昨年7820件と、ひったくりの発生が28年連続全国ワースト1の大阪。なんでやろ。




2004ソスN6ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 1062004

 幾たりか我を過ぎゆき亦も夏

                           矢島渚男

分と一緒に並んで歩いていたか、あるいは少し後ろから来ていたか。気がつくと、そのうちの「幾たりか」は「我を過ぎゆく」ようにして、遠いところへ行ってしまっていた。同世代や年下の友人知己に死なれるのは、ことのほか辛い。年齢を重ねていくほどに、無情にもそういうことが起きてくる。万物の生命の炎が燃え盛る夏。作者は火が消えるように過ぎて行った人たちのことを思い出して、半ば茫然としつつ「亦(また)も夏」とつぶやいている。ここにあるのは、激情的な悲嘆でもなければ詠嘆でもない。いわば静謐な悲しみが、真っ赤な太陽の下を透明な水のように流れ過ぎてゆく。私にも、そうした「幾たりか」がある。そのうちの一人のことをふと思い出すことがあると、脈絡もなく他の何人かのことも思い出されてくる。知り合った場所も年代も違うのに、彼ら「幾たりか」は不思議なことにいつも共通の背景の前にいるかのようだ。そんなことはないのに、彼らがみな互いに友人であったかのようにも思えてくる。故人を思い出すとは、夢を見ることに似ているのだろうか。「半ば茫然」と作者の気持ちを解したのは、そういう気持ちからだ。そして、「亦も夏」。ここに他のどんな季節を置くよりも、生き残った者の悲しみが真っすぐに読者に近づいてくる。俳誌「梟」(第157号・2004年6月刊)所載。(清水哲男)


June 0962004

 汗ばむや桜の頃のいい話

                           清水径子

語は「汗ばむ」で夏。「桜」は「桜の頃」と、もはや過ぎ去った季節だから、この場合は季語ではない。試験に出すと、うっかりして間違える生徒がいそうだ。そしてこの「桜の季節」は、遠い過去のそれだろう。ということを、「いい話」が暗示している。「いい話」とは、むろん儲け話や美談の類いではない。自分に関わる、ちょっと秘密にしておきたい出来事のことである。出来事があった当時は「いい事」だったのだけれど、それが年月を経るにつれて「話」に変わってきたというわけだ。桜の頃の話だから、きっと浮き浮きするような出来事だったに違いない。若き日の恋の淡い思い出だろうか。ふっとその「いい話」を思い出して、青春のあの日あの時に戻ったように、自然に気持ちも身体も汗ばんできた。また掲句は、「でも、この話のことはナイショですからね」とも言っていて、いかにも女性らしい感性をのぞかせている。男には、逆立ちしても詠めっこない句だ。粗略かもしれないが、私の観察では、女性はいつまでもロマンチストであると同時にリアリストであることができる。男の場合には、たいていが猛烈なロマンチストとして出発はするが、いつの頃からかミもフタもないリアリストに転じてしまうようだ。夢と現実を共存させることができないのである。だから男には、たまに「いい事」があったとしても、ほとんどが「いい話」としては残らない理屈だ。『夢殻』(1994)所収。(清水哲男)


June 0862004

 恍惚と蟻に食はれて家斃る

                           冨田拓也

語は「蟻」で夏。常識的にはシロアリだろうが、イメージ主体の句だから、むしろ普通の蟻と読んだほうが面白いかもしれない。食われて斃(たお)れたのは、家だ。だが、斃れたのは実は人間でもある。「恍惚として」の修辞が、そのことを告げている。暗いユーモア、ないしは自虐の悦楽とでも言えばよいのか。斃れることがわかってはいても、進行していく愉楽の誘惑を断ちきれない。そういうところが、私たち人間には、確かにあるのだ。傍からすればみじめな結果と見えようが、当人にはいわば豪奢な滅びの喜びと思える一瞬が……。そうした黒い感受性の上に想像を広げるのは自由詩の得意とするところで、俳句ではなかなかに難しい。俳句が短いこともあるけれど、もう一つ、俳句は元来が座の文芸だからである。たとえひとりで家に籠って詠むとしても、根本的に座と切れるわけにはいかないのだ。このときに、座は体面を重んじる。体面と言っても、いわゆる世間体とはちょっと違う。世間体も含むが、座を形成している社会的なコンセンサスを崩さないところに、体面尊重の必要が生じてくるということだ。したがって、ひとり恍惚としていては体面から外れてしまう。つまり、座を崩すことになる。その意味で、掲句は俳句としてきわめて危うい場所に立っていると読めた。表面的には体面を保っているのだが、真意は単なる家の倒壊を越えた、更に先の地点に置かれているとしか考えられないからだ。その地点は、明らかに体面などどうでもよろしい場所だからである。作者は二十四歳。第一回芝不器男新人賞受賞句集『青空を欺くために雨は降る』(2004)所収。(清水哲男)




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