今月の看板は「○○の日」にちなんでいます。今日は「日本気象協会創立記念日」




2004年5月10日の句(前日までの二句を含む)

May 1052004

 ビール麦と聞けば一入麦の秋

                           酒井康正

ちめん、黄金色に染まった麦畑。作者はビール好きなのだろう。実っているのが「ビール麦」だと聞き知って、なおさらにその美しさが「一入(ひとしお)」目に沁みている。いや、既に喉元あたりに沁みているのかもしれない。と、これは冗談だが、私のようなビール党にはよくわかるし、嬉しい句だ。俗に言うビール麦は大麦の種類の一つで、通常は「二条大麦」という品種を指す。麦飯などに使う「六条大麦」よりも粒が大きく揃っていて発芽力も強いので、ビールの原料には適しているそうだ。これをモルツにしてからホップを加えて醸造するわけだ。ただ残念なことに、私はビール麦の畑を見たことがない。見ただけで小麦と大麦との識別がつくように、ビール麦かどうかはすぐにわかるものなのだろうか。調べてみると、二条大麦の大産地は北九州地方だという。ちょうどこの週末に久留米市に出かける用事があるので見てきたいが、この地方の二条大麦は醸造用ではない(家畜飼料用など)という資料もあって、このあたりは地元の人に聞いてみなければと思う。相棒のホップについては数年前に遠野市(岩手県)で見ることができ、それこそ「一入」目に沁みたのだった。ビールの本場ドイツのホップ畑の広大さは聞いているが、ビール麦畑もさぞや壮観だろうな。書いているうちに、ミュンヘンあたりの古い天井の高いビャホールで、楽士たちに「リリー・マルレーン」でもリクエストして一杯やりたくなってきた。「ゲルマン攻めるにゃ刃物はいらぬ、ビールがたっぷりあればいい」。イカン、イカン。『百鳥俳句選集・第1集』(2004)所載。(清水哲男)


May 0952004

 苺ジャム男子はこれを食ふ可らず

                           竹下しづの女

語は「苺」。春の季語と思っている人も多いだろうが、また実際に春先から出回るが、本来の苺の旬は夏だ。冬苺を除いて、野生のものはすべて夏に熟成する。詠まれたのは、昭和十年代初期と思われる。日中戦争が拡大しつつあった時期であり、軍国日本が大いに称揚された世相下であった。すなわち、日本男子たるものは軟弱であってはならぬと戒められた時代の句だ。「苺ジャム」のように甘くてべとべとしたものを好むようでは、ロクな男にはならないぞ。そう作者は警告しているわけだが、夫が急逝したために、女手ひとつで二男三女を育て上げた作者の気概は、おそらく一般男子に向いていたのではなく、息子たちにこそ向けられていたのだろう。この姿勢を「軍国の母」の一典型と見るのはみやすいが、当時の世相の中で、息子たちが人並み以上の立派な日本男子になってほしいと鼓舞する気持ちには、打たれるものがある。何かにつけて、父親がいないせいだと後ろ指などさされたくはない。そのためには、日頃の立居振る舞いから衣食住生活にいたるまで、おさおさ怠りのないようにと、母は二人を叱咤するのである。愚かだと、誰がこの明治の母を嗤えるだろうか。それはそれとして、総じて男は辛党であり女は甘党であるという迷信が、いまだに生きつづけているというのも不思議な話だ。男がひとりで甘味屋に入ると怪訝な顔をされるし、女ひとりが居酒屋で一杯やるのには勇気がいりそうだ。私自身は辛党に分類されるはずだけれど、甘いものが嫌いなわけじゃない。大学に入ったころ保田與重郎の息子と友だちになり、かの日本浪漫派の主軸邸で汁粉食い大会をやらかしたことを思い出した。しかし、以後はだんだんと世間体をはばかりはじめて、いつしか諾々と迷信に従ってしまった結果の辛党であるようだ。この主体性無き姿勢をこそ、私の常識では軟弱と言うしかないのだが。『女流俳句集成』(1999)所載。(清水哲男)


May 0852004

 長身めく一薫風の鳴り添ひて

                           香西照雄

語は「薫風(くんぷう)」で夏。「鳴り添ひて」というのだから、そよ風ではない。青葉若葉をそよがせて、さあっと吹いてきた強めの風だろう。その風を全身に受けて、作者は瞬間「長身めく」思いがしたというのである。すっと身長が伸びたような感覚。薫風のすがすがしさを詠んだ句は多いが、「長身めく」とはユニークな捉え方だ。しかし、言われてみればなるほどと合点がいく。すがすがしい気持ちは、辺りをちょっと睥睨(へいげい)したくなるような思いにつながるからだ。でも、これはおそらく男だけに備わった感受性でしょうね。女性には睥睨したいというような欲求は、ほとんどないような気がします。身長といえば、私は小学生のころまでは、クラスでも低いほうだった。中学に入って少し伸び、やっと真ん中へんだったか。それが高校生になるころから急に伸びはじめて、あれよという間に170センチを越えてしまい、クラスでも高いほうになってしまった。だが、学校ではともかく、街中でも電車の中でもちっとも「長身めく」といった感じはなかった。通っていた高校が基地の街・立川にあり、家の最寄り駅がこれまた基地の街・福生だったから、周囲にはいつも背の高いアメリカ兵がうようよしていたからである。電車の中で、どうかすると彼らの集団に巻き込まれてしまうことがあり、そうなると見えるのはもうゴツい背中や胸板だけになってしまう。通い慣れた車内とはいえ、とても心細いような気になったことを思い出す。「背の高い奴は気の毒だ。雨になれば先に濡れるからさ」「でも、先に乾くじゃないか」。そんな漫才もあったっけ。『俳諧歳時記・夏』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)




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