森の人だが、手に重い大きな唐黍を畑でもいで、やはり故郷はいいなあと満悦している。こんなに大きくて充実したものは、他の地方ではめったに収穫できまいと、誰にともなく自慢している。このときに「鯉ほどの」という形容がユニークだ。植物が動物のようであるとはなかなか連想しにくいけれど、句のそれには無理が無い。まずはずしりと手に余る唐黍の大きさは鯉のように大きいのであり、とびきりのイキの良さや新鮮さもまた鯉のようであり、なによりも豪華な感じが鯉に似通っているというわけだろう。それこそ大きな鯉を釣り上げたときのような喜びが、句をつらぬいている。作者の故郷が鯉の有名な産地かどうかは知らないが、かつて上杉鷹山が米沢藩の濠で鯉を飼育したように、動物性蛋白質の乏しかった山国では鯉の養殖が盛んな地方が多かった。つまり、山国を故郷とする人々にとっては、鯉は特別に珍重さるべき魚なのであり、それだけに豪華のイメージは強いのである。句の「鯉ほどの」には、そうした山国の庶民生活の歴史感情も込められていると読めば、この純朴とも言える故郷賛歌がいっそう心に沁み入ってくるではないか。『現代俳句歳時記』(1989・千曲秀版社)所載。(清水哲男)


August 2282004

 釣堀が見え駅に立つ人が見え

                           宮津昭彦

語は「釣堀(つりぼり)」で夏。句の「駅」は東京JR市ヶ谷駅、「釣堀」は市ヶ谷駅下のそれと特定できる。「市ヶ谷フィッシングセンター」という名称だ。休日ならばともかく、天気の良い日だとウィークデイでも釣り糸を垂れる人でにぎわっている。リタイアしたらしき高齢者が多いかというと、さにあらず。けっこう若い人も釣っているから、いったい彼らはどんな身分の人々なのだろうかと訝ってしまう。片や駅のホームには、鞄を抱えた忙しそうなサラリーマンたちの姿があるので、余計に釣堀の人たちが目立つのである。句はこのような情景を見たままスナップ的に詠んでいて、ふっと微笑を誘われる。編集者時代には印刷所に行くのにこの駅をよく利用したので、通るたびに一度でいいから真っ昼間に呑気に釣ってみたいものだと思っていたが、ついに果たせなかった。仕事をサボって釣るには、あまりにも目立ちすぎる場所なのだ。何人かの東京に長い友人に聞いてみたが、そう思ったことはあっても、誰も行ったことがないという。ネットで調べてみたら、次のようにあった。「JR市ヶ谷駅を降りると目の前に広がる、のどかな釣堀。貸し竿は100円、エサ代80円と低料金で道具が揃うので手ぶらで遊びに行ける。50cm以上もある大物のコイを狙うもよし、「ミニフィッシング」で金魚釣りを楽しむもよし。また釣れた魚は1時間につき1尾持ち帰ることができる」。「俳句研究」(2004年9月号)所載。(清水哲男)


August 2382004

 鮒ずしや食はず嫌ひの季語いくつ

                           鷹羽狩行

語は「すし(鮓・鮨)」で、暑い時期の保存食として工夫されたことから夏とする。「寿司」とも表記するが、縁起の良い当て字だ。句は「彦根十五句」のうち。蕪村に「鮒鮓や彦根の城に雲かかる」があるように、昔から「鮒ずし」は滋賀の郷土料理として有名である。作者は鮒ずしを「食はず嫌ひ」で通してきたのだが、彦根への旅ではじめて口にしてみて、意外な美味を感じたのだろう。誰にも、こういうことはたまに起きることがある。納豆の食わず嫌いが、ひとたび口にするや、たちまち納豆好きになった人を知っている。そこで作者は、ふと連想したのだ。季語についても、一般的に同じことが言えるのではあるまいか。少なくとも自分には「食はず嫌ひ」の季語があって、それも数えてみたわけではないけれど、けっこうありそうだ、と。「季語いくつ」は自分への問いかけであると同時に、読者へのそれでもある。言われてみれば、誰にもそんな季語のいくつかはあるに違いない。私どもの句会(余白句会)で、谷川俊太郎が「『風光る』って恥ずかしくなるような季語だよね」と言ったのを覚えているが、これなども食わず嫌いに入りそうだ。いや他人事ではなくて、私にもそんな季語がある。これからの季節で言うと、たとえば「秋の声」だなんてそれこそ気恥ずかしくて使えない。若い頃に物の本で「心で感じ取る自然の声」などという解説を読んだ途端に、とても自分の柄じゃないと思ったからだ。ところで、読者諸兄姉の場合は如何でしょうか。俳誌「狩」(2004年9月号)所載。(清水哲男)


