図書館帰りにちょくちょくスーパーに買い物に。周辺の主婦に学ぶこと多し。




2004ソスN3ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 0432004

 春昼や腑分けして来したゞの顔

                           平畑静塔

た「腑分け(ふわけ)」とは古風な言葉だが、しかし実際に「解剖」をする人には、腑分けのほうが実感的にぴたりと来るのかもしれない。掲句は、最近清水貴久彦(岐阜大学医学部教授)さんから送っていただいたエッセイ集『病窓歳時記』(2001・まつお出版)で知った。医者の目で俳句を眺めると、なるほど私などには見えない佳句が数々あることに気づかされる。この句もそうだ。ただ、この句の良さは、間接的にではあるけれど、多少はわかる。大学の友人に医学部の男がいたからである。エッセイ集から少し引いておく。「すべての医学生が実習として行う解剖は、系統解剖という。屍体を切り開いてあらゆる臓器、血管、神経などを確認していく作業が毎日続くと、気が滅入るのも当たり前。実際、この解剖をきっかけにして人生に悩みはじめ、学校に出てこなくなった同級生がいた」。しかし多くの学生は日がたつにつれて何も気にならなくなり、「白衣だけ脱いですました顔で食堂へ行き、肉でも何でも食べられるようになる」。句はまさにこの時期の学生の様子を言ったものであり、作者も医者だったから、自分の若き日の像と重なり合って見えているのだろう。のんびりとした「春昼」の気分には「たゞの顔」が、よく似合う。その「たゞの顔」になるまでのプロセスを体験している人にとっては、見落とすことのできない句になっている。実際、私の友人もひどい状態の時期があった。はじめての解剖実習の後で、たまたまいっしょに食堂に行ったのだが、真っ青な顔をして、何ひとつ食べられなかったことをよく覚えている。それが、いつしか句のように「たゞの顔」になり一本立ちしたのだから、人間という奴はたいしたものだと言うべきだろう。(清水哲男)


March 0332004

 雛の日の鱗につつむ死もありぬ

                           吉田汀史

語は「雛の日(雛祭)」。その命すこやかにと、女の子の息災を祈って行われる行事だ、桃の節句とも言われるように、春開花の季節のはなやぎが行事の本意によくついて色を添える。そのはなやぎの中にあって、しかし作者のまなざしは同時に、どこか遠くの海での孤独な命の終焉に向けられている。「鱗(うろこ)につつむ死」とは魚のそれであるが、単に「魚の死」と言うよりも、「死」をより生々しいものとして読者に訴えかけてくる。鱗がつつんでいるのは、もはや魚とは言えない存在である。それを「死」そのものでしかないと掴んだときに、雛の日のはなやぎの中に、あたかも実体のように「死」は突きだされたのだ。古来、はなやぎの中にさびしさを見出すという感性は珍しくはないけれど、掲句のようにさびしさの根拠を明確に、いわば物質的に指示した例は珍しいと言えよう。しかも作者は、漠然たる思いつきで海での死を思い描いたのではない。雛の日を終えた雛たちは、やがて女の子の命と引き換えに、海の彼方へと流されてゆく運命にある。流し雛。すなわち両者はそれぞれの死を媒介にして、海中で出会うのである。句は、そういうことを暗示している。何というさびしさだろうか。同じ作者に「わが父の舟とゆき逢へ流し雛」がある。まるで子供みたいな発想だと、笑うこと勿れ。「わが父」がこの世の人ではないと理解するならば、夢まぼろしの世界でしか実現しない願いを、作者は「鱗につつむ死」同様に実体化したいのだと気がつく。祈りとは、そういうものだろう。かつて能村登四郎は、作者の特質を「現実のものを夢幻の距離で眺めて詠む」ところにあると言った。至言である。『浄瑠璃』(1988)所収。(清水哲男)


March 0232004

 宰相のごとき声だす恋の猫

                           福田甲子雄

語は「恋の猫(猫の恋)」で春。発情して狂おしく鳴く猫の声を聞いているうちに、「待てよ、誰かの声に似てるな」と思い、思い当たったのが時の「宰相(さいしょう)」の声だった。今度は意識して耳傾けてみると、たしかに似ている。似すぎている。我ながら見事な発見に大満足して、早速書き留めた一句である。嘱目吟ならぬ嘱耳吟とでも言うべきか。作句年代は1980年(昭和55年)だ。で、当時の宰相は大平正芳総理大臣。発言の時に「あ〜、う〜、……」を連発する独特の訥弁口調は、政策云々とは別次元で、多くの人に人気があった。人気という点から言うと、その風貌とともに、戦後では吉田茂に次ぐ人物だったと思う。この句を知ったのは四、五年ほど前のことで、猫にもよるだろうが、なんとか大平的恋猫の声を私も聞いて確かめてみたいと思い、春が来るたびに期待していたのだが、今日まで果たせていない。数年前からどういうわけか、大平的も何も、我が集合住宅の近辺から猫が一匹もいなくなってしまったからである。猫を飼うことは禁止なので飼い猫がいないのは当然としても、しかしそれまではかなりの数の野良猫たちが跋扈しており、交尾期にはやかましいほど鳴いていたというのに、である。なかにはナツいていると、こっちが勝手に思っていた奴もいた。近づくと、ごろにゃんとばかりに仰向けになったものだ。それが、みんないっせいに、どこへ消えちゃったんだろうか。とても気になる。だんだん句から離れそうになってきたが、掲句のようなことが詠めるのも、やはり俳句様式ならではのことと言えよう。俳句は時代のスナップ写真としても機能する。このことについては、既に何度か書いた。『白根山麓』(1982)所収。(清水哲男)




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