サイタサイタサクラガサイタ。それにしても気味が悪いほどの暖かい朝だ。




2004ソスN3ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1832004

 花よ花よと老若男女歳をとる

                           池田澄子

語は「花」、平安時代以降は桜の花を指すのが一般的だ。手塚美佐に「誰もかも寒さを言へり春を言ふ」があって、その後に掲句の季節が来る。昔から毎年のことではあるが、「春は名のみの風の寒さ」の候より「春」を言い、少し暖かくなってくると「花よ花よ」と開花を待ちわび、咲いたら咲いたで老いも若きもが花見に繰り出してゆく。四季の変化に富む地での農耕民族に特有の血が騒ぐのだろうか。正直に言うと、私は桜よりも野球シーズンを待ちかねる気持ちが強いのだが、野球とてもファンの「花」には違いない。句は人がそんな気持ちを繰り返すうちに、「老若男女」がみな歳をとっていくのだなあと、あらためて感嘆している。この感嘆の気持ちのなかには、唖然呆然の気配も感じられる。何故なら、老若男女の加齢には例外がなく、そこには当然自分も含まれていることに、あらためてハッとさせられるからだ。この認識は、理屈を越えた唖然呆然に否応無くつながってしまう。同じ作者に「四十九年頸に頭を載せ花曇り」の句もあり、ここにも唖然呆然の気配が漂っている。この句はしかし、あまり若い人には本当にはわからないだろう。意味的には誰にでも理解できるが、ここに唖然呆然の気配を感じるには、やはりそれなりの年齢に達している必要があるからである。したがって若い読者のなかには、「花よ花よ」と浮かれている人たちへの皮肉を言った句と誤読する人がいるかもしれない。でも、この句には皮肉の一かけらも含まれてはいないのだ。実感を正直に詠んだら、こうなったのである。では、この句を味わうにふさわしい年齢とは何歳くらいだろうか。特別にお教えすれば、それはいま掲句にハッとしたあなたの年齢が最適なのであります。『いつしか人に生まれて』(1993)所収。(清水哲男)


March 1732004

 春雷や煙草の箱に駱駝の絵

                           横山きっこ

CAMEL
語は「春雷」。春の雷はめったに鳴らないし、夏のようには長くはつづかない。そこにまた、独特な情趣がある。室内での句だろう。あたりがすうっと薄暗くなってきて、思いがけない雷が鳴った。こういうときに、人の心は瞬時内向する。そして急に、それまで気にも止めていなかった机の上の物などに、あらためて親密感を抱いたりするものだ。雷は立派な天変地異のひとつだから、弱い生きものである人間としては、半ば本能的に周辺の何かにすがりたい心理状態に落ちるからだろうか。むろん一度か二度の雷鳴で大きく取り乱すというわけではないが、心の根のところではやはり幾分かは取り乱すのだと思う。そのかすかな心の乱れが、作者に「煙草の箱」を見つめさせることになった。この微妙な心理が読めないと、この句はわからない。どんな愛煙家でも、通常はパッケージの「絵」をしげしげと見つめることなどしないけれど、見つめてみればそこには確実に一つの世界が展開している。「駱駝の絵」だから、銘柄は「CAMEL」だ。掲句に引きずられて、私もつくづくと見ることになり、もう一世紀以上も前にアメリカで描かれたはずの駱駝の絵が、実に見事にアラブ世界へのクールな憧れを示していることに感心したのだった。この駱駝は、たとえば日本の歌の「月の砂漠」の駱駝のようにはセンチメンタルではない。かといって、動物園的見せ物にも描かれてはいない。あくまでも、砂漠の地を悠々と歩む自然体なのであり、背景の遠いオアシスの様子とあいまって、いわば悠久のロマンの雰囲気がうっすらと浮び上っている。このときに、春の雷に一瞬かすかに内向した作者の心は、駱駝の絵の世界で再び開いていったにちがいない。目を上げると、いつの間にか、窓外はまた元通りの春らしい陽気に戻っている。WEB句集『満月へハイヒール』(http://ip.tosp.co.jp/BK/TosBK100.asp?I=kikkoJM&P=0)所収。(清水哲男)


March 1632004

 自分の田でない田となってれんげも咲く

                           三浦成一郎

語は「れんげ(蓮華草・紫雲英)」で春。いまでは化学肥料の発達で見られなくなったが、かつては緑肥として稲田で広く栽培されていた。この季節に紅紫色の小さな花が無数に田に咲いている様子は、子供だった私などの目にもまことに美しかった。春の田園の風物詩だったと言ってもよいだろう。その美しい情景が、もはや「自分の田でない田」に展開している。生活苦から手放した田と思われるが、他の動産などとちがって、売った田や山は、このようにいつまでも眼前にあるのだから辛い。「れんげも」の「も」に注目すると、自分が所有していたころには「れんげ」を咲かすこともできなかったのだろう。どうせ手放すのだからと、秋に種を蒔かなかった年があったのかもしれない。いずれにしても、他人の手に渡ってから美しくよみがえったのである。その現実を突きつけられた作者の胸の疼きが、ひしひしと伝わってくる。戦前の一時期に澎湃として起こったプロレタリア俳句の流れを組む一句だ。五七五になっていないのは、虚子などの有季定型・花鳥諷詠をブルジョア的様式として否定する立場からは当然のことだったろう。プロレタリア俳句の萌芽は、自由律俳句を提唱した荻原井泉水の「層雲」にあったことからしてもうなずける。リーダー格の栗林一石路や橋本夢道、横山林二などは、みな「層雲」で育った。「山を売りに雨の日を父はおらざり」(一石路)、「ばい雨の雲がうごいてゆく今日も仕事がない」(夢道)。掲句が発表されて数年後には京大俳句事件などが起き、言論への弾圧は苛烈を極めていく。俳句を詠み発表しただけで逮捕される。今から思えば嘘のような話だが、しかしこれは厳然たる事実なのだ。自由な言論がいかに大切か。こうした歴史的事実を思うとき、いやが上にもその思いは深くなる。「俳句生活」(1935年7・8月合併号)所載。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます