以倉紘平『夜学生』(編集工房ノア)に感動した。彼らの世界にも「しらけ」蔓延と。




2004ソスN1ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1312004

 ピッチャーは冬田の狼 息白し

                           天沢退二郎

作「カムフラージュ」九句のうち。季語が二つ出てくるので、当歳時記ではまとめて「冬」に分類しておく。前書に「以下の九名(ナイン)、野球チームとは世を忍ぶ仮の姿也」とあるから、男の性格や気質、ありようなどを野球のポジションになぞらえて詠んだものだろう。餌を求めて里に下りてきた孤狼一匹、吐く息はあくまでも白く、眼光炯々として獲物を求めている図である。かつての田んぼ野球派としては、投手の気概をさもありなんと感じて、懐しくも力の入る句だ。田んぼ野球からプロ野球まで、投手の性格はこうでなければ勤まらない。「お先にどうぞ」などという優しい性格は、マウンドには不向きである。本当は心優しくても、マウンド上では必死の狼になる必要がある。まだ現役のときの江夏豊に聞いた話だが、彼の肩をいからせてのっしのっしと歩く姿までが、ほとんど演出だった。「そうでもしないと、なめられてしまう」。草野球でも同じである。野球に限らず、そんな演出が必要なポジションは、世の中にいろいろとありそうだ。だから「カムフラージュ」というわけか。作者は知る人ぞ知る野球狂で、とくに少年期に親しんだ職業野球や六大学、都市対抗の選手たちの話を聞いていると、その博覧強記たるや尋常ではない。このごろでは、床についてからふと往時のある球団のセンターのことを思い出し、次に「ではライトには誰がいたか」と思い出そうとして思い出せず、それが原因で寝られなくなるというのだから、これまた尋常じゃない。そんな詩人の詠んだ句である。もう一句。「辛酸を嘗め過ぎ捕手の下痢やまず」。ははは。なにせ相棒は狼なので、気苦労が多いからね。と笑っては、全国の捕手諸君に失礼か。俳誌「蜻蛉句帳」(21号・2003年12月)所載。(清水哲男)


January 1212004

 隠し持つ狂気三分や霜の朝

                           西尾憲司

とえば雪が人の心を包み込み埋め込むのだとすれば、「霜」は逆だろう。神経を逆撫でするするようなところがあり、人を身構えさせる。作者が「狂気三分」を覚えたのも、心でキッと身構えたからにちがいない。出勤の朝だろうか。いや休日であろうとも、おのれの狂気を「隠し持つ」一日がまたはじまったわけである。このときに「狂気」とは、世の中の仕組みとはとうてい折り合わないけれど、しかし自分にとってはしごく自然な心のありようのことだろう。人はひとりでは生きられないから、誰もが折り合いをつけるために、折り合いのつかない部分を抑えながら生きていく。ワッと叫びたいけど、叫べない。いっそ一思いに叫んだら、どうなるのか。その答えを知っている心がなお自分を押さえつけ、その自己抑圧はおそらく生涯つづいてゆくような気がする。昨日から、谷崎潤一郎が七十七歳のときに書いた『瘋癲老人日記』を読みはじめた。日記という形式だから、ことさらに狂気を隠す必要はないわけで、そこが面白い。テーマを単純化してしまうと、かつての名作『春琴抄』の佐助の狂気を、現実の老人の日常に置き換える試みのようだ。主人公は老人という弱者の立場を逆に利用して、ずる賢くも狂気の現実化を少しずつ計ろうとするのだが、たとえ家族同士の狭いつきあいでも、やはり世の中であることには変わりない。簡単には、事は進まない。掲句の作者の心情は多くに共通するそれだろうから、そんな読者像を熟知していた老いたる谷崎は、ついに人の心は解放されっこないぜと、この世の中に捨て台詞を残したかったかのようである。『磊々』(2002)所収。(清水哲男)


January 1112004

 冬川の假橋わたりとつぎゆく

                           金尾梅の門

校時代は電車通学だったが、駅までの道に多摩川を越える50メートルほどの長さの高い橋があった。永田橋という名前だった。それまでの渡船場が廃止され橋をかけたわけだが、これがいかにも急造といった木造の頼りない橋で、まさに「假橋」。車が通るたびにギシギシと鳴り、かなり揺れるのだった。申し訳程度に低い欄干がついてはいたが、ダンプカーと擦れ違った際にあやまって河原に転落し、一年間の休学を余儀なくされた同級生がいる。句の「假橋」も、そんなものではないかと連想した。荒涼たる冬の川にかかる粗末な橋を渡って「とつぎゆく」女性は、実の娘か身内の者だろうか、それとも偶然に見かけた見知らぬ人だろうか。いずれにしても「わたり」「とつぎゆく」の平仮名表記が、まだどこかに幼さの残る女性を思わせる。この橋の向こうに爛漫たる春が待っていてくれればよいのだが、なんだか苦労だけが待ち受けているような心細さのほうが先に立ってならない。その気持ちを打ち消しつつ、花嫁を見送る作者の気持ちがよく滲み出ている句だ。なお作者の「梅の門(うめのかど)」とはいかにも古風な俳号で、江戸か明治に活躍した人を思わせるけれど、1980年に八十歳で亡くなった人だから、現代の俳人と言ってよい。『俳句歳時記・冬之部』(1955・角川文庫)所載。(清水哲男)




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