初夢にうなされた。誰かが出てきたせいだが、誰だったか思い出せない。こん畜生め。




2004ソスN1ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 0412004

 膝にパン置く少年へお年玉

                           矢沼冬星

族で年賀の挨拶に来ている。「はい、お年玉」と差しだすと、少年が食べかけのパンを膝の上に置いて、両手で受けとった図だ。たぶん、他には大人ばかりの席なのだろう。パンをテーブルに置かないのは、歯形のついたものを剥き出しに晒したくないという含羞からである。だから、咄嗟に隠すように膝に置いたのだ。初々しい少年の仕草が好もしい。また、お節料理は子供の口に合うまいと、ちゃんとパンを用意しておいた主人の側の配慮も暖かい。正月ならではのほほ笑ましい情景だ。こういう句を読むと、おのずから微笑が浮かんでくるが、ちょっびり哀しい気分にもなってくる。というのも、膝にパンを置くというような純情な少年期が、誰にもそう長くは続かないことを思ってしまうからだ。まことに「少年老いやすく」なのであって、この少年に自分の同じ時期のあれこれが重なり、そしてすぐに現在の自分との隔たりの遠さを思い知らされるからである。作者の意図が那辺にあるにせよ、このあたりまで読まないと、鑑賞が成立しないような気がする。大人の前ではかしこまってばかりいて、故に例えばよくしてくださった先生とも、遂に一定の距離を置き続けてしまった。そんなことまでに思いがいたり、正月早々からしんみりさせられたことである。『現代俳句歳時記』(1989・千曲秀版社)所載。(清水哲男)


January 0312004

 真っさらで無くてもいいや寝正月

                           榊原風伯

詣でに出かけたり、きちんと挨拶回りをしたりと、正月を粛然とした「真っさら」な気持ちで過ごす人がいる一方で、こういう人もいる。せっかくのまとまった休日だ。思う存分朝寝をして、何をするでもなく一日をやり過ごす。淑気も何もあるものか、これに勝る贅沢なしと「寝正月」を決め込むのだ。どうぞ、ごゆっくり……。ただ変なことを言うようだが、こうした心境になるにも才能が要る。そんな気がする。私は昨春までスタジオ暮らしだったので、暮れにも正月にも休みがなかった。実に久しぶりに仕事のない新年を迎えているわけだが、元日はともかく、昨日あたりからどうも落ち着けないでいる。何もしないで過ごしてよいことはわかっているのだが、ときどき自分に言い聞かせないと、不安になってくる。かといって世間は休みだし、まさか誰かを呼びだして遊ぶわけにもゆかないし、どうにもこの時空間を持て余し気味である。傍目からすれば、私の様子は完ぺきな寝正月なのだろうが、内心はほとんど逆なのだ。掲句に触れて思ったのは、だから寝正月にも才能が必要なのではないかということだった。もう一句、こんなのもある。「ごろりんこごろんと極め寝正月」(北星墨花)。そうか、やはり寝正月も「極め」るものであるらしい。才能に加えて、努力も要るようである。『炎環・新季語選』(2003)所載。(清水哲男)


January 0212004

 懸想文売りに懸想をしてみても

                           西野文代

語は「懸想文売(けそうぶみうり)」で新年。現代の歳時記には、まず載っていないだろう。江戸期の季語だ。「懸想文」とは艶書、ラブレターのことだが、まさかラブレターを売ってまわったわけじゃない。曲亭馬琴の編纂した『俳諧歳時記栞草』(岩波文庫)に、こうある。「鷺水云、赤き袴、立烏帽子にてありく也。銭を与へつれば、女の縁の目出たく有べしといふことを、つくり祝して洗米をあたへ帰る也。今は絶て其事なければ、恋の文のやうに覚えたる人も有故に、口伝をこゝにしるしはべる」。要するに、良縁を得る縁起物を売り歩いた男のことである。馬琴の生きた18世紀後半から19世紀半ばのころにも、既に存在しなかったようで、「それって、なに?」の世界だったわけだ。ところが、ところが……。1923年に京都で生まれた作者は、馬琴も見たことのない「懸想文売り」に、実際に会っている。こう書いている。「その年の懸想文売りは匂うように美しかった。おもてをつつむ白絹のあわいからのぞく切れ長な目。それは、男であるということを忘れさせるほどの艶があった」。で、掲句ができたわけだが、ううむ、いかな京都でもそんな商売が成り立っていたのだろうか。作者は、八百円で買ったというが……。その日は、ちょうど波多野爽波の句会があって、さっそく作者がこの題を出したところ、爽波が言ったそうだ。「誰ですか。こんな作りにくい題を出したのは」。たしかに作りにくかろうが、しかし懸想文売りの存在は爽波も一座の人も知っていたことになる。で、その席で爽波が作りにくそうに作った句が、「東山三十六峰懸想文」。何のこっちゃろか。『おはいりやして』(1998)所収。(清水哲男)




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