てっきり宝塚の舞台衣装かと思ったぜ。五輪開会式行進用の日本選手ユニフォーム。




2004年6月11日の句(前日までの二句を含む)

June 1162004

 一生の楽しきころのソーダ水

                           富安風生

語は「ソーダ水」で夏。大正の頃から使われるようになった季語という。ラムネやサイダーとは違って、どういうわけか男はあまりソーダ水を飲まない。甘みが濃いことも一因だろうが、それよりも見かけが少女趣味的だからだろうか。いい年をした男が、ひとりでソーダ水を飲んでいる図はサマになるとは言いがたい。だからちょくちょく飲んだとすれば、句にあるように「一生の楽しきころ」のことだろう。まだ小さかった子供のころともとれるが、この場合は青春期と解しておきたい。女性とつきあってのソーダ水ならば、微笑ましい図となる。喫茶店でソーダ水を前にした若い男女の姿を目撃して、作者はあのころがいちばん楽しかったなあと若き日を懐古しているのだ。むろん、味などは覚えてはいない。ただそのころの甘酸っぱい思いがふっとよみがえり、やがてその淡い思いはほろ苦さに変わっていく。年をとるとは、そういうことでもある。ある程度の年齢に達した人ならば、この句に触れて、では自分の楽しかった時代はいつ頃のことだったかと想起しようとするだろう。私もあれこれ考えてみて、無粋な話だが、青春期よりも子供の頃という結論に達した。ソーダ水の存在すら知らなかった頃。赤貧洗うがごとしの暮らしだったけれど、力いっぱい全身で生きていたような感じがするからだ。その後の人生は、あの頃の付録みたいな気さえしてくる。強いて当時の思い出の飲み物をあげるとすれば、砂糖水くらいかなあ。「砂糖水まぜればけぶる月日かな」(岡本眸)。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


June 1062004

 幾たりか我を過ぎゆき亦も夏

                           矢島渚男

分と一緒に並んで歩いていたか、あるいは少し後ろから来ていたか。気がつくと、そのうちの「幾たりか」は「我を過ぎゆく」ようにして、遠いところへ行ってしまっていた。同世代や年下の友人知己に死なれるのは、ことのほか辛い。年齢を重ねていくほどに、無情にもそういうことが起きてくる。万物の生命の炎が燃え盛る夏。作者は火が消えるように過ぎて行った人たちのことを思い出して、半ば茫然としつつ「亦(また)も夏」とつぶやいている。ここにあるのは、激情的な悲嘆でもなければ詠嘆でもない。いわば静謐な悲しみが、真っ赤な太陽の下を透明な水のように流れ過ぎてゆく。私にも、そうした「幾たりか」がある。そのうちの一人のことをふと思い出すことがあると、脈絡もなく他の何人かのことも思い出されてくる。知り合った場所も年代も違うのに、彼ら「幾たりか」は不思議なことにいつも共通の背景の前にいるかのようだ。そんなことはないのに、彼らがみな互いに友人であったかのようにも思えてくる。故人を思い出すとは、夢を見ることに似ているのだろうか。「半ば茫然」と作者の気持ちを解したのは、そういう気持ちからだ。そして、「亦も夏」。ここに他のどんな季節を置くよりも、生き残った者の悲しみが真っすぐに読者に近づいてくる。俳誌「梟」(第157号・2004年6月刊)所載。(清水哲男)


June 0962004

 汗ばむや桜の頃のいい話

                           清水径子

語は「汗ばむ」で夏。「桜」は「桜の頃」と、もはや過ぎ去った季節だから、この場合は季語ではない。試験に出すと、うっかりして間違える生徒がいそうだ。そしてこの「桜の季節」は、遠い過去のそれだろう。ということを、「いい話」が暗示している。「いい話」とは、むろん儲け話や美談の類いではない。自分に関わる、ちょっと秘密にしておきたい出来事のことである。出来事があった当時は「いい事」だったのだけれど、それが年月を経るにつれて「話」に変わってきたというわけだ。桜の頃の話だから、きっと浮き浮きするような出来事だったに違いない。若き日の恋の淡い思い出だろうか。ふっとその「いい話」を思い出して、青春のあの日あの時に戻ったように、自然に気持ちも身体も汗ばんできた。また掲句は、「でも、この話のことはナイショですからね」とも言っていて、いかにも女性らしい感性をのぞかせている。男には、逆立ちしても詠めっこない句だ。粗略かもしれないが、私の観察では、女性はいつまでもロマンチストであると同時にリアリストであることができる。男の場合には、たいていが猛烈なロマンチストとして出発はするが、いつの頃からかミもフタもないリアリストに転じてしまうようだ。夢と現実を共存させることができないのである。だから男には、たまに「いい事」があったとしても、ほとんどが「いい話」としては残らない理屈だ。『夢殻』(1994)所収。(清水哲男)




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