懸案だった家庭内LANに取りかかりたい。が、これがけっこう面倒なのだ。




2004ソスN2ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 1722004

 春水に歩みより頭をおさへたる

                           高浜虚子

語は「春水(春の水)」。春は降雨や雪解け水などで、河川はたっぷりと水を湛える。明るい日差しのなかで、せせらぎの音も心地よく、ちょっと足を止めてのぞきこんでみたくなる。水中の植物や小さな魚たちを見ていると、心も春の色に染まってくるようだ。小学生のころから、私は春の川を見るのが好きだった。だから、こういう何でもないような句にも魅かれるのだろう。実際、この句は何でもない。水の様子をのぞこうとして川に近づき、思わずも半ば本能的に「頭(ず)おさへた」というだけのことにすぎない。「おさへた」のは、頭に帽子が乗っていたからだ。春先は、風の強い日が多い。したがって、飛ばされないようにおさえたのだろうと読む人は、失礼ながら読みの素人である。そうではなくて、このときに風は吹いていなかった。ちっとも吹いていないのに、そしてほんの少し頭を傾けるだけなのに、無意識のうちに防御の姿勢があらわれてしまった。そのことに、作者は照れ笑い、ないしは微苦笑しているのだ。帽子をかぶる習慣のある人には、どなたにも同じような覚えがあるだろう。この笑いのなかに、春色がぼおっと滲んでいる。このような無意識のうちの防御の姿勢は、程度の差はあれ、日常生活のなかで頻繁にあらわれる。転びそうになって両手を前に出したり、ぶつかりそうになって飛び退いたり……。しかし、結果的には過剰防衛だったりすることもしばしばだ。私などはすぐに忘れてしまうが、作者は忘れなかった。句作の上において、この差は大きいのかもしれない。『虚子五句集・上』(1996・岩波文庫)所収。(清水哲男)


February 1622004

 左大臣の矢を失いし頃の恋

                           寺井谷子

恋だろうか、あるいは片想いだったのか。苦い体験も、時を隔てて振り返れば、甘酸っぱい味に変わっていることもある。「左大臣」は、むろん桃の節句の雛壇に飾る人形の一人だ。弓をたばさみ、背には矢を背負っている。この爺さんは大権力者だが、ときに恋の橋渡し役もつとめたというから、酸いも甘いも噛み分けた人格者というキャラクターなのだろう。ところが、ある年に飾ろうとして箱から出してみると、どうしたことか背負い矢が無くなっていた。そのまま飾るには飾ったけれど、なんともサマにならないのである。そういえば、成就しなかった恋も、ちょうどあの頃のことだった。成就しなかったのは、もしかすると橋渡し役の逆鱗に触れたのかもしれない。と、そこまでの含意があるかどうかはわからないけれど、雛飾りと失われた恋との取り合わせは、どこか甘美な思いへと読者を誘う。過ぎ去れば、すべて懐かしい日々。そんな抒情性につながっている。私は男兄弟だけだから、雛祭りとは無縁だった。だが、子供ふたりは女の子。長女が三歳くらいになったときに、雛人形を求めてやろうとしたら、ひどく怖がっていらないと言われた。次女も同様に、人形の類いはいっさい受け付けなかった。なるほど、よくよく見ると、人形には不気味なところがある。怖いと言えば、その通りである。そんなわけで、ついに私は自宅での雛祭りとは無縁のままにきてしまった。近所の図書館では、例年この時期に数組の古い雛たちが飾られるので、それらを拝見するのが私のささやかな雛祭りということになる。「俳句」(2003年5月号)所載。(清水哲男)


February 1522004

 弁当を分けぬ友情雲に鳥

                           清水哲男

こかに書いたことだが、もう一度書いておきたい。三十代の半ばころ、久しぶりに田舎の小学校の同窓会に出席した。にぎやかに飲んでいるうちに、隣りの男が低い声でぼそっと言った。「君の弁当ね……」と、ちょっと口ごもってから「見たんだよ、俺。イモが一つ、ごろんと入ってた」。はっとして、そいつの横顔をまじまじと見てしまった。彼は私から目をそらしたままで、つづけた。「あのときね、俺のをよっぽど分けてやろうかと思ったけど、でも、やめたんだ。そんなことしたら、君がどんな気持ちになるかと思ってね。……つまんないこと言って、ごめんな」。食料難の時代だった。私も含めて、農家の子供でも満足に弁当を持たせてもらえない子が、クラスに何人かいた。イモがごろんみたいな弁当は、私一人じゃなかったはずだ。当時の子供はみな弁当箱の蓋を立て、覆いかぶさるよにして、周囲から中身が見えないように食べたものである。粗末な弁当の子はそれを恥じ、そうでない子は逆に自分だけが良いものを食べることを恥じたのである。だから、弁当の時間はちっとも楽しくなく、むしろ重苦しかった。食欲が無いとか腹痛だとかと言って、さっさと校庭に出てしまう子もいた。私も、ときどきそうした。粗末な弁当どころか、食べるものを何も持ってこられなかったからだ。何人かで校庭に出て、お互いに弁当の無いことを知りながら、知らん顔をして鉄棒にぶら下がったりしていたっけ。そんなときに、北に帰る渡り鳥が雲に入っていった様子が見えていたのかもしれないが、実は知らない。でも、私の弁当のことを気遣ってくれた彼の友情を知ったときに、ふっと見えていたような気になったのである。『打つや太鼓』(2003)所収。(清水哲男)




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