輪飾をいつ外せばよいのか。東京では今日が定説のようだが、七日正月と言うからなあ。




2004ソスN1ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 0612004

 絶筆となる日もあらむ初日記

                           沼田黄葉子

学高校時代と日記をつけていた。はじめは学校で提出を義務づけられたからで、惰性でなんとか高校まではつづけられたが、それもだんだん飛び飛びになり、いつしか頓挫した。したがって、いまは「初日記」の感慨はない。感慨ではないけれど、つけていた頃の正月には、いつも市販の日記帳のトップにある「年頭の所感」を書きあぐねて苦労したことを思い出す。だいたいが人生や生活を設計したりするタイプじゃないから、年の始めだといって「よし、がんばるぞ」という気が起きなかったようだ。この気質は、相変わらずである。しかし世の中を見渡すと、日記をつけている人は多いらしく、歳時記にもたくさんの「初日記」句が並んでいる。なかで目についたのは、掲句のような高齢者(とおぼしき人)が詠んだもので、新しいページを前にして思うことは、もはや「よし、やるぞ」ということよりも、余命についてなのであった。若いうちだと、絶対に出てこない思いである。当たり前といえば当たり前の思いかもしれないが、あらためて差しだされてみると、胸の奥がかすかにうずく。私にも、こういう句がわかるような年齢が訪れたということか。いたしかたなし。されど、口惜し。へんてこりんな感想になってしまった。『新日本大歳時記・新年』(2000・講談社)所載。(清水哲男)


January 0512004

 皴のない黒カーボン紙事務始

                           河原芦月

ういえば、こんな時代が長かった。現在のようなコピー機がなかったころには、複写のためには「カーボン紙」を何枚か白紙の間に挟み、筆圧をかけて文字などを書いていくしかなかった。使っていくうちに、だんだん複写の鮮明度が落ちてくる。それでも経費節減で、皴だらけになっても、すり切れる寸前まで大切に使ったものだ。さて、今日は新年の「事務始(仕事始)」。作者は皴ひとつない真新しいカーボン紙を広げて、清々しい気持ちになっている。事務職の現場の人でないと、カーボン紙に初春の喜びを感じる気持ちはわかるまい。あれはしかし、手が汚れて、取り扱いが厄介だった。このカーボン紙を職場から追放するきっかけになったのは、1955年(昭和30年)に登場したジアゾ感光紙だ。複写したい原稿を重ねて、上から光を当てると原稿の文字や図形で光が遮られ、複写できるというもの。その後は現在の電子写真複写機が普及し、さらにはパソコンの導入もあって、カーボン紙はすっかり姿を消してしまった。ただし、ノーカーボン紙というかたちでは生き残っている。「ノー」とうたってはいるけれど、複写の原理としては昔のカーボン紙と変わらないものだ。さらに生き残りの影を探せば、パソコンのメーラーの宛先欄に「CC」という項目がある。同一のメールを何人かに送るときに便利だが、あれが「Carbon Copy」の略であることを知らない人は結構多い。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


January 0412004

 膝にパン置く少年へお年玉

                           矢沼冬星

族で年賀の挨拶に来ている。「はい、お年玉」と差しだすと、少年が食べかけのパンを膝の上に置いて、両手で受けとった図だ。たぶん、他には大人ばかりの席なのだろう。パンをテーブルに置かないのは、歯形のついたものを剥き出しに晒したくないという含羞からである。だから、咄嗟に隠すように膝に置いたのだ。初々しい少年の仕草が好もしい。また、お節料理は子供の口に合うまいと、ちゃんとパンを用意しておいた主人の側の配慮も暖かい。正月ならではのほほ笑ましい情景だ。こういう句を読むと、おのずから微笑が浮かんでくるが、ちょっびり哀しい気分にもなってくる。というのも、膝にパンを置くというような純情な少年期が、誰にもそう長くは続かないことを思ってしまうからだ。まことに「少年老いやすく」なのであって、この少年に自分の同じ時期のあれこれが重なり、そしてすぐに現在の自分との隔たりの遠さを思い知らされるからである。作者の意図が那辺にあるにせよ、このあたりまで読まないと、鑑賞が成立しないような気がする。大人の前ではかしこまってばかりいて、故に例えばよくしてくださった先生とも、遂に一定の距離を置き続けてしまった。そんなことまでに思いがいたり、正月早々からしんみりさせられたことである。『現代俳句歳時記』(1989・千曲秀版社)所載。(清水哲男)




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