午後から詩の某賞選考会へ。選ぶ責任。自分の読みの深浅が問われる日だ。




2004ソスN2ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 2422004

 寝押したる襞スカートのあたたかし

                           井上 雪

語は「あたたか(暖か)」で春。と何気なく書いて、待てよと思った。このスカートの「あたたかし」は、外気によるものではないからだ。だから、むしろもっと寒い冬の時期の句としたほうが妥当かもしれない。しかし待てよ、早春の寒い朝ということもあり得るし……、などと埒もないことを考えた。作者は十二歳から有季定型句を詠みつづけた人だから、作句時には「あたたか」を春の季語として意識していたとは思う。とすれば、寝押ししたスカートをはいたときの暖かさを、気分的に春の暖かさに重ねたのだろうか。いずれにせよ十代での句だから、あまりそんなことにはこだわらなかったとも思える。それはそれとして、襞の多いスカートの寝押しは大変だったろう。折り目正しくたたまなければならないし、敷布団の下に敷くのもそおっとそおっとだし、寝てからも身体をあまり動かしてはいけないという強迫観念にかられるからである。もちろん私はズボンしか寝押ししたことはないけれど、起きてみたら筋が二本ついていたなんて失敗はしょっちゅうだった。しかし、それ一本しかないんだから、はかないわけにはいかない。そんな失敗作をはいて出た日は、一日中ズボンばかりが気になったものだ。作者が掲句を詠んだときの寝押しは、大成功だったのだろう。その気分の良さがますます「あたたかし」と感じさせているのだろう。女性の寝押し経験者には、懐しくも甘酸っぱい味わいの感じられる句だと思う。この「寝押し」も、ほとんど死語と化しつつある。プレスの方法一つとっても、すっかり時代は変わってしまったのだ。『花神現代俳句・井上雪』(1998)所収。(清水哲男)


February 2322004

 寿限無寿限無子の名貰ひに日永寺

                           櫛原希伊子

際に「日永寺」という名の寺は千葉県にあるけれど、ここでは春の季語「日永」で切って読み、春の寺のおだやかなたたずまいを想起すべきだろう。「寿限無」はむろん、落語でお馴染みの長い名前だ。はじめて男の子を授かった長屋の八五郎が、何かめでたい名前をつけてほしいと坊さんに相談したところ、出てきた名前がこれだった。「じゅげむ じゅげむ ごこうのすりきれず かいじゃりすいぎょのすいぎょうまつ うんらいまつ ふうらいまつ くうねるところに すむところ やぶらこうじのぶらこうじ ぱいぽぱいぽ ぱいぽのしゅーりんがん しゅーりんがんの ぐーりんだい ぐーりんだいのぽんぽこぴーの ぽんぽこなの ちょうきゅうめいのちょうすけ」。最初の「じゅげむ(寿限無)」からして、寿(よわい)限り無しと、すこぶるめでたい。落語の登場人物だからまったくのフィクションかと思っていたら、実在の人物と聞いて驚いた。それが証拠に、戦中まで東京四谷の法眼寺に彼の墓があったそうだ。なにしろ馬鹿長い名前なので、高さは33メートルもあり、天気が良ければ上野あたりからでも見えたという。惜しいことには空襲で真ん中あたりが破損し、折れたら危険だというので撤去されてしまった。姓は鈴木で神田の生まれ、長じて大工職、1897年(明治30年)に98歳で亡くなっている。寿限無とまではいかなかったが、昔にすればかなりの長寿だ。こんな墓を建てたほうも建てたほうだとも思うが、まるでそれこそ落語みたいな呑気さを地でいったところに心がなごむ。こんな話を思い合わせて掲句に帰ると、春風駘蕩、ギスギスした世の中をしばし忘れさせてくれるのである。『櫛原希伊子集』(2000)所収。(清水哲男)


February 2222004

 檪原遠足の列散りて赤し

                           藤田湘子

語は「遠足」で春。「檪(くぬぎ)」は小楢(こなら)などとともに、いわゆる雑木林を形成する。掲句の場合の「檪原」は、遠足で来るのだから、たとえば東京・井の頭公園に見られるように下道がつけられ、よく手入れされた公園の広場を思い起こせばよいだろう。芽吹きははじまっているが、檪の落葉は早春までつづくので、広場は全体としてまだ茶色っぽい感じである。良く晴れていると、高い木々の枝を透かして落葉の上にも日差しが降り注ぐ。そんなひとときの自由時間だ。子供たちは思い思いの方向に散ってゆき、茶色っぽい広場には点々と「赤」がまき散らされた。最近の遠足だと、子供らはみな交通安全用の黄色い帽子をかぶっているので、服装の赤よりも目立つけれど、句は半世紀近い前の作である。女の子たちの服やリボンや水筒などの赤が、目に沁みた時代であった。檪も子供たちも、これからぐんぐんと育っていくのだ。敗戦後の混乱期にあっては、たかが遠足風景でも、目撃した大人たちは明日への希望につながる感慨を覚えたにちがいない。当時の作者の境遇については、少し以前の句「風花もひとたびは寧し一間得し」などから想像できる。そして、余談。私が通った田舎の小学校にも遠足はあった。だが、あまり楽しい思い出はない。行く先が、近所の山ばかりだったからだ。友人曰く。「山に住んどるモンが、山へ行って、どねえせえっちゅうんじゃ」。ま、その日は勉強しないでもすむので、それだけはみんな楽しかったのかな。『途上』(1955)所収。(清水哲男)




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