あまりの暑さにビアガーデン休業。何故?。客は少ないし倒れられても困るし…と。納得。




2004ソスN7ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2372004

 天を航く緑濃き地に母を置き

                           野沢節子

語は「緑」で夏。はじめて飛行機に乗ったときの句だという。飛び立って上昇中に眼下を見渡すと、一面の「緑の地」がどこまでも広がっていた。緊急の用事か仕事での旅だろう。はじめて見る美しい眺めにも関わらず、ああ、あの緑の地のどこかに「母」を置いてきたのだという感懐が胸をかすめる。作者は長く病床にあり、いつも面倒をかけてきた母だったから、「置き」は「置き去り」に通じるところがあって切ない。この見事なランドスケープを、母にも見せてやりたかった。いっしよに見たかった……。どこかに書いたことだが、私は高所恐怖症なので、はじめての飛行機は怖かった。でも、仕事だったのでしかたがない。同乗者は作家の開高健で、奄美大島に住んでいた島尾敏雄を訪ねる旅だった。開高さんは私の恐怖症を知っていたから、窓側に座ってくれ、いよいよ出発という時に例の大音声でささやいた。「清水よ、下見たらあかん。絶対見たらあかんで」。言われなくとも下を見る度胸はなかったが、言われるとますます怖くなってきて、おそらく真っ青になっていたにちがいない。開高さんが、なにやかやと面白い話で気を紛らわせてくれようとしていたのは覚えているけれど、ろくに相づちも打てないほどに、私はカチンカチンなのだった。優しい人だったなあ。『飛泉』(1976)所収。(清水哲男)


July 2272004

 ダブルプレーに人生のあり極暑なり

                           馬渕結子

語は「極暑(ごくしょ)」で夏。読んで字のごとし、暑さの極みを言う。また今日22日は二十四気の一つ「大暑(たいしょ)」という日にも当たっており、暦の上でいちばん暑い日とされてきた。年によって「極暑」と「大暑」とは実感的にずれたりするけれど、まさに今年はどんぴしゃり。それこそ、私たちは鮮やかな「ダブルプレー」をくらったようなものである。句は、高校野球を詠んだものだ。私は野球を人生の比喩に使うことを好まないが、それでもたまには掲句のように思わされてしまうことはある。せっかく芽生えかけたチャンスが、ちょっとした失敗から元も子もなくなってしまう。そして、むしろ以前の状態よりも悪くなるのだから始末が悪い。こういうことは、一度ならず体験した。暑さも暑し、泣いても泣ききれない状況には、たしかに人生に通じる何かがある。プロ野球とは違って、明日無き戦いを強いられる高校野球ならではの苦い味である。作者の略歴を見ていたら、唱和二十年九月の項に「東京女専戦災の為中退」と短く記されていた。作者に限らず、当時学業半ばにして学園を去った人々は数知れないほどいただろう。こうなるともう「ダブルプレー」なんてものじゃない。野球的比喩などでは追いつけぬ無念の「人生」を歩んだ人々に、今年もまたあの極暑の日々がめぐってきた。『勾玉』(2004)所収。(清水哲男)


July 2172004

 天の川ナイルの尽くるところより

                           照井 翠

語は「天の川」で、最も美しく見える秋に分類する。天と地を流れる二つの川が、果ての果てではつながっている。もとより幻想句だが、実際に「ナイル」上空の天の川を仰げば、幻想はほとんど現実と同じように感じられるのではあるまいか。二つの川の圧倒的な存在感が、言葉の小細工など撥ね除けて、作者にかくも単純素朴な表現をとらせたのだろう。これが日本の川であったら、こういう句にはなりにくい。天の川と拮抗できるほどの大河がないからだ。芭蕉のように佐渡の「海」を持ってきて、ようやく釣り合うのである。ところで、倉橋由美子が天の川に行った男の話を書いている。その名も「天の川」(『老人のための残酷童話』所収)という短編で、中国では黄河と天の川がつながっていると信じられているが、それは俗説で、実際には別の秘密の水路があるという設定だ。で、足を踏み入れた天の川はどんなところだったか。「かつて経験したことのない寒さが骨の髄までしみこんできました。といっても凍傷ができるような寒さではありませんし、寒風が吹きすさぶわけでもありません。ここの空気は玲瓏として動かず、冷たい水の中、というよりも、水晶の中に閉じこめられているかのようです。慣れてくると、この絶対的な寒冷は、およそ汚れや腐敗とは無縁の清浄がもつ属性ではないかと思われました。……」。寒い上に怖いお話だから、真夏の読書には最適だろう。句は『翡翠楼』(2004)所収。(清水哲男)




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