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April 2042004

 亡き人の表札いまも花大根

                           森 みさ

語は「花大根(大根の花)」で春。こういう光景を、かつて見たことがあるような……。実際に見たことはないのかもしれないが、そんな郷愁を感じさせてくれる句だ。晩春、大根は菜の花に似た形の花をつける。種を採るために畑に残しておく大根だから、数はそんなに多くはない。多くないうえに白い地味な花なので、ひっそりとした寂しいような味わいがある。ひそやかに白い花を咲かせた畑を前に建つ家も、こじんまりとした目立たないたたずまいなのだろう。「表札いまも」というのだから、この家の主人が亡くなってからかなりの月日の経っていることがわかる。亡くなってからも表札を掛け替えがたく、一日伸ばしにしている遺族の心情が思われて、いよいよ花大根が目に沁みるのである。同時に、表札の主が存命であったころの様子もしのばれ、ご当人が今そこにひょいと現れそうな感じもしている。毎春相似た場所に相似た花をつける大根が時間の経過を忘れさせてしまい、その間に人が亡くなったことなどが嘘のようにも思われるのだ。周囲に人気のない静かな田舎の春の午後のスケッチとして、表札という思いがけない小道具を使いながらも、確かなデッサン力を示している。良い句です。表札でふと思い出したが、戦争中には表札の隣りに並べてかける「出征軍人表札」なるものがあった(これも実際に見たのか、後の学習で覚えたのかは定かではないけれど)。日の丸の下に「出征軍人」と大書してあり、出生兵士を送り出している家がすぐにわかるようになっていた。むろん国家は名誉のしるしとして配ったのだろうが、日々哀しく見つめていた人もたくさんいたことだろう。表札もまた、いろいろなことを物語る。『今はじめる人のための俳句歳時記・春』(1997・角川mini文庫)所載。(清水哲男)


November 18112011

 焼藷の破片や体を伝ひ落つ

                           波多野爽波

〜んと唸ってこりゃすごいやと思う句は才能を感じたときだな。巧いとかよくこんな機智を考えついたなというのは大した感動じゃない。こりゃあ、ついていけん、負けたという句に出会いたいのだ。そういう意味ではこの句には僕は脱帽だ。まず破片という言葉の発想が出ない。伝ひ落つも出ないな。これが滑稽を狙った句に見える人はだめだな。焼藷→女性が好き→おならというような俗の連想でしか事象を見られないとこの句が滑稽の句になる。焼藷を食う。ぼろぼろと皮が落ちる。男でも女でも老人でも子どもでもいい。即物客観。連続する時間の中の瞬間が言い止められている。これが「写生」の真骨頂だ。「はじめより水澄んでゐし葬りかな」「大根の花や青空色足らぬ 」「大根の花まで飛んでありし下駄」爽波さんにはこんな句もあるがみんなイメージの跳び方に独自性を図ってそれを従来の型に嵌めこんだ句だ。ここには熟達した技量は感じられてもそれをもって到達できる範囲だという感じがある。この句は技術や努力では出来ません。『湯呑』(1981)所収。(今井 聖)


May 0252014

 大根の花や青空色足らぬ

                           波多野爽波

根は種を採るため畑に残したものに、春、十字状の小花をつける。白色のものや紫がかったものもある。青空との比較から考えると、白色の花の方がイメージしやすい。本来は、花の白と空の青で明確な対照を描くはずだが、透き通るような青空ではなく、いくぶん、澱んでいるのだ。下五では、そのような情景を「色足らぬ」といささか主観的に表し、残念な気持ちを表白している。『湯呑』(昭和56年)所収。(中岡毅雄)




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