ナット・アダレーとかホレス・シルバーとか。古い人のジャズばかり聞いてます。




2004ソスN4ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 1842004

 狐雨海市を見んと旅にあり

                           加藤三七子

語は「海市(かいし)」で春。蜃気楼(しんきろう)の別称だ。「海市」は、遠方の街が海上に浮き上がって見えることからの命名だろう。残念ながら、私はまだ見たことがない。日本では、富山県魚津海岸あたりが名所として知られている。「蜃気楼は、大気中の温度差(=密度差)によって光が屈折を起こし、遠方の風景などが伸びたり反転した虚像が現れる現象です。よく、「どこの風景が映るの?」という質問を受けますが、実際にそこに見えている風景が上下に変形するだけで、ある風景がまったく別の方向に投影されるわけではありません」(石須秀知・魚津埋没林博物館学芸員)。ちなみに、夏のアスファルト路でも起きる「逃げ水」現象も、蜃気楼の小型版である。と、原理を知ってしまうと興醒めだけれど、実際に見ればやはり不思議な気持ちになるだろう。そういうときには昔から「狐につままれたようだ」と言い習わすが、掲句はそんな慣用語を意識しての作ではなかろうか。蜃気楼を見に行くための旅の途中で、雨が降ってきた。普通の雨ならがっかりもしようが、いわゆる「狐雨」である。「狐の嫁入り」とも言う。日が射しているのに、雨が降っている。したがって、たいした雨じゃない。この分なら、天気は大丈夫、ちゃんと蜃気楼は見られそうだ。作者はほっと安堵している。そして、その安堵した気持ちの余裕のなかで、微苦笑したのである。選りにもよって、こんなときに「狐雨」に会うとは……。蜃気楼を見る前なのに、もう騙されかけているのかもしれない。金子兜太『中年からの俳句人生塾』(2004)にて初見。(清水哲男)


April 1742004

 雨やどり人が買ふゆえ買ふ蜆

                           米沢吾亦紅

語は「蜆(しじみ)」で春。雨やどりで、たまたま借りたのが魚屋の軒先だった。他にも何人か、同じように雨の止むのを待っているのだが、なかなか止んでくれない。何かを買う目的で店先にいるのではないから、こういうときは時間が経つに連れて、なんとなく後ろめたい気分になってくるものだ。所在なく、並べられている魚などを眺めているうちに、雨やどりの一人が「蜆」を買った。買えば立派な客だから、いましばらくは後ろめたさから解放されて、そこに立っていられるわけだ。と、そんなふうに理屈の筋道を計算したのではないけれど、作者はつられるようにして、自分も蜆を求めたというのである。人が買うまでは、作者はそこに蜆があることにすら気づいてなかったかもしれない。目には写っていたとしても、格段に珍しいものでもないので、それと意識しないことはよくある。はじめから買う気のないときは、どんな店にいようとも、そんなものである。だからこの場合は、買った人がいたことで、雨やどりの後ろめたさを払拭したい気持ちからではなく、急に本来の客の気持ちになって求めたと読むべきだろう。人間心理の微妙なアヤをよく掴んでいる。「人が買ふゆえ」、自分も仕方なく買った。と、字面の理屈だけで解釈しては面白くない。そうか、蜆か、たまには蜆汁も悪くないな。などと、そんな気分になった瞬間から、彼は立派な客として店先に立てたのだ。そして、求めたのがタイやヒラメなど(笑)ではなく蜆だったことが、句の情趣を淡く盛り上げている。降っている雨の様子までもが、蜆の季語から読者にもよく伝わってくるからである。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


April 1642004

 棟上げや春泥をくる祝酒

                           鶴田恭子

語は「春泥」。家の新築は、一世一代の大事業だ。作者の家の新築か他家のそれかはわからないが、句の全体に滲んでいるのは、新築主の誇らかな喜びである。苦労の果てにやっと「棟上げ(むねあげ)」にまで辿り着いた安堵心と達成感とが、春泥の道を運ばれてくる「祝酒」を通して、婉曲に表現されている。施主にしてみれば「やったぞ」と誰かれに叫びたいくらいの気持ちではあろうが、そこをぐっと抑えるのが美徳というものだ。ひとりでにこぼれてくる笑みを噛みしめるようにして上げた目に、春の泥道が嬉しくもまぶしく光っている。たとえ他家の棟上げであるとしても、作者にはその心中がよく理解できるので、素直にともに寿ぐ気持ちがこう詠ませたのだ。棟上げといえば、私の子供のころには餅や小銭を投げあたえる風習があり、出かけていくのが楽しみだった。これもまた建築主の喜びの表現だったわけだが、しかしこの風習自体にはもっと教訓的な意味もあったようだ。最近読んだ中沢正夫(精神科医)の『なにぶん老人は初めてなもので』という本に、こんな記述がある。ローン制度のないころだから、新築のためには若い頃からコツコツと金を貯めなければならない。だから、新築は晩年の大事業であり、人生の総決算みたいなものだった。「大きな立派な家を建てることが、自分がいかに質素倹約誠実に生きてきたか、それまで不便や不自由に耐えてきたかを世間に披露することでもあった。餅を拾って食う子供たちにも、これを建てた人の生き様--ひたすら備え、不便に耐えてきたことが他の大人から聞かされた。オレもいつか、こういう大きな家を建てようと子供心にも思ったものである」。すなわち、備える耐えるが庶民の美徳の第一とされた時代ゆえの餅まきだったわけで、そう考えると、ローン時代にこの風習が消えたことの意味も判然としてくる。『毛馬』(2004)所収。(清水哲男)




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