久しぶりにコンタクトを注文。特殊なレンズゆえ時間もかかるし高価だ。SIGH。




2004ソスN3ソスソス26ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 2632004

 花ぐもり燃えないゴミの中に鈴

                           富田敏子

語は「花ぐもり(花曇)」。咲きはじめてからの東京は毎日が花ぐもり状態で、気温も低く、どうも気分がすっきりしない。花々の彼方に青い空が透けて見えるような晴天が、待ち遠しい。そんなちょっと気の重い朝、作者は「燃えないゴミ」を集積所に出しに行った。ゴミ袋の中では、捨てようと決めた「鈴」が鳴っている。澄んだ音色ではなく、他のポリ容器などに圧されて濁ったような音がしている。擦れ違う人があっても鈴とは気づかないかもしれないが、作者は知っているので、心の曇る思いがしているのだろう。何か記念の鈴だろうか。あるいは土産にもらったような鈴かもしれないけれど、女性が鈴を捨てる気持ちはそう単純ではないような気がする。べつに場所塞ぎになるわけじゃなし、捨てなくても仕舞うところはいくらでもある。なのに捨てようとしたのは、手元に置いておきたくない何らかの心理的事情があったからだろう。そのあたりを考え合わせると、掲句はなるほど花ぐもりに気分が通じていて、味わい深い句だ。ゴミを出すという日常的な行為にも、それぞれの人のドラマが秘められている場合もあるということである。先日私は、かつて熱中していた8ミリ映画用の編集機を捨てた。置いてあった棚が溢れてきたので処分したわけだが、いくらもう使わないとわかってはいても、愛用していた道具を捨てるのは辛い。集積所に置いたときに一瞬逡巡する気持ちが起きたが、目をつむるようにして、立ち去った。なんだか薄情にも置き去りにしたような、不快な余韻がしばらく残った。掲句の作者も、そうだったろうか。『ものくろうむ』(2003)所収。(清水哲男)


March 2532004

 人の目の真つ直ぐに来る花の中

                           廣瀬直人

の句は数々あれど、これは異色作だ。花見客でにぎわう場所か、あるいは桜並木の通りでもあろうか。ゆったりとした気分で作者が花を賞でながら歩いているうちに、ふと前から来る人の何か周囲の人たちとは違った気配に気がついた。思わず見やったその人は、桜を楽しむ気などさらさらないといった雰囲気で、ひたすら「真つ直ぐ」にこちらに向かって歩いてくるのだった。その様子を「人が真つ直ぐに来る」と言わずに、「人の目」が来ると詠んだところが実に巧みだ。思い詰めたような顔つきだったかもしれないが、その「顔」でもなくて「目」に絞り込んだ凝縮力の鋭さには唸ってしまう。行き交う人々の「目」があちこちの花にうつろっているときだけに、その人の前方を見据えて動かない「目」が際立って見えるのである。「人」でもなく「顔」でもなく、ほとんど「目」のみがずんずんと近づいてくる。言い得て妙ではないか。その人は、べつに思い詰めていたわけではなく、単に道を急いでいただけなのかもしれない。というのも、我が家の近くに東京では桜の名所に数えられる井の頭公園があって、満開の時期にはたいへんな人出となる。公園に通じる舗道はどこも狭いので、押し合いへし合い状態だ。いつだったか、そんな人込みの波を逆流する格好になって、用事のために急いで通ろうとしたたことがあった。しかし、そう簡単には前へ進めない。人並みをかきわけかきわけ、時には突き飛ばしたくなる思いにかられながら急いだ私の「目」は、まさに掲句の「人の目」に似ていたかもしれないと苦笑させられたからなのだ。井の頭の花は、今週末が見頃となる。どうか「目」だけで歩くような急用などが持ち上がりませんように。『朝の川』(1986)所収。(清水哲男)


March 2432004

 梅散るやありあり遠き戦死報

                           馬場移公子

書に「亡夫、三十三回忌」とある。作者は結婚四年目にして夫を失い、養蚕業の旧家を守って生涯を秩父山峡の生家に過ごした。こうした履歴は知らなくても、句は十分に鑑賞に耐え得るだろう。なによりも「ありあり遠き」の措辞が胸を打つ。「戦死」の報せが届いた日のことは、いつだってつい最近のことのように思えていたのが、こうして「三十三回忌」の法要を営むことになり、夫の死がもはやはるかな昔のことになったと思い知らされたのだ。認めたくはないが、これが容赦ない時の流れというものである。この現実にいまさらのように、あらためて「ありあり遠き」と噛み締める作者の孤独感は、いかばかりだったろうか。夫亡き後も、毎春同じ姿で咲いては散ってきた山里の梅の花が、今年はことのほか目にしみる。日本では武士や戦士の死を桜花の散り際に例えてきた伝統があるけれど、残された者にとってはとてもそのようには思えない。例えるならば、むしろ人知れずひっそりと散ってゆく梅花のほうにこそ心は傾くだろう。その意味からも掲句の取り合わせは、読者の心にしみ込むような哀感を醸成している。古い数字だが、1949年の厚生省調査によると、大戦による全国の未亡人数は187万7161人、そのうち子の無いもの31万9402人、有子未亡人で扶養義務者の無いもの29万6105人。生活保護該当者22万7756人。無職者44万6545人。未亡人会数2065となっている。現在ご存命でも80代、90代という年代が大半で、187万余の半数以上の方々は既に鬼籍に入られたことだろう。この数字ひとつを見ても、なお戦争を肯定できる人が何処にいるだろうか。『峡の音』(1958)所収(清水哲男)




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