August 2482004

 真夏昼猫がころがすカタン糸

                           二村典子

はもちろん、草木までもが暑さにげんなりとしている「夏真昼」。こういうときにはイの一番に昼寝をきめこんでしまうはずの「猫」が、どうした弾みか、「カタン糸」の糸巻きにじゃれついている。この気まぐれの生気は、かえって作者を鬱陶しくさせているようだ。それにしても、おお ! 懐かしやカタン糸。何十年も目にしなかった言葉だ。私の子供時代には誰でも知っていたカタン糸だが、いつの頃からかまったく目にも耳にもしなくなってしまった。しかし、カタン糸そのものが無くなってしまったわけじゃない。現在でも多少あるにはあるが、大半が工業用として生きているのであり、家庭からはほとんど姿を消してしまった。カタン糸とは何か。カタンは英語のCOTTONが訛ったもので、木綿単糸を数本縒(よ)り合わせたものである。レース編みなどに用いる太手の木綿糸のことを指す場合もあるけれど、普通にはミシン用の縫い糸として用いる細手の木綿糸のことを言う。縒りが強く、糊や蝋で処理してあり、光沢がある。いまはミシンの無い家庭が多いし、あっても滅多に使わなくなった時代だから、カタン糸という言葉も一般的ではなくなってしまった。したがって、子供がカブトムシにミシンの糸巻きを引かせて遊ぶなんてことも、まずないだろう。カタン糸、この言葉を思い出させてくれただけでも、掲句に感謝したい。「俳句」(2004年9月号)所載。(清水哲男)


August 2582004

 ひとめぐりするたびに欠け踊の輪

                           原 雅子

句で「踊(おどり)」といえば盆踊りのこと。秋の季語。句は輪踊りが「ひとめぐりするたび」に、だんだん踊り手の数が欠けてくる様子を詠んでいる。だいぶ夜も更けてきて、踊りのピークが過ぎようとしているのだ。見物していると、そこはかとない哀感を覚えるシーンであり、なんだか名残り惜しいような気持ちもわいてくる。とりわけてたまに帰省した故郷の盆踊りともなると、この感はひとしおだ。子供の頃からなじんだ場所で、組まれた櫓も同じなら唄も同じ、踊り方も同じなら踊り手の数も昔と似たようなものである。帰省子が、一挙に故郷に溶け込めるのが盆踊りの夜だといっても過言ではないだろう。踊る人々の輪のなかに、懐かしい誰かれの姿を見出してはひとり浮き立っていた気分が、しかし時間が経つに連れだんだん人が欠けてくると、少しずつ沈んでくる。懐かしいとはいっても、親しく話すような間柄ではない人も多いし、顔は知っていても名前すら知らない人もいるわけだ。つまり踊りの輪から欠けていった人とは、それっきりなのである。もう二度と、見かけることはないかもしれない。そうした哀感も手伝って、掲句の情景は身に沁みる。私の田舎では、踊りが終わると、すぐそばの川に灯籠を流した。川端は真の闇だから、もう誰かれの顔は見えない。『日夜』(2004)所収。(清水哲男)


