年内に片づけておきたいが、もういいや。ってな心境は、風邪がまだ少し残っている故。




2003ソスN12ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 30122003

 注連賣の灯影のくらき店じまひ

                           宇佐美ふき子

語は「注連売(しめうり・飾売)」。近くの吉祥寺の街に、ハモニカ横丁と呼ばれる一画がある。戦後にバラック建てではじまったヤミ市マーケットの雰囲気が、いまでも残っている。通りは人二人がやっと擦れ違えるほどの狭さで、両側に小さな洋品店や雑貨店、食堂や飲屋などが軒を連ねている。普段はひっそりとしているが、年の暮れともなると、にわかに活気づく。昔ながらの「年の市」の雰囲気があるからだろう。お年よりの客が多いけれど、最近では若者の姿も目立つようになってきた。ここの飾り売りは、花屋の狭い店先だ。なんとなく値段などを眺めていたら、年配の女性がやってきた。「今夜は、何時までやってるの」。と、店のおばさんが「遅くまで」とぶっきらぼうに答える。「遅くったって、何時までよ」。「さあ、何時までにしようかねえ」。すると傍らの客が「まあ、おばさんが眠くなるまでだな」。そんな案配に、くだんの女性客は笑いながら「しょうがないのねえ。じゃ、いま買っとく。今日は大安だからね」。つられて私も「そうか、大安か」と思い、買うつもりもなかった輪飾りを買ってしまったのだった。なんのことはない、客のほうが商売しているようなものである。帰ってから、この句を読んだ。そして、あのおばさん、そろそろ「店じまひ」の頃かしらんと、吹き抜けの横丁の暗い寒さを思った。『俳句歳時記・冬之部』(1955・角川文庫)所載。(清水哲男)


December 29122003

 数へ日のともあれわたくしの居場所

                           土肥あき子

語は「数へ日」。♪もういくつ寝るとお正月。これである。今年もあれやこれやといろいろなことがあり、押し詰まったら詰まったであれやこれやと忙しい。それらあれやこれやのなかには、もちろん不愉快なこともあるわけだし、来年に持ち越さざるを得ない面倒なこともある。が、そんな「わたくし」にも「ともあれ」いまの「居場所」だけはある。もって瞑すべきではないのか。「わたし」ではなく「わたくし」とあらたまった表現に、作者の謙虚な姿勢がうかがわれる。そうなのだ。ともかくも自分の居場所があるということは、それだけで幸福と言うべきなのだ。句の「居場所」は家という意味か、あるいは家の中での自分の部屋の意なのか、それとももっと精神的な意味があるのか。それは受け取る読者にまかされている。年の暮れではなかったが、私には数ヵ月ほど物理的な意味での居場所がなかった時期があるので、過剰に掲句は心に響くのかもしれない。若かったから日銭を稼げたのはよいとして、毎夜帰るべき部屋がなかった。いかな呑気な性格でも、あの暮しは相当にコタえた。最初は友人宅に世話になっていたけれど、それにも限界がある。以後は山手線界隈の曖昧宿を転々とし、原稿はほとんど喫茶店や飲屋で書いていた。その日暮らしの金はあっても、アパートを借りるだけのまとまったものがなかったからである。幸い奇特な出版社に拾われて危機は脱したものの、いまだに夢に見る。「東京新聞」「中日新聞」(2003年12月27日付夕刊)所載。(清水哲男)


December 28122003

 電線の密にこの空年の暮

                           田中裕明

年も暮れてゆく。ぼんやりとでもそんな感慨を持つとき、私たちはたいてい空を見上げる。どうして空を見るのだろう。こういうときに、俯いて地べたを見る人はあまりいないのではなかろうか。不思議といえば不思議な習性だ。誰に教わったわけでもないと思うのだが、といって生得の気質からでもなさそうで、やはり知らぬうちに摺り込まれた後天的な何かからなのだろう。我が家の近所にも、電柱と電線が多い。普段でも、カラスがとまって鳴いていたりすると見上げることはしばしばだ。でも、そんなときには「電線の密」には気がつかない。というか、気にならない。おそらく、作者も同じような気持ちなのだろう。「年の暮」の感慨を持ったときに、はじめてのように見えたというわけだ。ああ、こんなにも電線が混みあっていたのか……。そこであらためて、まじまじと見てしまう。句の世界を敷衍して言えば、私たちが何かを見るというときには、自分の心持ちによって、見えるものと見えないものとがあるということになる。正確には、見えていても気がつかない物もあるのである。むろん、事は電線には限らない。今日あたり、日頃は気にも止めていない何かを、まじまじと眺める人も多いだろう。年末も年始も、物理的には昨日に変わらぬ今日の連続でしかない。が、年を区切るという人間の文化は、このように物の見方を変えてしまう力も持つ。面白いものである。『先生から手紙』(2002)所収。(清水哲男)




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