東京の桜は木曜日に咲くという予報。早すぎてピンとこないが、咲くかな。




2004ソスN3ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1532004

 下宿屋は下長者町下る春

                           児玉硝子

面を見ているだけで、なんとなく切なくも可笑しく感じられる句だ。ペーソスがある。大学に合格すると、地方出身者が何をおいてもやらねばならぬことは「下宿探し」である。もっとも今では、素人下宿も減ってきたから、アパート探し、マンション探しということになるのかな。いろいろと探し回って、作者が決めた下宿の住所を確認してみたら「下長者町下る」であった。「下」の文字が二つも入っていて、せっかく縁起の良い長者という地名なのだが、下宿の「下」の字も含めると三つになり、なんだか長者がどんどん零落衰退していく町のようではないか。「下る」とあるから、この町があるのは京都だ。御所の南北の真ん中あたりから烏丸通越しに西に延びているのが長者町通りで、同志社大学に通うには便利な地域だろう。住む部屋を探すのに、よほど縁起をかつぐ人でないかぎりは、まず住所表記など気にはかけない。部屋を決めてから住所を教えてもらい、たいていは「あ、そう」なんてものである。ただ京都のように古い地名が生きている街だと、句のように「あ、そう」と簡単に言うには抵抗を覚える場合も出てきてしまう。友人知己に新住居を知らせる手紙を書きながら、やはり「下」ばかり書いていると、もう少しマシな地名のところを選べばよかったと、そんなに切実ではないにしても、イヤになった昔の記憶が書かせた句のような気がする。私の場合は、新入生のときには宇治市「県通り」、二回生からは京都市北区「小山初音町」だった。いずれも良い地名なのだが、ちょっと「初音町」は照れ臭く感じていた。しかも当時の実家の住所は東京都西多摩郡多西村「草花」と言ったから、「草花」から「初音」へと転居したわけで出来過ぎである。「『草花』やて、ウソやろ」と、出来たてほやほやの友人に言われたことがある。彼に悪気はなけれども、「てやんでえ、『長者町』こそ大ウソじゃねえかっ」と言い返してやりたかったけれど、他所者の悲しさで大人しく黙ってたっけ……。『青葉同心』(2004)所収。(清水哲男)


March 1432004

 春風のどこでも死ねるからだであるく

                           種田山頭火

者には「風」の句が多い。このことに着目した穴井太は、ユニークな視点から「風になった男」という山頭火論を書いている。ユニークというのは、穴井が「風」という漢字のなかに何故「虫」がいるのかと考えるところからはじめた点だ。「そこで、虫を住まわせている風の語源を探ってみた。いわく『風の吹き方が変わると虫たちが生まれてくる』という。つまり風は季節や時間の動きと同義であった。/言いかえれば、風は自然の生成流転や生命時計の役割を荷っていることになる。だから風のなかにいる虫は、花やすべての生きものたちの代表として、生命あるものを象徴しているのではあるまいか」。ブッキッシュな考察に過ぎると言われればそれまでだが、こと山頭火の句に関しては、この虫の居所からほとんど説明が可能となるのだから面白い。つづいて穴井は「虫が好かない」「虫が好い」などの虫を使った成語を考察し、「科学的な根拠は乏しく、人間の心の感情を指している」ことに注目する。意よりも情、理よりも狂というわけだ。そして「それが生命感を発動するエネルギー源であることは間違いない」と断じ、山頭火の風の句を解釈していく。腹の虫、酒の虫から漂泊の虫、絶望の虫までを持ちだしてみると、なるほど山頭火という男が、要するにその場そのときの虫の居所によって、やたらと句を吐き出していたことがよくわかる。私に言わせれば我がまま三昧の句境であり、掲句などには悟りの虫よりも、「まだ死にたくない、死ぬはずがない」という虫の好い思いが見え隠れしていて、好きになれない。流転の身は、一見中世の隠者に似ていなくもないが、俗世との縁をむしろ結びたがっているところは醜悪にすら写る。山頭火ファンには申しわけないけれど、妻子を放擲してまで詠むような句でもないだろう。(清水哲男)


March 1332004

 あの店はいつつぶれしや辻朧

                           小沢信男

語は「朧(おぼろ)」で春。普段よく通る道なのだけれど、はじめて「あの店」が閉じられていることに気がついた。あるいはもう、店自体が跡形も無くなっていたのかもしれない。たぶんその店は古くからそこにあって、ひっそりと「辻」のたたずまいの中に溶け込んでいたのだろう。作者には無縁の店だったから、あってもなくても日常の生活には影響がない。たとえば小間物屋だとか駄菓子屋だとか……。はてな、いつごろ「つぶれ」たのだろうか。なんだか狐につままれたような気持ちで、あらためて辻を眺め渡してみるのだが、やはり無いものは無いのだった。こういうことは、むろん春夏秋冬いずれの季節にもあることなのだが、つぶれた店にはお気の毒ながら、まるで「朧」のように朦朧と霞んで消えていたところに、淡くて苦い詩情が浮かんでくるのだ。他の季節では、こうはいくまい。私は、いまの土地(東京・三鷹)に暮らして四半世紀になる。このあたりは都心に近いベッドタウンということもあって、句の辻とは反対に店の消長が激しすぎ、「はてな」といぶかる間もあらばこそ、どんどん店が入れ替わってきた。ここは元は何屋だったのか。と、思い出す気にもならないほどだ。住みはじめたころの店は、近所に一軒も残っていない。スーパーやコンビニ、それになぜか美容院が乱立している町では、消えてしまっても掲句のような情緒は望むべくもないのである。ネギ一本でも売ってもらえた八百屋が懐しいな。夕方になるとラッパを吹いて売りに来ていた豆腐屋のおじさんも、いつしか姿を消してしまった。『足の裏』(1998)所収。(清水哲男)




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