August 2682004

 抱へゆく不出来の案山子見られけり

                           松藤夏山

語は「案山子(かがし)」で秋。「かかし」と発音する人のほうが多いと思うが、「かがし」と濁るのが本来だ。大昔には鳥獣の毛や肉を焼いて、その臭いで害鳥などを追い払った。つまり「嗅がし」に語源があるので濁るというわけである。この句を読んであらためて、案山子にもちゃんと作者がいるのだと気づかされた。当たり前といえば言えるけれど、通りすがりに眺める人のほとんどが、作者の存在には思いが及ばないだろう。よほど目立つ傑作は別にして、作りの上手下手なども気にはかけない。それに案山子の役割は害敵を追い払うことなので、人の目から見た巧拙が、そのレベルの高低で鳥たちに通じるかどうかも疑問だ。「なんだ、こりゃ」みたいな下手っぴいな作りの案山子が、いちばん効果を上げるかもしれないのである。いくら造形的に優れていても、効果がゼロなら話にもならない。要するに、当事者以外はどんな案山子だって良いじゃないかと思うしかないのである。ところが句の作者のように当事者ともなると、事情は大きく変わってくる。そこはそれ近所の手前もあって、そう下手なものは作れない。が、結果は無惨な案山子が出来上がり、立てないわけにもいかないのでコソコソと隠すようにして運んでいる途中で、不運にも「見られけり」。冷や汗が吹き出たことだろう。笑っちゃ悪いけれど、思わずも笑っちゃった。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


August 2782004

 朝蜩ふつとみな熄む一つ鳴く

                           川崎展宏

語は「蜩(ひぐらし)」で秋。名前通りに夕刻にはよく鳴くが、夜明け時にも鳴くので「朝蜩」。朝方は鳴く数も少ないから、何かの具合で句のように「ふつとみな熄(や)む」ことがあるのだろう。瞬間「おや」と訝った作者の耳に、再び「一つ」が鳴きはじめたと言うのである。いくら哀調を帯びているとはいっても、雨や風の音などと同様に、日常的には蜩の鳴き声に耳そばだてて聞き入る人はいない。よほど激しくない限り、鳴いているのかどうかも定かではないのが普通の状態だ。だが、そうしたいわば自然音が、句のように突然はたと途絶えたときには、途端に人の耳は鋭敏になる。天変地異を感じたというと大袈裟だが、どこかでそれに通じるところのある自然の破調には、同じ自然界に生きるものとして、本能的に身構えてしまうからなのだと思う。したがって掲句は、蜩のある種の生態をよく捉えている以上に、人間本来の生理的な感覚をよく活写定着し得ている。蜩の句というよりも、蜩を詠んで人間を捉えた句とでも言うべきか。再び鳴きはじめた「一つ」を聞いたときにこそ、作者はほっとして傾聴したであろうし、いとおしいような哀感を覚えたことだろう。朝の蜩か……、遠い少年期に聞いたのが最後になってしまっている。『観音』(1982)所収。(清水哲男)


August 2882004

 音もなく星の燃えゐる夜学かな

                           橋本鶏二

語は「夜学」で秋。大阪の釜が崎に隣接する工業高校(定時制)に三十三年間、国語教師として勤務した詩人の以倉紘平に『夜学生』(編集工房ノア)という著書がある。体験をもとに書かれたドキュメンタリーだ。今日、大多数の人は、当たり前のように昼間の高校に通い卒業していく。私もそのひとりだが、読み終えて非常な衝撃を受けた。一言でいえば「夜学生(夜間高校生)」にこそ社会の矛盾が集中しているのであり、しかも彼らはそれを具体的に引き受けて日々生きていく存在であるということに……。しかし、著者は苦学生である彼らを、ことさらに美化してはいない。困難な条件の下で驚くべき向学心を発揮する者がいるかと思えば、どうしようもないダメ生徒やワルもいる。数々のエピソードは、そんな彼らの姿を生き生きと描き出し、それがそのまま世の中の矛盾を炙り出していく。そしてまた、社会が常に変動していくように、彼らのありようも変化を止めることはない。たとえば著者は「昔のワルは少なくとも正直だった」という。人を殴ったら、それを認める勇気があった。が、現在のワルは認めない。「センコウ、証拠を見せろ」としらを切りつづける。全体的に、向学心も薄れてきたようだ。「かつて、夜学は、人間教育の場であった。人生の困難を背負った生徒たちが、ぶつかり合い、励まし合い、助け合って、最もよき人生の旅を経験するところに意義があった」。そんな時代の生徒たちの生き方には、卒業後も感動的なものがある。とくに連帯感の強さは、全日制高校出身者の比ではない。それが、なぜ、今のように多くの生徒が「しらけ」てしまったのか。ここには、戦後社会の進み方の何か大きな錯誤がある。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


