今月の看板は柄にもなく「花」シリーズ。すべて黒バックがミソといえばミソか。




2004年6月1日の句(前日までの二句を含む)

June 0162004

 六月を奇麗な風の吹くことよ

                           正岡子規

書に「須磨」とある。したがって、句は明治二十八年七月下旬に、子規が須磨保養院で静養していたときのものだろう。つまり、新暦の「六月」ではない。旧暦から新暦に改暦されたのは、明治六年のことだ。詠まれた時点では二十年少々を経ているわけだが、人々にはまだ旧暦の感覚が根強く残っていたと思われる。戦後間もなくですら、私の田舎では旧暦の行事がいろいろと残っていたほどである。国が暦を換えたからといって、そう簡単に人々にしみついた感覚は変わるわけがない。「六月」と聞けば、大人たちには自然に「水無月」のことと受け取れたに違いない。ましてや、子規は慶応の生まれだ。須磨は海辺の土地だから、水無月ともなればさぞや暑かったろう。しかし、朝方だろうか。そんな土地にも、涼しい風の吹くときもある。それを「奇麗(きれい)な風」と言い止めたところに、斬新な響きがある。いかにも心地よげで、子規の体調の良さも感じられる。「綺麗」とは大ざっぱな言葉ではあるけれど、細やかな形容の言葉を使うよりも、吹く風の様子を大きく捉えることになって、かえってそれこそ心地が良い。蛇足ながら、この「綺麗」は江戸弁ないしは東京弁ではないかと、私は思ってきた。いまの若い人は別だが、関西辺りではあまり使われていなかったような気がする。関西では、口語として「美しい」を使うほうが普通ではなかったろうか。だとすれば、掲句の「綺麗」は都会的な感覚を生かした用法であり、同時代人にはちょっと格好のいい措辞と写っていたのかもしれない。高浜虚子選『子規句集』(岩波文庫)所収。(清水哲男)


May 3152004

 濡れるだけ濡れて帰る子てまりばな

                           坂石佳音

語は「てまりばな(繍毬花・手毬花)」で夏。別名、おおでまり。我が家の近辺では「こでまり」はよく見かけるが、「おおでまり」は見たことがない。何度か行った陸奥では、逆に「おおでまり」が多かった。葉も花の形も、ちょっと紫陽花に似ている。そういうこともあってか、雨に似合う花だ。そんな白い花が咲いている道を、子供が「濡れるだけ濡れて」帰っていく。駆けているのでもなく、とくに急ぎ足というのでもない。覚悟を決めたと言わんばかりに、普通の速度で歩いている。家が遠いのだろう。作者は擦れ違ったのか、それとも縁先辺りから見ているのだろうか。いずれにしても、ずぶぬれの子を可哀想だと思うよりも、むしろ一種の小気味よさを感じているのだ。白秋の童謡では雨に降られた子を「ヤナギノネカタ」で泣かせたりしているが、そうしたセンチメンタルな印象を微塵も与えない子供の姿に、大いに感じ入っている。最近では見かけない光景だが、昔の田舎道ではしばしば見かけた。いや、見かけたどころか、自分が「濡れるだけ濡れ」たことは何度もある。もうジタバタしてもはじまらないと、ずぶぬれで歩いている気持ちは、あれでけっこう爽やかなものだ。慌てず騒がず、いささかヒロイックな気分すらしてきた。濡れた服や靴の後始末を考えなくてもよいという特権もあったけれど、少しく日常性を逸脱した行為が嬉しかったのだと思う。子供は掟破りが好きなのだ。かつて子供だった作者は、見かけだけではなく、そうした子供心にも思いを巡らせているのではあるまいか。(清水哲男)


May 3052004

 交響曲運命の黴拭きにけり

                           野見山朱鳥

語は「黴(かび)」で夏。決して大袈裟ではなく、掲句をパッと理解できる人は、国民の半分もいないだろう。俳句もまた、年をとる。年を重ねるにつれて、詠まれた事象や事項が古くなり、忘れられ、新しい世代の理解が得られなくなる。淋しいことではあるが、仕方のないことでもある。「交響曲運命」はベートーベンの曲だが、ここではその曲の入ったレコードのことを言っている。それも、蓄音機で聴くSP(Standard Play)盤だ。SP盤の材質にはカーボンに混ぜて貝殻虫の分泌液が使われていたので、梅雨期にはよく黴が生えたし、ダニの温床になることすらあったという。だからこうして黴を拭う必要があったわけで、たまたまそれが「運命」という曲であっただけに、作者はさながらおのが運命を念入りに拭ったような晴朗の心持ちを覚えたのだろう。いまのCDとは違って、SP盤は割れやすかったし、交響曲などの長い曲は何枚組にもなっていた。それらを一枚いちまい拭い陰干しにしたりと、実に丁寧に取り扱って聴いた。だから聴く時には、まさに傾聴というにふさわしい聴き方をしていたのである。音楽好きの私の先輩などが、例外なく交響曲のディテールに詳しいのも、このためだろう。SP盤がLP(Long Play)盤にほぼ取って代わられたのは、1960年(唱和三十五年)と言われている。とすれば、既に四十数年前のことだ。多くの人に、掲句がわからなくても無理はない。なお、この句については一度書いたことがあるが、少し感想が動いたので再掲することにした。『天満』(1954)所収。(清水哲男)




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