我が家の若者たちは一泊で伊豆方面へ。昔は必ず一家でどこかに出かけたものだったが。




2004ソスN7ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2772004

 病む人に雪かと問はる灼け瓦

                           伊佐利子

語は「灼(や)け・灼く」で夏。「砂灼くる」「風灼くる」などの形でも用いられる。昨日(2004年7月26日付)の「朝日新聞」東京版「朝日俳壇」に載っていた句だ。金子兜太の選評に、こうある。「炎昼の光に照りつけられて、雪のように白い屋根瓦の見える病床。本当の雪かと見とがめる病いの人。情景の切りとり方が鋭く、劇のひとこまのごとし」。情景の切りとり方に触れて広げておけば、病いの人の寝ている部屋の様子までが見えるようだ。二階以上の高さにある部屋だろう。窓は、そんなに大きくはない。だから、いつも病人に見えているのは空と瓦屋根だけである。つまり家の周辺の草木など他の部分が見えないので、まさか夏に雪が降るわけはないと承知していても、ついぽろりと「雪か」と口から出てしまった。それほどに猛烈な光の照り返しなのだ。まさに「劇のひとこま」のようであるが、しかしそれが現実であるところに、猛暑のなかで寝ているしかない病人の焦燥感や孤独感までもが浮き上がってくる。看病している作者は「雪か」と問われて、むろん「そんな馬鹿なことが……」と軽く応えたのではあろうが、応えつつ病人の心の奥の深い傷みに触れた思いがしたにちがいない。「夏」と「雪」。なんとも意外な取り合わせが少しも意外を感じさせないで、読者の胸に自然にじわりと沁みいってくる。(清水哲男)


July 2672004

 なつかしく炎天はあり晩年に

                           的野 雄

語は「炎天」で夏。ぎらぎらと焼けるような日盛りの空である。「なつかしく」とはあるが、作者の頭上に展がっているのはあくまでも現在ただいまの炎天だ。しかしそれが懐かしく思われるのは、炎天下にあるときに、その焼けつくような暑さが、同じ状態下の過去の記憶をいろいろと呼び覚ますからである。そうだ、あれもこれもがこんなふうに暑い日のことだった。という具合に、子供の頃からの夏の盛りの思い出のいくつかが、脈絡もなく蘇ってくるからである。ときにそれらは思い出と言うにはふさわしくない、何かぼんやりとした記憶の断片であったり、頭ではなく身体が覚えている猛暑への感覚的な反応であったりするだろう。そうしたことどもが身体をいわば通過していく状態を、作者は「なつかしく」と表現している。そしてそれが「晩年に」と止められたことで、句は一挙に抒情の高見へと飛翔してゆく。むろん誰にしても、おのれの晩年などわかりはしない。が、現在の自分の年齢的な位置づけをあえて晩年と表現する作者のまなざしには、いつか訪れる自分の死後の、いまと同じような炎天を見つめているような感じを受ける。晩年と言う表現は、ついに当人には関わらぬ、未来からの客観的なそれであるからだ。季節は繰り返し続いてゆくが、おのれにはただ一度きりの生命が与えられているにすぎない。このときに炎天といえどもが、限りなくいとおしくもなつかしい環境に思えるのはごく自然の認識だろう。『斑猫』(2002)所収。(清水哲男)


July 2572004

 その色の少年夢二草苺

                           廣瀬直人

語は「草苺(くさいちご)」で夏。と言っても、もう実の盛りは過ぎているかもしれない。全体の姿が草のように見えるのでこの名があるが、れっきとしたバラ科の落葉低木で、いわゆる木苺の一種だ。小さな良い香りの赤い実がなり、甘酸っぱい味がする。「夢二(竹久夢二)」は、少年期を岡山県東南部の邑久郡邑久町で過ごした。句の前書きに「岡山小旅」とあるから、現地での作句のようだ。たまたま見かけた草苺の姿に、「少年夢二」を通い合わせている。「その色」の「その」はもちろん「草苺の」であるが、「色」には草苺の可憐な赤に象徴される夢二その後の人生や作品活動のありようをも滲ませてある。いささかセンチメンタルな思い入れではあろうけれど、この感傷はしかし上質のものだ。甘さに流れる寸前で句が踏みとどまっているのは、すっと「その色の」と出た力強さにあるのだろう。可憐ではかなくて……、夢二にはこうしたセンチメンタリズムがよく似合う。「泣く時はよき母ありき/遊ぶ時はよき姉ありき/七つのころよ」。明治四十三年の「中学世界」に載った夢二の歌である。ここにも句の「その色」が、そのまま通い合っているようではないか。俳誌「白露」(2004年8月号)所載。(清水哲男)




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