August 2982004

 椿は実に黒潮は土佐を離れたり

                           米沢吾亦紅

語は「椿の実」で秋。冬に咲く花の鮮やかさとは裏腹に、褐色の椿の実は地味である。濃い緑の葉陰に隠れるように、ひっそりと実っている。通りがかりにたまさか気がつくと、もうこんな季節かと、あらためて月日の流れの早さを感じてしまう。一方で、日本海流とも言う「黒潮」の流れは雄大にして、かつ悠久の時を感じさせる。この繊細と雄渾との対比が、句のミソだろう。しかも作者は、めったに起きない「土佐」の黒潮大蛇行を目撃している。大蛇行とは、原因は不明だそうだが、黒潮の流れが陸地からはるか遠くに離れて行く現象を言う。これまでは、13年に一度くらいの割合で起きてきた。となれば、身近に残ったのは椿の実に象徴されるはかなさであり、ますます秋特有の寂しさが深まったことだろう。実は現在、この珍しい大蛇行現象が起きているのをご存知だろうか。その影響で、紀伊半島東岸から東海にかけては潮位が通常より数十センチ程度上昇し、高潮が起きやすい状態になっており、気象庁では警戒を呼びかけている。だから、今年の台風は余計に危険なのだ。また漁業にも影響が出ていて、東海沖ではシラスやサバが不漁であり、逆に御前崎沖では通常は取れないカツオが取れているという。『花の歳時記・秋』(2004・講談社)所載。(清水哲男)


August 3082004

 売れ残る西瓜に瓜のかほ出でて

                           峯尾文世

語は「西瓜」で秋。なぜ西瓜が秋なのかと私たちは訝るが、その昔は立秋以降の産物だったようだ。その昔と言っても、おそらくは元禄期ころで、そんなに大昔のことでもない。初期普及時には血肉に似ているので、嫌われたという話がある。掲句は一読、いや三読くらいして、じわりと面白さが広がってきた。なるほど、売れ残ってしょんぼりしたような西瓜からは、だんだん「瓜のかほ」が表れてくるようだ。もとより誰だって西瓜が瓜の仲間であるのは知っているけれど、南瓜もそうであるように、日頃そんなことはあまり意識していない。マクワウリなどの瓜類とは、違った意識で接している。産地で見るのならまだしも、暑い盛りの八百屋の店先や家庭の食卓で見るときには、ほとんど瓜類とは思わないのではなかろうか。それが秋風が立ち涼しくなり、売れ残りはじめると、西瓜の素性があらわに「かほに」出てくると言うのである。言われて納得、何度も納得。ユーモラスというよりも、そこはかとないペーソスの滲み出てくる良質な句だ。観察力も鋭いのだろうが、私には作者天性の感受性の豊かさのほうが勝っている句と思われた。いくら企んでも、こういう発想は出てこない。上手いものである。「東京新聞」(2004年8月28日付夕刊)所載。(清水哲男)


August 3182004

 ひらひらと猫が乳呑む厄日かな

                           秋元不死男

句で「厄日(やくび)」といえば「二百十日」のこと、秋の季語。今年は閏年なので、今日にあたる。ちょうど稲の開花期のため、農民が激しい風雨を恐れて「厄日」としたものだ。その恐れが農家以外の人々にもストレートに伝わっていたのだから、この国の生活がいかに農業に密着していたかがよくわかる。今年は台風の当たり年。折しも大型の台風が九州を抜け日本海側を通過中で、それらの地方では暦通りの厄日となってしまった。掲句に風雨のことは一切出てこないけれど、そんな台風圏のなかでの作句だろう。表は強い風と雨にさらされていて、薄暗い家の中に籠っているのは作者と猫だけだ。猫もさすがに少しおびえたふうで、ミルク(乳)を与えると大人しく呑んでいる。こういうときには、生き物同士としての親密感が湧くものだ。そして、か弱いものを守ってやろうという保護者意識も……。だから、普段は気にすることもない猫の食事を、作者はじっと眺めている。「ひらひらと」は猫が乳を舐める舌の様子でもあり、自然の猛威の中ではなんとも頼りない猫の存在と、そして作者自身の心理状態でもあるだろう。ひらひらと吹けば飛ぶよな猫と我、と昔の人なら言ったところだ。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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