今日の「余白句会」は禅林寺近くの三鷹市公会堂会議室で。偶然にも桜桃忌だつた。




2004ソスN6ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 1962004

 黒々とひとは雨具を桜桃忌

                           石川桂郎

十九歳の太宰治が女性と玉川上水で死んだのは、1948年(昭和二十三年)六月。入水したのは13日で、19日は遺体が見つかった日である。戦後三年目のことだった。当時の玉川上水は、いまと違って深くて流れも早く、土地の人は人喰い川と呼んでいたという。事実、都心から遠足に来た小学生が転落して溺れ、助けようとした教師が死んだ事件もあった。その先生の慰霊碑は、いまでも上水畔に見ることができる。句は桜桃忌が梅雨の最中であることを踏まえ、かつ戦後の暗鬱な世相をダブらせて詠まれている。太宰文学の暗さに、思いを馳せているのはもちろんだ。「黒々と」が、まことに骨太くそれを告げていて、頭を垂れた人々が戦後という雨期を影のように歩いてゆく姿が浮かぶ。このとき私は十歳で、遠く山口県の新聞で知った。当時の村では新聞の宅配はなく、すべての新聞は村役場まで届く。それを購読者は役場まで取りにいったものだが、私は毎日学校の帰りに寄って家の分を持ち帰っていた。そんなわけで、新聞はその日の日付のものではない。二日遅れか、あるいは三日遅れだったかの「朝日新聞」だった。小学生だったので、私が読めたのは漫画とスポーツ欄くらいだったけれど、太宰の入水のようなビッグ・ニュースだと大きく報じられたから、紙面にはタダゴトではない雰囲気が漂っていて、それで覚えているのだろう。他に紙面でよく覚えているは、同じ年の一月に起きた帝銀事件と、1950年(昭和二十五年)九月の伊藤律会見記だ。後者は三日後に記者のでっちあげとわかり、世間が騒然となった偽スクープ記事だった。日本共産党の大物・伊藤律はレッドパージで地下潜航中であったが、見出しは「姿を現した伊藤律氏 本社記者宝塚山中で問答」「徳田(球一)氏は知らない 月光の下 やつれた顔」というもの。縮刷版のこの日の社会面の中央部分は、いまでも削除されたまま白紙になっている。『合本俳句歳時記・新版』(1974・角川書店)所載。(清水哲男)


June 1862004

 アイスクリームおいしくポプラうつくしく

                           京極杞陽

語は「アイスクリーム(氷菓)」で夏。作者は京極子爵家の嫡流で、世が世であればお殿様であった。だからかどうなのか、この人の多くの句にはおっとりとしたところがある。一方で庶民の文芸である俳句は、技術的にはかなりトリッキーであり抜け目がない。生き馬の目を抜くような企みがある。おっとりと構えていると、置いていかれてしまいそうだ。だが、作者はそれを十分に承知の上で、終生さして俳句技術にとらわれることなく、おっとりを貫き通した俳人である。それも俳句様式への反逆というのではなく、ごく自然な気持ちで詠んでいるうちに、おのずとスタイルが定まったというふうだ。掲句などは典型で、どこにも企みは見られない。小学生の句かと見まがうほどに素直な詠みぶりだが、しかしやはり大人ならではの味がする。「アイスクリームおいしく」までは小学生でも、ポプラへと目を移す余裕は子供にはないからだ。しかも「おいしく」「うつくしく」と重ねて、アイスクリームとポプラがお互いを引き立て合っている。相乗効果で、ますます「おいしく」「うつくしく」感じられてくる。まことにおいしそうで美しそうではないか。こうしたいわば生の言葉を句に落ち着かせるためには、技術云々ではなくて、まずは作者の本心が生でなければ不可能だろう。世辞や社交辞令ではない本当の気持ちがなければ、生の言葉は浮いてしまう。腰がふらついてしまう。素材対象への素直で自然な没入。悲しいかな、私などにはそれがなかなかできないから、怖くて生の言葉は使えない。掲句を見つめていて、そういうことがよくわかった。『新俳句歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


June 1762004

 噴水の背丈を決める会議かな

                           鳥居真里子

語は「噴水」で夏。思わずクスリと笑いかけて、いや待てよ、これは大真面目な会議なんだなと思い直した。噴水の背丈をどれくらいにするかは、設計者の意図もあるだろうが、水不足などの外的条件も考慮しなければならない。会議を開いて、背丈を変更することも現実的にあり得ることだ。でも、なんとなく可笑しい。大の大人が何人も集まって、ああでもないこうでもないと長時間やり合う。傍目にはよほど深刻な問題を討議しているのかと見えるが、中味は何のことはない、噴水の背丈を何センチ縮めるかといった「問題」だった。なあんだ、というわけである。今度噴水の前を通りかかったら、この句を思い出してみたい。きっとじわりと、可笑しさがこみ上げてくるだろう。句の例に限らず、世の中にはどう転んでも、誰のためにもならないような会議が多すぎる。むろん、出席者にとってもだ。それも仕事のうちと割り切れればよいのだが、こんな会議に出るために生まれてきたんじゃねえやと、腹立たしくなる会議は私も何度も経験した。噴水の丈を決める会議のほうが、まだマシというような……。で、いつしか猛烈な会議嫌いになり、よほどの議題でもないかぎり逃げ回っていた時期もあった。俗に会議の多い会社はつぶれると言われたりするが、ある程度は真実を突いている言葉だろう。どうしようどうしようと集まること自体が、既に組織的動脈硬化が起きている証だからだ。が、掲句の舞台は、役所の公園管理課みたいなところだろうか。だったらつぶれる気遣いはないわけで、それだけ余計に始末が悪いと言える。『鼬の姉妹』(2002)所収。(清水哲男)




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