イラクで拘束された人の不用意はあるが、とにかく救出しなければ。どうする政府。




2004ソスN4ソスソス9ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 0942004

 遠足の列大丸の中とおる

                           田川飛旅子

語は「遠足」で春。気候がよいこともあるが、春に遠足が多いのは、新しいクラスメート同士が親しくなる機会を作る意味もありそうだ。来週あたりから、あちこちで見かけることになるだろう。句は戦後四年目の作というから、まだデパートが珍しく思えた時代だ。遠足の行程に、いわゆる社会科見学として組み込まれていたのだろうか。いきなりぞろぞろと、子供たちの一団が「大丸」デパートの中に入ってきた。今とは違い、当時の子供らはこういう場所ではあまり騒がなかったような気がする。周囲のきらびやかな環境に気圧されるばかりで、さすがの悪童連も声が出なかったのだ。内弁慶が多かった。しかし、とにかく遠足の列とデパートの店内とでは、あまりに互いの雰囲気がなじまない。作者は客としているわけだが、すぐに遠足だとはわかっても、心理的な対応が追いつかない。あっけにとられたような気分の中を、子供たちが緊張した表情で通っていくのを見やっている。そんなところだろう。こういう遠足もあったのだ。大丸が東京駅に店を構えたのはちょうど50年前の1954年のことなので、作句の舞台は東京ではない。京都か大阪か、あるいは神戸か。いずれにしても関西地方かと思われる。私がはじめて連れていってもらったデパートも関西で、大阪駅前の阪急だった。まだ八歳。覚えているのは、蛇腹式の扉のついたエレベーターに乗ったことくらいで、それこそただただ店内のキラキラした様子に圧倒されっぱなしであった。だから、多少とも掲句の遠足の子供たちの側の気持ちはわかるような気がするのである。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


April 0842004

 豆の花校内放送雲に乗る

                           中林明美

語は「豆の花」で春。俳句では、春咲きの蚕豆(そらまめ)と豌豆(えんどう)の花を指す例が多い。家庭菜園だろうか。今年も豆の花が咲いた。晴天好日。それだけでも春の気分は浮き立つのに、近くの学校からは子供の元気な声のアナウンスが流れてくる。校内放送が「雲に乗る」わけだが、作者もなんだかふわふわとした春の雲のなかにたゆたっているような気持ちになっている。とても気持ちのよい句だ。このときに作者の手柄は、「雲に乗る」というような常套語を使いながらも、稚拙な表現に落ちていないところにある。落ちていないのは「豆の花」と「校内放送」との取り合わせの妙によるのであって、両者のいずれかが他の何かであったりすれば、句は一挙に崩れ落ちてしまいかねない。「豆の花」と「校内放送」とはもちろん何の関係もないのだが、しかしこうして並べられてみると、まずは作者の暮らしている日常的な場所がよく見えてくる。つまり、句景が鮮明になる。鮮明だから、小さな豆の花の可憐な明るさと校内放送の元気な声の明るさとが、無理なくつながってくるというわけだ。この作者については、坪内稔典が「明美の俳句は読者の心をきれいにする」と書いていて、私も同感である。そして「読者の心をきれいにする」第一条件は、読者が句を読むに際して余計な詮索の手間をかけさせずに、すっと自分の世界に誘うということだ。そのためには、まずなによりも句景をはっきりさせることが大切だけれど、そのことによる稚拙表現への転落は避けなければならない。ここが難しい。掲句は一見平凡な作品のように写るかもしれないが、この難しさをクリアーした上での「なんでもなさ」だと言っておきたい。句集冒頭の句は「山笑う駅長さんに道を聞く」というものだ。開巻一ページ目からして、大いに心をきれいにしてくれた。『月への道』(2003)所収。(清水哲男)


April 0742004

 けろりくわんとして柳と烏かな

                           小林一茶

語は「柳」で春。「梅にウグイス」や「枯れ枝にカラス」ならば絵になるけれど、「柳にカラス」ではなんともサマにならない。しかし、現実には柳にカラスがとまることもあるわけで、絵になるもならぬも、彼らの知ったことではないのである。ただ人間の目からすると、この取り合わせはどことなく滑稽に映るし、両者ともに互いのミスマッチに気がつかないままキョトンとしているふうに見えてしまう。その様子を指して「けろりくわん」とは言い得て妙だ。眉間に皴を寄せて作句するような俳人には絶対に詠めない句で、こういうところに一茶の愛される所以があるのだろう。柳といえば、こんな句もある。「柳からももんがあと出る子かな」。垂れている柳の葉を髪の毛のように見せかけ、誰かを驚かそうと「ももんがあ」のように肘をはりながら「子」が突然に姿を現わしたというのである。「お化けだぞおっ」というわけだが、むろん怖くも何ともない。しかし一茶は、しなだれている柳の葉を頭髪に見立てた子供の知恵に感心しつつ微笑している。このあたりにもまた、芭蕉や蕪村などとは違って、常に庶民の生活に目を向けつづけた彼の真骨頂がよく出ていると言えよう。一茶という俳人は、最後までごく普通の生活者として生きようとした人であり、芭蕉的な隠者風エリート志向を嫌った人だった。どちらが良いというものでもなかろうが、俳句三百年余の流れを見ていると、この二様のあり方は現代においても継承されていることがわかる。そして、とかく真面目好みの日本人には芭蕉的なる世界をありがたがる性向が強く、一茶的なるそれをどこかで軽んじていることもよくわかってくる。が、それでよいのだろうか。それこそ真面目に、この問題は考えられなければならないと思う(清水哲男)




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