またスパムメールが増えてきた。一日に十数通も。ほとんどがアメリカ発。




2004ソスN3ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1332004

 あの店はいつつぶれしや辻朧

                           小沢信男

語は「朧(おぼろ)」で春。普段よく通る道なのだけれど、はじめて「あの店」が閉じられていることに気がついた。あるいはもう、店自体が跡形も無くなっていたのかもしれない。たぶんその店は古くからそこにあって、ひっそりと「辻」のたたずまいの中に溶け込んでいたのだろう。作者には無縁の店だったから、あってもなくても日常の生活には影響がない。たとえば小間物屋だとか駄菓子屋だとか……。はてな、いつごろ「つぶれ」たのだろうか。なんだか狐につままれたような気持ちで、あらためて辻を眺め渡してみるのだが、やはり無いものは無いのだった。こういうことは、むろん春夏秋冬いずれの季節にもあることなのだが、つぶれた店にはお気の毒ながら、まるで「朧」のように朦朧と霞んで消えていたところに、淡くて苦い詩情が浮かんでくるのだ。他の季節では、こうはいくまい。私は、いまの土地(東京・三鷹)に暮らして四半世紀になる。このあたりは都心に近いベッドタウンということもあって、句の辻とは反対に店の消長が激しすぎ、「はてな」といぶかる間もあらばこそ、どんどん店が入れ替わってきた。ここは元は何屋だったのか。と、思い出す気にもならないほどだ。住みはじめたころの店は、近所に一軒も残っていない。スーパーやコンビニ、それになぜか美容院が乱立している町では、消えてしまっても掲句のような情緒は望むべくもないのである。ネギ一本でも売ってもらえた八百屋が懐しいな。夕方になるとラッパを吹いて売りに来ていた豆腐屋のおじさんも、いつしか姿を消してしまった。『足の裏』(1998)所収。(清水哲男)


March 1232004

 花館揃うや真田十勇士

                           宇咲冬男

猿飛佐助
書に「松代(まつしろ)」とある。言わずと知れた真田氏の城下町(長野県)である。「花」は桜花、「館」は真田一族を偲ぶための展示館だろうか。満開の桜につつまれた「館」で往時のあれこれに思いを馳せていると、ごく自然に「真田十勇士」の面々がここに打ち揃っている気分になったと言うのである。十勇士は、あと一歩のところまで徳川家康を追いつめながら敗れ去った悲劇の名将・真田幸村の家来たちだ。猿飛佐助(さるとびさすけ)、霧隠才蔵(きりがくれさいぞう)、三好清海入道(みよしせいかいにゆうどう)、三好伊三(いさ)入道、穴山小助(あなやまこすけ)、由利鎌之助(ゆりかまのすけ)、根津甚八(ねづじんぱち)、筧(かけい)十蔵、海野(うんの)六郎、望月(もちづき)六郎の十人をいう。こういう句は、私のように少年時代に講談本などで彼らの活躍ぶりを知っている者には、文句無く楽しい。十勇士すべては架空の人物で、明治から大正期にかけて出版された「立川文庫」で人気を博し、その後は映画にもなり漫画にも多く描かれてきた。猿飛や霧隠は忍術の使い手だし、他の者もそれぞれの武芸に秀でた歴戦の勇士たちである。これだけのメンバーを揃えながら、なぜ幸村は敗けたのだろうと思ったりしたものだが、そこはそれ史実に重ねたフィクションなのだから仕方がない。真田幸村を惜しんだ人たちが、せめて創作の上ではあるが、彼に花を持たせてやりたいとの人情が生んだ勇士たちだった。世に源義経びいきも多いが、幸村びいきも負けてはいない。豊臣方ということもあって、関西に根強い人気を誇っている。なお、幸村の死で真田家は途絶えたわけではなく、ややこしいいきさつは省略するが、松代藩は信州最大の十万石で明治維新を迎えている。『虹の座』(2001)所収。(清水哲男)


March 1132004

 春宵を番台にただ坐りをり

                           波多野爽波

語は「春宵(春の宵)」。一風呂浴びて戻る客は、道すがら「春宵一刻値千金」などと、しばし艶めいた感傷に耽ったりするわけだが、ここ「番台に」ただ坐っている人は、そんな心情とは一切無縁である。べつに同情をしているのではなくて、立場により同じ一刻の感じ方がかくも違うことに気がついて、作者は「ふーむ」と感じ入っているのだ。句の可笑しみは、番台の人のありようから発しているというよりも、むしろ作者の「ふーむ」から滲み出てくる。漱石あたりのユーモアに似ている。その前に、もうひとつ可笑しみの大きな要因がある。極めて大切なことだから書いておくが、私たちが可笑しく感じるのは、この一行を「俳句」だと認証し、それを前提にするからだ。俳句だと思うから、ポピュラーな季語である「春宵」にかなり過剰な思いを入れ込んで読みはじめるのである。そのことは初手から作者の計算のうちに、ちゃんと入っている。入っているから、読者の季語に対する先入観を利用して、不意に番台の人を登場させ、いわば読者の上ってきた「季語という梯子」をいきなり外してみせたのである。ここに、可笑しみを生じさせる最大の手管がある。このことが示唆するものは大きい。ともすれば、過剰に季語に選りかかりすぎる者たちへの警鐘の句だと言ってもよいほどだ。有季定型を信条とする詠み手も読者もが、おおかたは季語に溶け込むことにばかり腐心し、それも一概に否定はできないけれど、なんでもかでも季語の窓から世間を覗こうとする姿勢は、詩歌のためにもよろしくない。季語があるから世間がある。と、そんな馬鹿なことはないだろう。しかし、そんな馬鹿なことが横行しているのが、実は俳句の世界なのだ。掲句は、そこらへんを皮肉ってもいる。人さまざま、世間もとりどり。そのなかで俳句の位置は那辺にありや。頭でっかちならぬ「季語でっかち」俳句の無闇矢鱈な連発は、そろそろ打ち止めに願いたい。『舗道の花』(1956)所収。(清水哲男)




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