紫陽花男の小説。山本武臣『あじさいになった男』だった。久谷雉君、ありがとう。




2004ソスN6ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 1362004

 座席下に救命胴衣五月晴

                           津田清子

は「土佐日記」と題された連作の一句目。梅雨最中、案じていた天候が回復して青空が広がった。客室乗務員の説明通りに、座席の下には救命胴衣もちゃんと備わっている。備えあれば憂い無し、これで安心、幸先が良い。旅立ちの喜びが、素直に素朴に伝わってくる。二句目に「青杉山土佐の背骨のありありと」とあるので、船ではなく飛行機の旅と読むほうがよいだろうか。ただ臆病な私だけの感じ方かと思うが、飛行機にせよ船にせよ、乗るとすぐに救命胴衣のことを説明されると、途端に出発の喜びに翳りがさしてしまう。それまでは忘れていたことだけに、イヤな感じになる。というのも、救命胴衣が用意されていることと着用の仕方を教えられても、実際に触って試すことは禁じられているからだ。あれはいったい、どうしてなのだろうか。いざという場合に、半ばパニック状態のなかで冷静に説明を思い出して着用などできるものだろうか。到底、その自信はない。調べてみると、航空事故調査委員会が1982年に日航のJA8061型機が羽田沖に墜落した事故について、こんな報告書(建議書)を出していた。「JA8061の事故の場合、救命胴衣の所在場所が分からない乗客、救命胴衣の装着方法が分からなかった乗客が見受けられた。大型旅客機であっても、緊急着水した場合、海面に機体が浮いている時間は短く、一刻も早く救命胴衣を格納場所から取り出して、迅速かつ的確に装着し、適切な時機にこれを膨張させることが必要である。現在では、航空機内において客室乗務員が救命胴衣の装着デモンストレーションを行い、その格納場所を指示するなどしており、説明パンフレット等も座席後面のポケットの中に入っているが、JA8061の事故時の状況を省みるとき、救命胴衣に係る情報の乗客へのより一層の周知の方法について検討する必要がある」。その後どういうことが検討されたのかは知らないが、何かが変わったとは思えない。周知徹底は簡単なのに……。ただ「試着」させてくれさえすれば、それでよいのだからである。「俳句研究」(2004年7月号)所載。(清水哲男)


June 1262004

 鶏小屋の近くに吊す水着かな

                           藺草慶子

し早いが、海辺の民宿の図を。夕暮れ時だ。泳ぎ終えて民宿に引き揚げ、洗った水着を干している。いや、きちんと干すのではなく、ただ「吊す」だけのことだ。そして、そこは「鶏小屋」の近くだった。景としてはこれで全てだが、言外にある心理状態はそんなに単純ではない。図式化すれば、水着が非日常的な生活の側面を表しているのに対して、鶏小屋は反対に生活の日常的な部分を示している。つまり作者は何の気なしに非日常を日常の場所に持ち込んでしまったわけで、こういうときに人の心は微妙に揺れるのである。民宿を営んでいるその家の、夏場以外の日常のありようをふっとかいま見てしまったような、あるいは見てはいけないものを見てしまったような……。この鶏小屋は、客に新鮮な卵を提供するためにあるのではなく、家族の食卓のためにあるのだ。鶏小屋独特のむっとするような臭いの傍で、こういうところに遊びに来ている自分が、ちらりと申し訳ないような気持ちになったかもしれない。そっちは商売なんだし、こっちは客なんだから。リゾートホテルならそうも言えるが、民宿ではこの理屈は通しにくいのである。鶏小屋の存在を知ってしまった以上、宿の人との会話にも影響が出てくる。私も何度も民宿の厄介になったことがあるけれど、鶏小屋に当たったことはないにせよ、その家の思わぬ日常性に出会わなかったことはない。とくに小さな子供がいたりすると、日常性の露出度は高くなるから、苦手であった。掲句は、そんな民宿のありようをシンプルな取り合わせで捉えていて、その巧みさに膝を打ちたい思いで読んだ。『遠き木』(2003)所収。(清水哲男)


June 1162004

 一生の楽しきころのソーダ水

                           富安風生

語は「ソーダ水」で夏。大正の頃から使われるようになった季語という。ラムネやサイダーとは違って、どういうわけか男はあまりソーダ水を飲まない。甘みが濃いことも一因だろうが、それよりも見かけが少女趣味的だからだろうか。いい年をした男が、ひとりでソーダ水を飲んでいる図はサマになるとは言いがたい。だからちょくちょく飲んだとすれば、句にあるように「一生の楽しきころ」のことだろう。まだ小さかった子供のころともとれるが、この場合は青春期と解しておきたい。女性とつきあってのソーダ水ならば、微笑ましい図となる。喫茶店でソーダ水を前にした若い男女の姿を目撃して、作者はあのころがいちばん楽しかったなあと若き日を懐古しているのだ。むろん、味などは覚えてはいない。ただそのころの甘酸っぱい思いがふっとよみがえり、やがてその淡い思いはほろ苦さに変わっていく。年をとるとは、そういうことでもある。ある程度の年齢に達した人ならば、この句に触れて、では自分の楽しかった時代はいつ頃のことだったかと想起しようとするだろう。私もあれこれ考えてみて、無粋な話だが、青春期よりも子供の頃という結論に達した。ソーダ水の存在すら知らなかった頃。赤貧洗うがごとしの暮らしだったけれど、力いっぱい全身で生きていたような感じがするからだ。その後の人生は、あの頃の付録みたいな気さえしてくる。強いて当時の思い出の飲み物をあげるとすれば、砂糖水くらいかなあ。「砂糖水まぜればけぶる月日かな」(岡本眸)。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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