花疲れの方もおられるでしょう。当方は句会疲れ、いや二次会疲れです(笑)。




2004ソスN3ソスソス29ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 2932004

 さへづりや馬穴で運ぶ御御御付

                           馬場龍吉

語は「さへづり(囀)」で春。まず、字面が目を引く。「馬穴」は「バケツ」と容易に読めるが、「御御御付」とは、はてな何と読むのだろう。と、読者を立ち止まらせたら、作者の勝ちである。正解は「おみおつけ」で、味噌汁のことだ。たいていの辞書には、この漢字表記も載っている。語源には大きく分けて二説あるようで、一つは主食に付ける汁椀だから「御付」と言っていたのが、どんどん丁寧に「御」「御」を付けるようになったという女房言葉説。もう一つは、「御御」は本来「御実」と書くのが正しく、「御実」は味噌汁の具を意味するという説だ。私にはどちらでもよろしいが、わざわざこうした漢字を使うのも、面白く読んでもらうための工夫には違いない。といって、句全がべつに奇を衒っているのではないところに、作者の二重の工夫が見られる。学校給食を教室に運ぶ様子だろう。そうイメージして句をよく見ると、ぎくしゃくした「御御御付」の文字にえっちらおっちら感が滲んでいるようで微笑を誘われる。今では食べ物を運ぶための専用バケツ(「バケツ」とは言わないのかな)があるが、私が子どもだったころには、掃除などに使うごく普通のバケツで味噌汁を運んでいた。むろん、後で雑巾を漬けたりしたわけではないけれど、最初のうちは違和感を感じたものだ。しかし、だんだん何とも思わなくなり、逆にそこらへんで大きなバケツを見かけると食欲すら湧いてきたのだから、慣れとは恐ろしい。それはともかく、句の「さへづり」は実に良く効いている。さして採光のよくない学校の廊下が、周辺の鳥たちの囀りによってパアッと明るくなり、いかにも春到来の気分にさせられる。そしてこの「さへづり」は、給食を待つ子どもたちの賑やかな声をも同時に含んでいる。春や春、どこからか味噌汁のおいしそうな香りが漂ってくるような佳句ではないか。句歌詩帖「草藏」(第14號・2004年3月)所載。(清水哲男)


March 2832004

 オメデタウレイコヘサクラホクジヤウス

                           川崎展宏

書きに「卒業生 札幌で挙式」とある。その祝いのために、実際に打った電文だろう。そちらの開花はまだだろうが、桜前線は確実に「ホクジヤウ(北上)」しつつあるからね。それも「レイコ」あなたに向かってと、教え子の新しい門出を祝福している。咲いていない桜を素材にして、しかし間もなくそれを咲かせる自然の力がひたひたと寄せていく状況を配して、祝意を表現してみせたところが見事だ。芸の力と言ってもよい。むろんこのときに、北上している桜前線の動きは作者の新婦に対する気持ちのそれと重なっている。今と違って昔の電報はすべて片仮名表記だったが、下手に今風に平仮名や漢字が混ざっている電文よりも、片仮名だけのほうがかえって清潔感があって、句の中身にふさわしいと思う。ただし、この書き方は作者の特許みたいなもので、第三者には使えないところが難点と言えば難点か(笑)。句集の配列から見て、昭和30年代末ころの作と思われる。そんなに電話も普及していなかったし、電話があっても長距離料金は高価だったので、冠婚葬祭用ばかりではなく、何かというと緊急の用件には電報を使った。郵便局の窓口に行くとみどり色の頼信紙なる用紙がおいてあり、なるべく文字数を少なくして安上がりにすべく、何度も指を折っては電文を思案したものだ。学生ならたいていが親への金の無心だったけれど、一般的に最もひんぱんに利用された用件は親兄弟や親類縁者の病状の悪化を告げるものだったろう。「チチキトク」などというあれである。だから電報が届くと、誰もがどきりとした。とくに夜間に配達されたりすると、開く前に心臓が縮み上がる思いがした。そんな時代は遠く去ったと思っていたら、最近では高利貸し業者が督促のために頻繁に使うのだという。祝儀不祝儀と受け取る側の心持ちが定まっている場合を除いては、いつまでも電報は精神衛生上よろしくないメディアのようである。『葛の葉』(1973)所収。(清水哲男)


March 2732004

 春まつり老いては沖を見るばかり

                           大串 章

語は「春まつり(春祭)」。春におこなわれる祭りの総称。農耕のはじめにあたって作神を迎え五穀の豊穰を祈り、疫病などを祓うための祭りというのが本義である。句の自註に、こうある。「漁村の近くで祭の法被を着た子供達に出会った。菓子袋をもち、祭の帰りらしかった。道端に坐って海を見ていた老人のことを思い出した」。句からこの背景までは読み取れないが、老人の遠い目が印象的だ。同じように「沖」を見るとしても、若者よりは老人のほうがはるかに遠い目をする。何かを思い出しているような目、何かを考えているような目。もっと言えば、老人の目は遠くをはっきり見ようとする目ではないだろう。ただ遠くに視線を送ることによって、むしろ内面を見つめるためと言おうか、来し方のあれこれを反芻するためと言おうか、あるいは逆に何も思わないで時間をやり過ごすためなのか。傍目には、そんなふうに写る。少年時代に友人の祖母が、いつも縁側の同じ場所に坐って、物言わず遠くを見ていたことを思い出した。何歳くらいだったのだろうか。とにかく昔からずっとお婆さんだったような小さな人で、しょっちゅう遊びに行っていたけれど、一度も声を聞いたことがなかった。物静かな印象を通り越し、なんだか生ける置物のような感じがして不気味に思えたこともある。その人の遠い目は、山国なので山なみに向けられていたのだったが、何かを見ようとしている目でないことは、私のような子供にもよくわかった。句の老人も、きっとそんな目をしていたにちがいない。そういえば、若い頃から老人役を好演した笠智衆は遠い目をする名人だった。『百鳥』(1991)所収。(清水哲男)




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