恒例、「夏のアンケート」にご協力を。この形式では今年が最後になると思います。




2004ソスN7ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 0172004

 傷兵の隻手汗拭ふ黒眼鏡

                           加藤楸邨

語は「汗」で夏。「傷兵」は「傷痍軍人(しょういぐんじん)」のことだが、若い人はもはやこの言葉すら知らないだろう。戦争で傷つき帰還した兵士のことで、日露戦争の頃から、こうした人々には恩給が出ていた。ところが先の大戦後にGHQが恩給廃止命令を出したために、多くの傷兵たちが生活に困窮し、やむなく盛り場など人通りの多い場所や電車の中で「白衣傷痍軍人募金」をはじめたのだった。その募金光景を詠んだ句だ。私の実見した範囲では、たいていは二人一組になっていて、両手を使える者がアコーディオンを弾き、「隻手(せきしゅ)」などの人は歌をうたっていた。彼らの前には募金箱が置かれており、そこに募金してもらう仕組みだったが、募金という口当たりの良い言葉とは裏腹に、物乞いというイメージのほうが強かったのは何故だろうか。お国のために戦い傷ついて、やっとの思いで帰ってきた故国での生活が、これである。彼らの胸中は、如何ばかりだったろう。見ていると、通行する多くの大人たちは明らかに彼らを避けていた。募金する人も、箱に小銭を放り込んで逃げるように立ち去っていくのだった。傷兵と同世代の人たちの気持ちには、運が悪ければ自分も彼らの一員だったという自覚もあったろうし、一方では早く戦争の悪夢を忘れてしまいたいという願いもあっただろう。「あいつらは偽の傷痍軍人だ」としたり顔につぶやく大人もいて、それが募金に応じない逃げ口上のように思えたこともある。もとより作者も複雑な気持ちで傷兵を眺めているわけで、しかし、その確たる存在から目を逸らしていないところに、人としてのぎりぎりの心の持ちようが感じ取れる。「黒眼鏡」は失明のためだろうが、残った片手でぐいと顔の汗を拭った元兵士の姿は、戦争を糾弾し社会の矛盾を無言のうちに告発している。私たちは、もう二度と戦争の愚を犯してはならないのだ。『加藤楸邨句集』(2004・芸林21世紀文庫)所収。(清水哲男)


June 3062004

 あぢさゐを小突いてこども通りけり

                           小野淳子

ったく、しようがないなあ。と思いつつも、作者は微笑している。男の子だろう。「なんだい、こんなもん」と言わんばかりに、ちょんと小突いて行ってしまった。見たままそのまんまの句だが、男の子ならいかにもという感じがよくとらえられている。女の子だったことはないのでわからないが、私自身のことを思い出しても、小学生くらいまでは花に関心を持ったことはないような気がする。おそらく、友人たちもそうだったろう。しげしげと花を見つめている男の子なんて、なんとなく気色が悪い。というのは偏見だろうが、そんな男の子を見た記憶もないのである。稲垣足穂によれば、加齢にしたがって人の関心は移っていくのだという。最初が動物で、その次は植物、そして最後には鉱物に至ると書いている。そういえば子供は昆虫の類が好きだし、鳥や獣も好きだ。人も動物のうちだから、思春期以降は異性への関心が高まる。その期間が過ぎると、今度は植物というわけで、ここでようやく花への関心も湧いてくることになる。道ばたに咲く花を、ちょっと立ち止まってみたりするようになってゆく。私の場合だと、四十歳くらいでそのことが意識された。そして稲垣説の最後は鉱物というわけだが、これはまだ私には当てはまらないと思う。よく河原などから石を拾ってきて庭に置いたりする人がいるけれど、そんな衝動に駆られたことはない。ただ、若い頃と違って、そうした石の趣味をくだらないと思う気持ちは失せている。理解できるような気はするのだ。もうしばらくすると、私も石を拾ってきたりするようになるのだろうか。更に稲垣説の先を言えば、老人は子供にかえるというから、もう一度「あぢさゐ」を小突くようなことになるかもしれない。しかし、掲句の「こども」を「老人」に入れ替えてみると、かなり不気味だなア(笑)。『桃の日』(2004)所収。(清水哲男)


June 2962004

 子の傘の紫陽花よりも小さくて

                           田中裕明

語は「紫陽花(あじさい)」で夏。たまに小さい子の傘をそれと意識して見ると、実に小さいものだなあと、あらためて思う。この場合は、作者のお子さんの傘かもしれない。どれくらい小さいのかと言えば、そこらへんの「紫陽花よりも」小さいのである。むろん、咲いている紫陽花のひとかたまりよりも、だ。雨の中を行く子の傘の高さも、だいたい紫陽花のそれと同じくらいだし、この比較はごく自然であり無理がない。単純にして明快である。田中裕明の句はたくさん読んできたが、持ち味を一言で言えば、この単純明快さにこそあると思う。言い換えれば、作句時における作者は、常に言いたいことをはっきりと持っていて、そのために表現の焦点を絞り込んでいるということだ。誰だって、言いたいことがあるから詠むんじゃないの。と思われるかもしれないが、それはそうだとしても、言いたいことの実現のためにフォーカスを絞り込むのは楽な作業ではない。つい周辺のあれこれに目移りがして、そのうちに言いたいことから句がずれてしまう経験は、誰にもあるだろう。そうやってずれてしまった句が、けっこう客観的には良い句に仕上がったりもするのだから厄介だ。自身の本意からずれてしまった句は、いかに佳句のように見えようとも、当人にとっては不本意のままでありつづけるだろう。そんな不本意な句をいくら積み重ねても、表現者失格である。俳句様式の怖さの一つはここにあるのであって、いくらずれても句にはなるし、それらしくもなる。すなわち逆に、言いたいことを俳句で言うのがいかに難しいか。掲句はなんでもない句のようだが、その意味で、俳句様式の甘い罠にとらわれることなく、しっかりと言いたいことを言い切った好例として掲出しておきたい。抒情性も十分だ。『先生から手紙』(2002)所収。(清水哲男)




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