そうか、今年は閏年だったか。勤めてたころは損した気になったが、今は逆。




2004ソスN2ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0222004

 全人類を罵倒し赤き毛皮行く

                           柴田千晶

語は「毛皮」で冬。「赤き毛皮」だから、着ているのは若い女性だろう。この女性の心中で、何がどのように鬱屈しているのかはわからない。わからないが、鬱屈が高まって、ついに「全人類を罵倒」するにいたった激情はわかるような気がする。昨今の政治家や企業家たちの愚かさや、また私を含めて、彼らの愚かさに結果としては従順に付き従っている庶民の愚かさなどを省みるとき、いまや人類は自己疎外の極に立っていると言っても過言ではないと思われる。世界中の人間は、すでにまったく「物」と化しているのではあるまいか。ここで激情を噴出させない人間のほうが、本当はどうかしているのである。「赤き毛皮」の女性の呪詛は、しごく真っ当なのだ。この女性は作者その人ではないだろうけれど、作者の気持ちを分かち持っており、作者の分身だと見た。それも具体的現実的に目の前にいる人物ではなく、現代にあらまほしき人物として作者の想像世界を颯爽と歩いているのだとも……。下世話なことを言うようだが、このときに罵倒している主体が若い女性であるから、句になった。これが若い男やおじさん、おばさんだっていっこうに構わない理屈にはなるが、読者にこの中身をうまく伝えるに際しては、やはり「赤き毛皮」(のコート)の訴求力に求めるのがいちばんだろう。再び下世話に言えば、「赤き毛皮」は激情によく通じ、とにかく絵になるのだ。格好が良いのだ。というと浅薄に聞こえるかもしれないが、コミュニケーションにおける格好の良さは、とても大事な要素だと、私はいつも思ってきた。俳誌「街」(No.45・2004年2月)所載。(清水哲男)


February 0122004

 本買へば砂觸りある二月の夜

                           原田種茅

日から「二月」。今年の立春は四日だ。まだまだ寒い日がつづくけれど、暦の上では春の月である。作者は、小さな書店で本を買い求めた。新刊書なのに、なんとなくざらついた手触りがする。「砂觸り(すなざわり)」という言葉は知らなかったが、言い得て妙だ。この時期、関東地方などではからから天気がつづき、風の強い日も多い。昔の書店の戸口はたいてい開けっ放しになっていたから、かなりこまめにハタキをかけても、本には小さな砂粒がうっすらと堆積してしまう。とくに平積みにされた大判の雑誌などの表紙は、いつもじゃりじゃりしていたものだ。しかし、それもまた本格的な春間近の兆しと思えば、心もなごむ。買ったのは夜なので、表はあいかわらず冬と同じ寒さなのだろう。が、この「砂觸り」が、たしかに春の近いことを告げている。触覚だけから「二月」を言い当てたところに、作者の冴えた、それこそ手つきが浮び上ってくる句だ。我が家にいちばん近い書店には、こうした昔の本屋の雰囲気が残っている。さすがに自動ドアはつけているのでハタキは不要らしいが、落葉の季節になると、門口を掃く店主の姿をよく見かける。いつ行っても、客のいないことが多い。正直言って品揃えは目茶苦茶で、これも昔の小さな本屋と同じだ。そして、なによりも昔とそっくりなのは、平積みにする台の低さである。開業以来、一度も台を替えていないと睨んだ。平均して昔の人は背が低かったからちょうどよかったのだろうが、いまどきの若者だと、いや中背の私でもかなり屈まなければ本に触れない低さなのだ。レトロもいいけど、ちょっとねえ……。『俳句歳時記・春之部』(1955・角川文庫)所載。(清水哲男)


January 3112004

 キオスクに黒タイを買ふ漢の嚔

                           石井ひさ子

語は「嚔(くさめ・くしゃみ)」で冬。「漢(かん)」は男子のこと。好漢、悪漢、無頼漢などと使う。これから通夜に出かけるところか。不祝儀は突然にやってくるものだから、男もあわてて「キオスク」で「黒タイ」を買っているのだろう。そのときに、思わずも「嚔」が出てしまったのを作者は目撃した。って、嚔はたいてい思わずも出るものだが、傍で見ていると、なんとなくその人が緊張感を欠いているように写ってしまう。だから、この男の通夜に行く心情も、あまり切実ではなく、どちらかといえば義理を果たしに行くという感じに見えたのだった。義理の付き合いも大変だな……。そういうことだろうと思う。こういうときにキオスクはまことに便利で、黒タイもあれば香典袋もある。むろん祝儀袋もあり、署名用の筆記用具もあるといった案配だ。私も、何度かそういうものを求めた経験がある。品揃えにはコンビニと共通するところもあるが、やはりキオスクならではの独特の仕入れ方があるのだろう。なにしろ、客が電車を待つ間のほんの短い時間での勝負だ。よく眺めたことはないけれど、句の「黒タイ」同様に、他の商品も緊急事にとりあえず間に合うような、しかも安価なものが多く取りそろえてあるはずである。そのときに不必要な人には、なんでこんなものが置いてあるのかと首をかしげたくなる商品も、きっとあるに違いない。一度、じっくりと観察してみよう。俳誌「吟遊」(No.21・2004年1月)所載。(清水哲男)




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