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2004N66句(前日までの二句を含む)

June 0662004

 水郷の水の暗さも梅雨に入る

                           井沢正江

語は「梅雨に入る(入梅)」で夏。「水郷」は、大河川の中・下流の低湿な三角州地域で、水路網が発達し、舟による交通が発達している地域。利根川、信濃川、木曽川、筑後川などの中・下流地方、作者はたしか関東の人だから、潮来あたりの光景だろうか。晴れていれば水面に光が反射して明るい地方だけに、今日は水も暗く、よけいに周辺も暗く感じられると言うのだ。いかにも入梅らしい雰囲気を大きく捉えていて、見事である。ただし、句の情景に雨は降っていない。「えっ、入梅なのに」と訝しく思うむきもあろうが、降っているのならば、わざわざ水の暗さを持ち出すこともないだろう。いまにも雨が来そうだ、という趣きなのである。俳句で「入梅」というときには、多く暦の上でのそれを指すので、実際の降雨とは関係がない。立春から数えて百三十五日目の日のことであり、八十八日目を八十八夜と言うのと同じ数え方だ。ちなみに、今年の暦の上での「入梅」は六月十日にあたっている。なぜ実際に梅雨に入るかどうかもわからないのに暦に設定したのかと言えば、農事上の必要からであった。むろん天気予報などはなかった時代だから、長い雨期に入るのがいつごろからなのか、おおよさの目安を知って、農作業を進める必要があったからである。長雨による水害への備えも、大事な仕事だった。現代では「入梅」イコール「気象的な入梅」とする句も多いが、古い句を読むときには、とくにこの点には注意しなければならない。『合本・俳句歳時記』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


June 0562004

 昼顔につき合ひ人を待つでなく

                           林 朋子

語は「昼顔」で夏。野山や路傍、どこにでも咲いている。薄紅の花の色は可憐だが、あまりにも咲きすぎるせいか、珍重はされないようだ。句は、わざわざそんな「昼顔」につき合って、誰を待つでもなく道端に佇んでいる。といっても実際に路傍に立っているのではなくて、夏の午後のけだるい時間をシンボリックに詠んだのだろう。なるほど、けだるさには昼顔がよく似合う。この句を読んで、ちょっと思うことがあった。実景ではないと読んだけれど、仮に実景だとすれば、作者以外にはどんな光景に写るだろうかということだ。想像するだけで、なんとなく奇異な様子に見えるのではないだろうか。まさか昼顔につき合っているとは知らないから、道端に人がひとり何をするでもなく長い時間立っていれば、ついつい変に思ってしまうのが人情だからである。最近よく散歩をするようになって気がついたのは、いかにこの人情なるものが散歩者の気分を害するかということだった。天下の往来である。走ろうが立ち止まろうが当人の勝手のはずが、そうじゃない。歩き疲れてしばし佇んでいるだけで、必ずどこからか猜疑という人情のまなざしが飛んでくる。立ち話をしている主婦たちの目が、ちらちらとこちらを伺っていたりする。そんなときには仕方がないから、しきりに腕時計を見るふりをすると、多少は猜疑の目も和らぐようだ。携帯電話は持っていないが、こんなときにはさぞかし便利だろう。ともかく、人通りのない山道ででもないかぎり、人は道で一分と動かずに立っていることはできない。堂々と立ち止まれるのは、ゆいいつ信号のある交差点だけである。嘘だと思ったら、どうかお試しあれ。『眩草』(2002)所収。(清水哲男)


June 0462004

 線路越えつつ飯饐る匂ひせり

                           加倉井秋を

語は「飯饐る(めしすえる)」で夏。いまは冷蔵庫の普及でこういうこともほとんどなくなったが、昔の夏場の「飯」の保存は大変だった。一晩置いておくと汗をかいてしまい、匂いを放つようになる。この状態を越えると腐敗がはじまってしまうので、飯びつにフキンをかけたり飯笊を使ったり、はたまた井戸に吊るしたりして対策を講じたものだ。句は、郊外の小さな踏切での情景だろう。無人踏切かもしれない。周辺には、夏草が茂り放題だ。そんな「線路」を越えていると、どこからか飯の据えた匂いが漂ってきた。およそ生活臭とは無縁の場所だから、おやっと思うと同時に、何かほっとするものを感じたと言うのである。郷愁というほど大袈裟な気持ちではないが、それに通じる淡い感情が作者の胸をすっと横切った。夏の日の微妙にして微細な心の綾を描いていて、それこそ郷愁を誘われる読者も多いだろう。余談になるが、先日CDで柳家小三治のトークライブなるものを聴いていたら、なかで飯をていねいに洗って食べる人の話が出てきた。むろん、饐えているからである。昔の話ではない、れっきとした現代の話だ。話のタネは、彼が借りている駐車場に住みついたホームレスの男のあれこれだった。アッと思った。もともとフリートークの上手い噺家だが、この話は抜群の出来である。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)他に所載。(清水哲男)




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