石破長官がイラクの自衛隊に対する報道自粛を要請。正面からの言論統制がはじまった。




2004ソスN1ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1012004

 餅を食ふ三十三年前の父

                           吉田汀史

語は「餅」で冬。なぜ「三十三年前」なのだろうか。前書はないのだが、何か理由があるはずだと、句集の作句年代を見てみた。1977年(昭和五十二年)の冬に詠まれている。この年の三十三年前は1944年(昭和十九年)であり、すなわち敗戦の前年にあたる。この年、作者は十三歳。冬なので、まだ国民学校(小学校)6年生だったろう。こう見取り図を描いてみると、黙々と「餅を食ふ」父親像が浮かんでくる。作者がその姿をよく覚えているのは、食料難の時代だったからだ。配給の糯米で搗いたのか、あるいは他家よりのお裾分けなのか。比較的豊かな稲作農家であれば話は別だが、普通の家庭であれば潤沢に餅があったとは考えにくい。少しの餅を、家族で少しずつ分け合って食べた。それを少しも嬉しそうにではなく、むしろ不機嫌そうに食べていた父親。いまにして思えば、父親の不機嫌の理由は理解できるが、当時は何もわからなかった……。いま作者も餅を食べていて、ふっと当時のことを思い出し、家族を抱えて前途暗澹、さぞや苦しかったであろう父親の胸中を思っているのである。知らず知らずのうちに、作者もまたそのときの父親の顔つきで「餅を」食っていたのだろうなと想像される。あのころの父親は、そしてもちろん母親もまた、まだ若い時代を、ただ苦労するためにだけ生まれてきたようなものだと思う。憎んでも憎みたりないのは戦争である。『浄瑠璃』(1988)所収。(清水哲男)


January 0912004

 空青しフレームの玻璃したたりて

                           金子麒麟草

語は「フレーム」で冬。といっても、すぐにイメージのわく読者がどれくらいおられるだろうか。外来語(英語の"frame")ではあるが、季語にまでなっているほどだから、一時は一般用語としても普通に通用していたのだろう。しかし、私は知らなかった。この句をみつけた歳時記に曰く。「寒さから植物を保護し、また蔬菜や花卉を促成栽培するための保温装置あるひは人工を以て温熱を補給する設備のこと。藁・蓆などで覆つた簡単なものなどいろいろある」。要するに温室のことで、英語の辞書で"frame"を引くと、何番目かの意味にちゃんと「温室」と出てきた。一般住宅とは違い、枠(フレーム)組みが露わであることからの命名だろうか。句のそれはガラス張りだ。昔の農家の設備としては高価すぎる感じがするので、農事試験場や植物園の温室だろうと思う。何日かつづいた雪空が一転して晴れわたり、抜けるような青空の下で、温室の大きな「玻璃(はり)」が溶ける雪のしずくを滴らせている。まことに清々しい情景で、仕事始めの句だとすれば、なおさらに気持ちがよい。この「フレーム」が使われなくなったのは、おそらくビニール・ハウスの圧倒的な普及に原因していると思われる。昨秋訪れた故郷の村も、「ハウス」だらけであった。米作だけでは生活が成り立たなくなり、どこの家でもハウスでトマトやキュウリを栽培していると聞いた。本来は夏の野菜が、一年中出回っているわけである。そのことに私などはよく季節感の喪失を嘆くのだが、農家は生きるために、そんな悠長なことを言ってはいられないのだ。そのことが、よくわかった旅でもあった。『俳句歳時記・冬之部』(1955・角川文庫)所載。(清水哲男)


January 0812004

 冬草もそよぐ時ありおもひでも

                           橋本 薫

語は「冬草(ふゆくさ)」。枯れているのもあれば、枯れかかっているのもある。むろん、なかには枯れずに青いままの草もある。言われてみれば、なるほどそれらは「おもひで」に似ている。見捨てられ忘れられたような冬の草も、ときには優しく風にそよぐ。それに気がつくとき、人は立ち止まり優しい気持ちになる。春風にそよぐ草々とは違い、冬草のそよぎには明るい兆しが見えるわけではない。「おもひで」も同様で、もはや過去の現実は動かない。動かせない。が、それでもたまさか何かのはずみで、ほのぼのとした動きを見せることがある。楽しかったことだけではなく、苦しかったことですら同じように心の風に優しくそよぐのである。これはおそらく、いまの自分の境遇や気持ちのありようと密接に関係しているのだろう。自分の今が、心のなかにいろいろな風を吹かせるからだろう。そして、もう一つ。心に吹く風は、加齢とともにだんだん穏やかになってくるようだ。微風が多くなるらしい。私はこのことを、詩人・永瀬清子の『すぎ去ればすべてなつかしい日々』という随想集に感じた。「自我が強くなければ物は書けない」と言った詩人の晩年は、自我が「おもひで」のなかに溶け込んでゆく過程なのであった。すぎ去ればすべてなつかしい日々……。自然にこう思える日が、誰にでも訪れるてくれればと願う。しかし、まだまだ私は生臭い草のままのようである。『夏の庭』(1999)所収。(清水哲男)




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