あまり新聞を読まなくなった。ニュース面はすべて、早めにネットで読んでしまう。




2004ソスN6ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2362004

 母衣蚊帳の上に鳴りだすオルゴール

                           山本洋子

語は「母衣(ほろ)蚊帳」で夏。「蚊帳」に分類。そのものの存在は知っていても、はて何と言う名前のものなのか。知らないで、時々困ることがある。文芸誌の編集者時代に、河野多恵子から電車の車内に立っている金属製の棒、あれを何と呼ぶのかと尋ねられて絶句したことがあった。後でいろいろな人に聞いてみると、どうやら「握り棒」と言うらしいのだが、本当かどうかはいまだに確かめていない。雑誌「俳句」(2004年6月号)の宇多喜代子「古季語と遊ぶ」を読んでいたら、掲句が載っていた。そうだったのかと、思わず膝を打った。我が家にもあって良く知っていたということは、私や弟が使ったことになるわけだ。あの赤ん坊の昼寝のときなどに、身体にかぶせる小さな蚊帳のことを何と言うのか。いまのいままで、私は知らずにいたのである。現代では蚊帳一般が姿を消しているので、知らなくてもどうということはないけれど、気にはなっていた。言われてみれば、たしかにあの蚊帳は「ホロ(幌)」のような形をしている。それで「母衣蚊帳」なのかと、妙に感心してしまったのだった。句意は明瞭で、夏の午後に赤ちゃんが寝ている光景だ。突然、上に吊ってあるオルゴールが鳴りはじめた。作者ははっとして赤ちゃんを見つめたのだが、相変わらずすやすやと眠っている。そんな微笑ましい日常の一齣である。ところでもう一つ、この「オルゴール」も本当は何と言うのかを知らないままにきた。音源はたしかにオルゴールだろうが、いろいろカラフルな飾りも着いていて、メリーゴーラウンドみたいにくるくる回る仕掛けだ。赤ちゃん用だから、なんとなくガラガラのような単純な名前がついていそうな気がする。が、一度もあの名前を具体的に呼んでいるのを聞いたことがない。玩具店で聞けば、わかるだろうか。業界用語でもよいから、知りたいものだ。(清水哲男)


June 2262004

 家庭医学一巻母の曝書

                           須原和男

語は「曝書(ばくしょ)」で夏。梅雨が終わると、昔は多くの家で虫干し(むしぼし)をした。衣類などを陰干しして湿気を取り、黴や虫の害を防ぐためだ。このうち、書物を表の風に当てることを「曝書」と言う。生活環境の変化から、虫干しの光景も、いまではさっぱり見かけなくなった。句は、作者少年期の思い出だろうか。たくさんの本が並んでいるなかで、母の本と言えるものはたった一冊の「家庭医学」書であることに気がついたのだ。我が家にもあったけれど、病状に応じて原因と簡単な対処法が書かれていた。私が高熱を発したりすると、母がよく開いていた。分厚くて真っ赤な表紙の本だったことを覚えている。それが母親の唯一の本……。といっても、結局これは家族みんなのためにある本なのであって、そのことを思い出すと胸の奥がちくりと疼くのである。その疼きは、字足らずの下五に込められている。私の母は女学校出だが、それでも本らしい本は数冊くらいしか持っていなかった。祖母のことを思い出しても、本を読んでいる姿は見たことがない。昔の主婦は本など読んでいる時間はあまりなかったし、社会的にも女性の読書はうとまれる環境にあった。だから明治や大正生まれの女性のほとんどは、作者の母親と同様に、蔵書と言えるようなものの持ち合わせはないのである。本を読むような時間があったら、家族のために働くことがいくらでもあった。そんな時代の女性の社会的家庭的位置のありようを、掲句は曝書という意外な視点から静かに差しだしてみせている。そんなに遠くはない時代の話である。『式根』(2002)所収。(清水哲男)


June 2162004

 どしゃぶりと紛れぬていに滴れり

                           安東次男

語は「滴り」で夏。崖や岩、苔などを伝わってしたたり落ちる水滴のこと。雨によるものではなく、地表から滲み出た水のしたたりだ。夏場には、いかにも涼しげである。実景句と読めば、作者は山中の人だ。折悪しく雨降りとなり、それもどしゃぶりになってきた。そこで、しばし岩陰か、あるいは四阿(あずまや)のようなところに避難している。いずれにしても、大きな岩肌の見える場所だ。車軸を流すような雨のなかで、岩肌も水を走らせているのだが、よくよく見ると、そこには雨水の流れとははっきり違う滴りも混じっている。岩陰の苔が、常と変わらぬゆっくりとしたテンポで水滴を落しているのかもしれない。すなわち「どしゃぶりと紛れぬてい」で、滴りがいわば自己を主張している図である。観察力の繊細さが光る句と言えるだろう。が、一方で想像句として読んでも面白い。作者はたとえば書斎などの室内にいて、外は猛烈な雨である。ふと、かつて訪れて印象深かった山中での滴りの光景を思い出した。こんな雨があの山に降っているとしても、あれらの滴りは「紛れぬてい」で悠然と自己のペースを守りつづけているにちがいない。あくまでも凛とした山中の気配が、眼前に蘇ってくるのである。ところで「どしゃぶり」といえば、英語では「It rains cats and dogs.」と言うのだと、昔の教室で習った。愉快な表現だなとすぐに覚えてしまったのだけれど、しかし今日に至るまで、一度もこれを使った生きた英文にお目にかかったことがない。どうやら相当に古くさい言い方らしいのだが、使われた実例をご存知の方がおられたら、コンテクストも合わせて、ぜひともご教示いただきたい。『流』(1996・ふらんす堂文庫)所収。(清水哲男)




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