しまった。市の図書館が蔵書点検のため月末まで休館に。昨年も「しまった」だった。




2004ソスN6ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2262004

 家庭医学一巻母の曝書

                           須原和男

語は「曝書(ばくしょ)」で夏。梅雨が終わると、昔は多くの家で虫干し(むしぼし)をした。衣類などを陰干しして湿気を取り、黴や虫の害を防ぐためだ。このうち、書物を表の風に当てることを「曝書」と言う。生活環境の変化から、虫干しの光景も、いまではさっぱり見かけなくなった。句は、作者少年期の思い出だろうか。たくさんの本が並んでいるなかで、母の本と言えるものはたった一冊の「家庭医学」書であることに気がついたのだ。我が家にもあったけれど、病状に応じて原因と簡単な対処法が書かれていた。私が高熱を発したりすると、母がよく開いていた。分厚くて真っ赤な表紙の本だったことを覚えている。それが母親の唯一の本……。といっても、結局これは家族みんなのためにある本なのであって、そのことを思い出すと胸の奥がちくりと疼くのである。その疼きは、字足らずの下五に込められている。私の母は女学校出だが、それでも本らしい本は数冊くらいしか持っていなかった。祖母のことを思い出しても、本を読んでいる姿は見たことがない。昔の主婦は本など読んでいる時間はあまりなかったし、社会的にも女性の読書はうとまれる環境にあった。だから明治や大正生まれの女性のほとんどは、作者の母親と同様に、蔵書と言えるようなものの持ち合わせはないのである。本を読むような時間があったら、家族のために働くことがいくらでもあった。そんな時代の女性の社会的家庭的位置のありようを、掲句は曝書という意外な視点から静かに差しだしてみせている。そんなに遠くはない時代の話である。『式根』(2002)所収。(清水哲男)


June 2162004

 どしゃぶりと紛れぬていに滴れり

                           安東次男

語は「滴り」で夏。崖や岩、苔などを伝わってしたたり落ちる水滴のこと。雨によるものではなく、地表から滲み出た水のしたたりだ。夏場には、いかにも涼しげである。実景句と読めば、作者は山中の人だ。折悪しく雨降りとなり、それもどしゃぶりになってきた。そこで、しばし岩陰か、あるいは四阿(あずまや)のようなところに避難している。いずれにしても、大きな岩肌の見える場所だ。車軸を流すような雨のなかで、岩肌も水を走らせているのだが、よくよく見ると、そこには雨水の流れとははっきり違う滴りも混じっている。岩陰の苔が、常と変わらぬゆっくりとしたテンポで水滴を落しているのかもしれない。すなわち「どしゃぶりと紛れぬてい」で、滴りがいわば自己を主張している図である。観察力の繊細さが光る句と言えるだろう。が、一方で想像句として読んでも面白い。作者はたとえば書斎などの室内にいて、外は猛烈な雨である。ふと、かつて訪れて印象深かった山中での滴りの光景を思い出した。こんな雨があの山に降っているとしても、あれらの滴りは「紛れぬてい」で悠然と自己のペースを守りつづけているにちがいない。あくまでも凛とした山中の気配が、眼前に蘇ってくるのである。ところで「どしゃぶり」といえば、英語では「It rains cats and dogs.」と言うのだと、昔の教室で習った。愉快な表現だなとすぐに覚えてしまったのだけれど、しかし今日に至るまで、一度もこれを使った生きた英文にお目にかかったことがない。どうやら相当に古くさい言い方らしいのだが、使われた実例をご存知の方がおられたら、コンテクストも合わせて、ぜひともご教示いただきたい。『流』(1996・ふらんす堂文庫)所収。(清水哲男)


June 2062004

 恋人とポンポンダリアまでの道

                           坪内稔典

語は「(ポンポン)ダリア」で夏。英語のダリア名「Pompon」から来た名前だと言う。そんなに存在感のあるほうではない花だけど、よく見ると可憐で可愛らしい。しかし句の作者は、実物のポンポンダリアがどんな花かという知識を、さして読者に要求してはいないと思う。知っているにこしたことはない、という程度だ。というのも、句では「ポンポンダリア」の「ポンポン」が、ほとんど擬態語のように使われているからだ。恋人と並んで歩いている気分が「ポンポン」と弾むようなのであって、実物の花の様子は二の次という感じを受ける。だから、歩いてゆく先の道に実際に咲いていなくても構わない。とにかく、楽しくって「ポンポン」、わくわくして「ポンポン」なのである。そしてこの恋人同士は、ほとんど仲良しこよしみたいな関係で、セクシュアルな生臭さというものが一切ない。「ポンポン」が効いているからだ。二人はロウティーンくらいの年齢かとも思えるが、大人の恋人同士でも明るく軽い雰囲気で歩いていれば、やはりそれも「ポンポン」気分と言うべきか。いずれにしても、花の名前を擬態語に転化させて、人の気持ちの形容に使ったところが句のミソであり、楽しさである。この方法を応用すれば、たとえば「ぺんぺん草」だとか「きちきちバッタ」だとか、更には「ハリハリ漬け」なんかも、面白い句になりそうだ。いや、きっともうどこかの誰かが既に試みているに違いない。どんな具合に仕上がったのだろうか、読んでみたいな。『坪内稔典句集』(2003・芸林21世紀文庫)所収。(清水哲男)




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