一通り公約を並べた後で意見を言えという。お前に言ってもはじまらん。選挙電話。




2004ソスN7ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 0572004

 紫蘇畑を背にして父の墓ありぬ

                           神保千恵子

語は「紫蘇(しそ)」で夏。「墓がある」などの言い方ではなく「墓ありぬ」だから、作者ははじめて父の墓を訪れたのだ。実家とは遠く離れたところで暮らしているので、葬儀のときはともかく、納骨時には帰れなかったのだろう。ようやく時間が取れたので、父の墓に詣でることにした。どんな墓なのか、どんなところにどんなふうに建てられているのか。あれこれと思いを巡らしながら来てみると、「紫蘇畑を背にして」ひっそりとそれは建っていた。「背にして」はむろん拒絶の姿勢ではなく、単なる位置関係を示している。墓の前にはたとえば海が開けている(ちなみに、作者は新潟県出身)のかもしれず、あるいは何かが展望できるはずなのだが、あえて作者が墓の背景を詠んでいる点に注目しよう。それも名山名刹やモニュメントの類ではなくて、その土地ではさしてめずらしくもないであろう平凡な紫蘇畑である。が、作者の意識には、それがいかにも父に似つかわしく感じられたのだった。生前の父が、紫蘇畑を背にして立っている。そんな光景を作者は何度も目撃していたと言おうか、父がいちばん父らしくある風景として脳裏に刻まれていたにちがいない。どのような人柄だったのかは書かれていないけれど、読者にはその人の人柄までもが伝わってくるような句だと思う。青紫蘇にせよ赤紫蘇にせよ、煙るような独特の風合いの広がりを背に建つ墓の前から、作者はしばし去りがたい思いで佇んでいたことだろう。『あねもね』(1993)所収。(清水哲男)


July 0472004

 駆け落ちをしての鮨屋や鱧の皮

                           吉田汀史

語は「鱧(はも)の皮」で夏。鱧といえば関西だ。最近は東京あたりでも出す店が増えてきたが、本場には適わない。鱧がないと、夏のような気がしないという。身は天ぷら、蒲焼き、蒸し物などにし、皮も強火であぶったり二杯酢にして食べる。作者は徳島の人だけれど、鱧を珍重することでは徳島も関西と変わらないのだろう。行きつけの鮨屋で注文もしないのに、箸休めとして、鱧の皮が出てきた。主人からの粋な夏の挨拶なのである。彼は「駆け落ちをして」この地にたどり着き、苦労の末にこの店を開いた男だ。近隣の噂話でか、あるいは問わず語りに聞かされたのか、作者は知っており、彼は苦労人であるがゆえに客への気配りは申し分がない。季節ものをいち早くすっと無言で出すところなども、大いに気分がよろしい。「夏は来ぬ……か」と、作者は微笑しつつ箸を付け、ちらりと主人の顔を見て、彼の来し方に思いを巡らせたことだろう。まるで短編小説のような味わいのある句で、「駆け落ち」と「鱧の皮」との取り合わせが、東京とはまた違った人情の世界を浮かび上がらせている。ご年配の方ならば、この句から上司小剣の代表的な短編小説『鱧の皮』を連想された方もおられるだろう。句とはシチュエーションも違うが、男女関係に発する人情に触れているという点では共通している。この小説でも実に鱧の皮がよく効いていて、田山花袋が絶賛したというのもうなずける。なかに「『あゝ、「鱧の皮を御送り下されたく候」と書いてあるで……何吐(ぬ)かしやがるのや。」と、源太郎は長い手紙の一番終りの小さな字を読んで笑つた。/『鱧の皮の二杯酢が何より好物だすよつてな。……東京にあれおまへんてな。』」という会話が出てくる。俳誌「航標」(2004年7月号)所載。(清水哲男)


July 0372004

 手花火や再従兄に会はぬ二十年

                           片山由美子

語は「(手)花火」で夏。夏の風物詩と言われるものも、だんだんに姿を消しつつあるが、花火だけは昔と変わらず健在だ。我が家でも孫がやってくると、水を入れたバケツを用意して、近所のちっぽけな公園で楽しむ。作者は通りがかりにそんな光景を見かけたのか、あるいは自分で楽しんでいるのか。闇に明滅する火の光りを見ているうちに、ふと長い間会っていない「再従兄(はとこ)」のことを思い出した。昔はいっしょに花火でよく遊んだものだが、数えてみると会わなくなってからもうかれこれ二十年も経ってしまった。元気にしているだろうか。花火には、そんな郷愁を誘うようなところがある。二十年という歳月感覚は微妙で、三十年ならば完全に疎遠になっているということだし、十年ならばまだ交際が切れているとは言えないだろう。しかし二十年くらいの隔たりだと、あまり思い出すこともなくなるが、思い出しても、このまま一生会うことがないかもしれぬと淋しくなったりする。そのような微妙な感覚が、手花火の光りのはかない生命によく照応している。ところで、再従兄は親が従兄同士である子と子の関係を指す。またいとこ、とも。はじめからかなり遠い親戚筋の関係にあるわけで、親の親戚付き合いがよほどこまめでないと、なかなか再従兄同士が知り合う機会は得られない。私の場合を考えてみたが、それと自覚して再従兄に会ったことはないと思う。再従兄どころか従兄にすら、三十年も前の叔父の法事の席で会ったのが最後になっている。遠い親戚より近くの他人。昔の人はうまいことを言ったものだ。「俳句」(2004年7月号)所載。(清水哲男)




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