新緑の季節には、昔の会社倒産時を思い出す。青葉に赤旗がよく映えた。茫々。




2004ソスN4ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 2142004

 山国の蝶を荒しと思はずや

                           高浜虚子

語は「蝶」で春。作者は「思はずや」と問いかけてはいるが、べつだん読者にむかって「思う」か「思わない」かの答えを求めているわけではない。この質問のなかに、既に作者の答えは含まれている。「山国の蝶を荒し」と感じたからこそ、問いかけの形で自分の確信に念を押してみせたのだ。「きっと誰もがもそう思うはずだ」と言わんばかりに……。優美にして華麗、あるいは繊細にして可憐。詩歌や絵画に出てくる蝶は多くこのように類型的であり、実際に蝶を見るときの私たちの感覚もそんなところだろう。ところが「山国の蝶」は違うぞと、掲句は興奮気味に言っている。山国育ちの蝶は優美可憐とはほど遠く逞しい感じで、しかも気性(蝶にそんなものがあるとして)は激しいのだと。そしてここで注目すべきは、、蝶の荒々しさになぞらえるかのように、この句の表現方法もまた荒々しい点だ。そこが、作者いちばんの眼目だと、私には思われる。すなわち、作者の得意は、蝶に意外な荒々しさを見出した発見よりも、むしろかく表現しえた方法の自覚にあったのではなかろうか。仮に内容は同じだとしても、問いかけ方式でない場合の句を想像してみると、掲句の持つ方法的パワーが、より一層強く感じられてくるようだ。まことに、物も言いようなのである。これは決して、作者をからかって言うわけじゃない。物も言いようだからこそ、短い文芸としての俳句は面白くもあり難しくもあるのだから。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)(清水哲男)


April 2042004

 亡き人の表札いまも花大根

                           森 みさ

語は「花大根(大根の花)」で春。こういう光景を、かつて見たことがあるような……。実際に見たことはないのかもしれないが、そんな郷愁を感じさせてくれる句だ。晩春、大根は菜の花に似た形の花をつける。種を採るために畑に残しておく大根だから、数はそんなに多くはない。多くないうえに白い地味な花なので、ひっそりとした寂しいような味わいがある。ひそやかに白い花を咲かせた畑を前に建つ家も、こじんまりとした目立たないたたずまいなのだろう。「表札いまも」というのだから、この家の主人が亡くなってからかなりの月日の経っていることがわかる。亡くなってからも表札を掛け替えがたく、一日伸ばしにしている遺族の心情が思われて、いよいよ花大根が目に沁みるのである。同時に、表札の主が存命であったころの様子もしのばれ、ご当人が今そこにひょいと現れそうな感じもしている。毎春相似た場所に相似た花をつける大根が時間の経過を忘れさせてしまい、その間に人が亡くなったことなどが嘘のようにも思われるのだ。周囲に人気のない静かな田舎の春の午後のスケッチとして、表札という思いがけない小道具を使いながらも、確かなデッサン力を示している。良い句です。表札でふと思い出したが、戦争中には表札の隣りに並べてかける「出征軍人表札」なるものがあった(これも実際に見たのか、後の学習で覚えたのかは定かではないけれど)。日の丸の下に「出征軍人」と大書してあり、出生兵士を送り出している家がすぐにわかるようになっていた。むろん国家は名誉のしるしとして配ったのだろうが、日々哀しく見つめていた人もたくさんいたことだろう。表札もまた、いろいろなことを物語る。『今はじめる人のための俳句歳時記・春』(1997・角川mini文庫)所載。(清水哲男)


April 1942004

 一本もなし南朝を知る桜

                           鷹羽狩行

年の桜の開花は、全国的に早かった。もうすっかり葉桜になってしまった地方も多いだろう。句は「吉野山」連作三十八句のうち。吉野の桜はシロヤマザクラだから、ソメイヨシノに比べて開花は遅いほうだが、ネット情報によれば、今年は既に先週末から奥千本も散りはじめているという。この週末までも、もちそうにない。句意は明瞭。南朝は14世紀に吉野にあった朝廷だから、樹齢六百年以上の桜の木でもないかぎり、当時のことは知るはずもないわけだ。そういうことを詠んでいるのだが、ただ単に理屈だけを述べた句ではない。吉野の桜の歴史は1300年前からととてつもなく古く、訪れる人はみな花の見事さに酔うのもさることながら、同時に古(いにしえ)人と同じ花の情景を眺められることにも感動するのである。いわば、歴史に酔いながらの花見となるのだ。しかしよく考えてみれば、昔と同じ花の情景とはいっても、個々の木にはもはや南朝を知る「一本」もないわけで、厳密な意味では同じではありえない。だからこそ、作者はこう詠んだのだろう。すなわち、吉野桜はただ南朝の盛衰を傍観していたのではなく、桜一本一本にも同様に盛衰というものがあり、その果てに現在も昔と同じ花の盛りを作り出している。そのことに、あらためて作者は感動しているのである。とりわけて作者は、幼いころから南朝正当論を叩き込まれた世代に属している。だから、吉野桜に後醍醐天皇や楠木正成正行父子などの悲劇を、ごく自然に重ね合わせて見てしまう。南朝正当論の是非はともかくとして、吉野桜をどこか哀しい目でみつめざるをえない作者の世代的心情が、じわりと伝わってくる佳句と読んだ。「俳句研究」(2004年5月号)所載。(清水哲男)




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