炭火で焼いた丸餅が食べたい。焼きたてに塩を振り、お茶漬けにすると美味いんだけど。




2004ソスN1ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 0312004

 真っさらで無くてもいいや寝正月

                           榊原風伯

詣でに出かけたり、きちんと挨拶回りをしたりと、正月を粛然とした「真っさら」な気持ちで過ごす人がいる一方で、こういう人もいる。せっかくのまとまった休日だ。思う存分朝寝をして、何をするでもなく一日をやり過ごす。淑気も何もあるものか、これに勝る贅沢なしと「寝正月」を決め込むのだ。どうぞ、ごゆっくり……。ただ変なことを言うようだが、こうした心境になるにも才能が要る。そんな気がする。私は昨春までスタジオ暮らしだったので、暮れにも正月にも休みがなかった。実に久しぶりに仕事のない新年を迎えているわけだが、元日はともかく、昨日あたりからどうも落ち着けないでいる。何もしないで過ごしてよいことはわかっているのだが、ときどき自分に言い聞かせないと、不安になってくる。かといって世間は休みだし、まさか誰かを呼びだして遊ぶわけにもゆかないし、どうにもこの時空間を持て余し気味である。傍目からすれば、私の様子は完ぺきな寝正月なのだろうが、内心はほとんど逆なのだ。掲句に触れて思ったのは、だから寝正月にも才能が必要なのではないかということだった。もう一句、こんなのもある。「ごろりんこごろんと極め寝正月」(北星墨花)。そうか、やはり寝正月も「極め」るものであるらしい。才能に加えて、努力も要るようである。『炎環・新季語選』(2003)所載。(清水哲男)


January 0212004

 懸想文売りに懸想をしてみても

                           西野文代

語は「懸想文売(けそうぶみうり)」で新年。現代の歳時記には、まず載っていないだろう。江戸期の季語だ。「懸想文」とは艶書、ラブレターのことだが、まさかラブレターを売ってまわったわけじゃない。曲亭馬琴の編纂した『俳諧歳時記栞草』(岩波文庫)に、こうある。「鷺水云、赤き袴、立烏帽子にてありく也。銭を与へつれば、女の縁の目出たく有べしといふことを、つくり祝して洗米をあたへ帰る也。今は絶て其事なければ、恋の文のやうに覚えたる人も有故に、口伝をこゝにしるしはべる」。要するに、良縁を得る縁起物を売り歩いた男のことである。馬琴の生きた18世紀後半から19世紀半ばのころにも、既に存在しなかったようで、「それって、なに?」の世界だったわけだ。ところが、ところが……。1923年に京都で生まれた作者は、馬琴も見たことのない「懸想文売り」に、実際に会っている。こう書いている。「その年の懸想文売りは匂うように美しかった。おもてをつつむ白絹のあわいからのぞく切れ長な目。それは、男であるということを忘れさせるほどの艶があった」。で、掲句ができたわけだが、ううむ、いかな京都でもそんな商売が成り立っていたのだろうか。作者は、八百円で買ったというが……。その日は、ちょうど波多野爽波の句会があって、さっそく作者がこの題を出したところ、爽波が言ったそうだ。「誰ですか。こんな作りにくい題を出したのは」。たしかに作りにくかろうが、しかし懸想文売りの存在は爽波も一座の人も知っていたことになる。で、その席で爽波が作りにくそうに作った句が、「東山三十六峰懸想文」。何のこっちゃろか。『おはいりやして』(1998)所収。(清水哲男)


January 0112004

 初刷のうすき一片事繁し

                           永野孫柳

語は「初刷(はつずり)」で新年。新年になってはじめて手にする印刷物を言うのだが、元旦に配達される新聞をさす場合が多い。戦争中の句か、それとも敗戦直後のものだろうか。いまでこそ元日付の新聞は手に重いほど分厚いが、当時は物資不足でうすかった。判型も、しばらくはタブロイド判と小さく、敗戦時の新聞は裏表たった2ページだったと記憶する。まさに「一片」でしかなかった。しかし時代は激動していたから、ニュースには事欠かない。読めばまことに「事繁し」であって、元旦から今年のこの国は、そして自分たちの生活はどうなってしまうのかと、慶祝気分どころではなかっただろう。私はまだちっぽけな子供だったので、新聞が読めなくて助かったようなものである。その後は年ごとに厚くなってきて、附録の別刷りがカラーになったのが、たしか中学生のときだった。トップには富士山の写真が載り、その下には草野心平などの新年を寿ぐ詩が載ったものだ。詩の意味などわからなくても、眺めているだけで気分がよかった。色刷りの漫画を見るのも元日の楽しみで、盛んに漫画を描いていたころだから、水彩絵の具を持ちだしては真似をした。テレビもなく娯楽が少なかったから、あのころの少年少女たちは、けっこう元日の新聞を待ちかねて楽しんでいたのではなかろうか。今日付の新聞を、当時の目で楽しんでみようと思う。もう一句。「初刷を手にしたるとき記者冥利」(吉井莫生)。分厚い新聞は、こうした記者たちの奮闘のおかげもあるのだ。昔のことを思えば、読まずに捨てるのは実にもったいない。『合本俳句歳時記』(1974・角川書店)所載。(清水哲男)




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