刃物を遠ざける教育は他方で刃物の怖さをも遠ざける。やりきれない事件が続く。




2004ソスN6ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0362004

 えごの花大学生だ放つておけ

                           田中哲也

語は「えごの花」で夏。全国的に分布。ちょうどこの季節くらいに、白い可憐な花をたくさん咲かせる。よくわからないのだが、なんとなく気になってきた句だ。わからないのは、「大学生だ放つておけ」と言っている主体が不明だからである。むろんせんじ詰めれば作者の発語になるわけだけれど、句の上では「えごの花」の言と解すべきなのだろうか。花は高いところで咲いていて、いつも人の動きを見下している。折りから通りかかった若者のグループに、たとえば言い争っているとか道に迷っているらしいとか、何らかのトラブルを抱えている様子が見て取れた。心配顔で見ているうちに、彼らが大学生だとわかってきた。そこで「なあんだ、大学生なら放っておけ」と言い捨てたのだが、この言い方は現代の大学生の世間的な位置を示していて面白い。教養のある若者たちだから、傍が放っておいても自力で何とかするだろう。という信頼感の現われであると同時に、モラトリアム世代の呑気な連中だから、多少は痛い目にあっても知ったことかという軽侮の心理が同居しているからだ。戦前の「学士様ならお嫁にやろか」「末は博士か大臣か」と下世話にもてはやされた学生像とは、その是非は置くとして、大変な変わりようではある。掲句にそのような感慨は含まれていないが、現代の大学生一般の存在感の軽さをよく言い止めているのではなかろうか。「えごの花」の花期は短い。作者はそのうつろいやすさを、大学生像に投影しているのかもしれない。『碍子』(2002)所収。(清水哲男)


June 0262004

 脉のあがる手を合してよ無常鳥

                           井原西鶴

語は「無常鳥(ホトトギス・時鳥)」で夏。作者は三十四歳のとき(延宝3年・1675)に、二十五歳の妻と死に別れた。そのときに、一日で独吟千句を巻いて手向けたなかの一句だ。西鶴の句を読むには、いささかの知識や教養を要するので厄介だが、句の「無常鳥」も冥土とこの世とを行き来する鳥という『十王経』からの言い伝えを受けている。妻が病没したのは、折しもホトトギス鳴く初夏の候であった。あの世に飛んでいけるホトトギスよ、妻はこうして脉(みゃく)のあがる(切れる)手を懸命に合わせています。どうか、極楽浄土までの道のりが平穏でありますように見守ってやってください、よろしくお頼み申し上げます。と、悲嘆万感の思いがこもっている。速吟の一句とは思えない、しっとりとした情感の漂う哀悼句だ。この後すぐに西鶴は剃髪して僧形となったが、仏門に入ったのではなく、隠居したことを世間に周知せしめるためだったという。二人の間の三人の子供のうち二人は早死にし、残った娘ひとりは盲目であった。単行本になったら読もうと思っていて、実はまだ読んでいないのだが、いま富岡多恵子が文芸誌「群像」に西鶴のことを断続的に書き継いでいる。同時代人の芭蕉に比べると、西鶴については書く人が少ないのは残念である。もっともっと、現代人にも知られてよい人物とその仕事ではなかろうか。(清水哲男)


June 0162004

 六月を奇麗な風の吹くことよ

                           正岡子規

書に「須磨」とある。したがって、句は明治二十八年七月下旬に、子規が須磨保養院で静養していたときのものだろう。つまり、新暦の「六月」ではない。旧暦から新暦に改暦されたのは、明治六年のことだ。詠まれた時点では二十年少々を経ているわけだが、人々にはまだ旧暦の感覚が根強く残っていたと思われる。戦後間もなくですら、私の田舎では旧暦の行事がいろいろと残っていたほどである。国が暦を換えたからといって、そう簡単に人々にしみついた感覚は変わるわけがない。「六月」と聞けば、大人たちには自然に「水無月」のことと受け取れたに違いない。ましてや、子規は慶応の生まれだ。須磨は海辺の土地だから、水無月ともなればさぞや暑かったろう。しかし、朝方だろうか。そんな土地にも、涼しい風の吹くときもある。それを「奇麗(きれい)な風」と言い止めたところに、斬新な響きがある。いかにも心地よげで、子規の体調の良さも感じられる。「綺麗」とは大ざっぱな言葉ではあるけれど、細やかな形容の言葉を使うよりも、吹く風の様子を大きく捉えることになって、かえってそれこそ心地が良い。蛇足ながら、この「綺麗」は江戸弁ないしは東京弁ではないかと、私は思ってきた。いまの若い人は別だが、関西辺りではあまり使われていなかったような気がする。関西では、口語として「美しい」を使うほうが普通ではなかったろうか。だとすれば、掲句の「綺麗」は都会的な感覚を生かした用法であり、同時代人にはちょっと格好のいい措辞と写っていたのかもしれない。高浜虚子選『子規句集』(岩波文庫)所収。(清水哲男)




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