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April 2742004

 畑打つや土よろこんでくだけけり

                           阿波野青畝

語は「畑打(つ)」で春。農作業のはじまりだ。鍬で耕していくはしから、冬の間は眠っていた「土」が、自分の方から「よろこんで」砕かれていくというのである。むろん実際には作者が喜びを感じているのだが、それを「土」の側の感情として捉えたところがユニークで面白い。こうした耕しの際の喜びは、体験者でないとわかりにくいだろう。よく手入れの行き届いた肥沃な畑でないと、こうはいかない。日陰で痩せた畑の土は、絶対によろこばない。鍬の先で砕けるどころか、団子のように粘り着いてきて往生させられる。痩せた田畑しか持てなかった農家の子としては、なんとも羨ましい句に写る。畑にかぎらず土は生きものだから、気候が温暖で水はけが良く、しかもこまめに手入れされていれば、人馬一体じゃないけれど、人と土との気持ちが通いあうように事が進んでゆく。野球やスポーツのグラウンドとて、同じこと。同じグラウンドとはいっても、河川敷などのそれとプロが使うそれとでは大違いだ。例えて言えば、草野球のグラウンドがブリキかトタンの板だとすると、プロ用のそれはビロードの布地である。立った印象が、それほどに違う。そのかみのタイガースの三塁手・掛布雅之は守備位置の土(砂と言うべきか)をよくつまんでは舐める癖があったけれど、あんな真似は河川敷ではとてもできない。というか、誰だってとてもそんな気にはなれっこない。やはりビロードの土だからこそ、無意識にもせよ、ああいうことができたのだろうと思う。『万両』(1931)所収(清水哲男)


April 1242005

 ごくだうが帰りて畑をうちこくる

                           小松月尚

語は「畑打(つ)」で春。「ごくだう」は「極道」だが、この場合は「極道息子」くらいの意味だろう。ぷいっと遊びにいったきり、何日も戻らないこともしばしばだ。近所でもなにかと噂の、他家の不良青年である。それがいつ舞い戻ってきたのか、今日は畑に出て神妙に耕している姿を見かけた。「うちこくる」は方言だろうか。私にはいまひとつ理解しにくい言葉だが、「こくる」の勢いからして、懸命に耕している様子に近いニュアンスではないかと思う。すなわち、彼の耕している姿からすると、もうすっかり心を入れ替えましたと言わんばかりの働きぶりなのだ。でも、この句は「ごくだう」が真面目になってよかった、これでいままでのことは帳消しになるなどと言っているのではあるまい。彼が黙々と「うちこく」れば「うちこくる」ほどに、いつまで続くだろうかという猜疑の心が頭をもたげてくるのである。あんなに急に入れ込んでは、長続きはしそうもないなと読んでいる。そう思うのは、べつに意地悪からではない。私の田舎では、そんな人間のことを「このへんの風(ふう)に合わない」と言っていた。狭い村落共同体の生活を嫌って一度でも飛び出した者は、なかなか元には戻れないものなのだ。そんな若い衆が何人か、私の周辺にもいた。たしかに彼らは村の風とは異なる雰囲気を持っていたし、実家とはすったもんだを繰り返していたようだ。「ごくだう」ではなく「げど(外道)されめ」とののしられつつ、やはり同じように「うちこく」っていた彼らの姿を懐かしく思い出す。『新日本大歳時記・春』(2000・講談社)所載。(清水哲男)


April 1142007

 畑打つや中の一人は赤い帯

                           森 鴎外

先の陽をいっぱいに浴び、人がせっせと畑を打つ風景。それはかつての春の風物詩であった。今はおおかた機械化されてしまって、こうした風景はあまり見られなくなった。年々歳々田や畑から失われていった農村風景である。まだ冬眠をむさぼっている蛙などがあわてて跳び出したり、哀れ鍬の犠牲になったり・・・・鴎外は現場のそんな残酷物語にまで視線を遊ばせることはない。畑のあちらこちらで鍬を振るう姿が散見されるなかで、一人だけ赤い帯をきりりと締めて黙々と畑を打っている女性に目を奪われた。農家の若い嫁さんが、目立つ赤い帯をして農作業をしている姿は、私の目の隅っこにも鮮やかに残っている。野良仕事のなかにも、女性のおしゃれは慎ましくもしっかり息づいていた。何かの折に目にした光景であろうか、鴎外にしてはやわらかいハッとした驚きが生きている。鴎外に対する先入観とのズレを感じさせるような、その詠いぶりに興味をおぼえた。鴎外は俳句もたくさん残している。同じように農村風景を題材にした句に「うらゝかやげんげ菜の花笠の人」がある。初めて尾崎紅葉に紹介されたとき、鴎外はこう言ったという。「長いものは秋の夜と鴎外の論文、短いものは兎の尾と紅葉の小説」。紅葉の俳句もよく知られているが、「長いもの」と自らを皮肉った鴎外が、いっぽうで短詩型に親しんだというのも皮肉?『鴎外全集』19(1973)所収。(八木忠栄)


March 1132014

 なほ続く風評被害畑を打つ

                           深見けん二

昨年秋にいわき市のホテルに宿泊した際の朝食のご飯は福島産と他県産が区別されていた。昨年末も同じだった。現在の風評被害の最たるものは、3年前のこの日に起きた東日本大震災を発端とした原発事故によるものだろう。風評とは根も葉もない噂のこと。噂は正しい情報を得ていない不安から引き起こされる。きれいな大地が戻ることを誰もが願い、春になれば種を蒔き、秋になれば収穫の喜びを分かち合う。土と生きる者として、あたりまえの幸せが叶えられない。種蒔きの準備のため土を耕す畑打ち。鍬を打つたび、黒々とした土が太陽の下にあらわれる。やがて大地はふっくらと種を待つ。(土肥あき子)


February 2422016

 荒畑を打つや突風兒を泣かせ

                           鷲巣繁男

役を終えて戦後帰還した繁男は、北海道に開拓者として入植した。農民出身でなかった本人も家族も、酷寒の地で開拓者として生きたことは想像を絶する。突風のなかに兒を置いたまま、荒地を開墾し荒畑の耕作に精出さざるを得なかった。その時代のことを詠んでいる。中国戦線で羅病して、市川市の国府台陸軍病院入院中に俳句を始めたらしい。樽見博によると「富澤赤黄男が創刊した「火山系」の同人であった」。赤黄男の「天の狼」刊行の実務にかかわった一人である。のち繁男は北海道から大宮へ移った。そのころ私は編集者として初めてお目にかかった。そのときのことをはっきり記憶している。市ヶ谷駅まで出迎え会社まで一緒に歩いた10分間、なぜか黒いタキシードを着た彼は、休むことなく息切らせながらしゃべりつづけた。その後、『記憶の書』や『詩の榮譽』をはじめ何冊かを私は編集担当したが、彼の超ロングの電話には、勤務中何回も付合わされた。それは知る人ぞ知るで、同じことを言う人は他にも多かった。そのことも含めて、今や懐かしい稀有なる超人であった。赤黄男のことはよく聞かされた。他に「切株に兒が泣きのこる畝畦幾重」があり、舊句帖『石胎』がある。「鬣」57号(2015)所載。(八木忠栄)




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