東京や神奈川などで初雪を観測。ラジオ気象情報に窓を開けてみたら、うっすらと…。




2003ソスN12ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 27122003

 闘牛士の如くに煤を払ひけり

                           波多野爽波

語は「煤払(すすはらい)」。いまは神社仏閣などの年中行事は別にして、一般には年末の大掃除の意味で使われる。今日あたり、そんな家庭も多いことだろう。句の眼目はむろん「闘牛士の如く」にあるわけだが、いったいどんな格好でどんなふうに掃除をしたのだろうか。まさかマントを颯爽と翻してなんてことはあるまいから、「闘牛士の如く」はあくまでも作者の主観に属するイメージだ。周辺の誰が見ても、闘牛士には見えるはずもない。強いて感じることがあるとすれば、常になく張り切って掃除に励む作者の姿くらいなものである。だが、そんなことは百も承知で、イケシャアシャアと闘牛士を持ちだしたところに、爽波のサービス精神躍如たるものがある。本人だって、具体的なイメージがあるのではない。なんとなく闘牛士みたいだなと思いつつ、機嫌よく掃除ができたのである。で、その突拍子もない気分をそのまま書いて、あとのことは読者にいわば託したというわけだ。どんなふうにでもご自由に想像してくださいな、と。そしてここで重要なのは、作者が自分の滑稽な世界を提出するに際して、ニコリともしていないところだ。「払ひけり」と、むしろ生真面目な顔つきである。この顔つきがあって、はじめて滑稽さが伝わるのだと、ちゃんと作者は心得ている。三流のお笑い芸人がしらけるのは、彼らは滑稽なネタを笑いながら披露するからだ。自分の話に自分で笑うようでは、世話はない。サービス精神の何たるかを履き違えているのである。『一筆』(1990)所収。(清水哲男)


December 26122003

 冬木立日のあるうちに別れけり

                           清水基吉

の句を読んで、すぐに師走の句だと感じた人は鋭い。というか、人情の機微によく通じている。実際にも十二月に詠まれているのだが、冬は冬でも押し詰まった時期の冬には、独特の人事的な意識が働く。つまり、自分はともかくとして、相手はみななにやかやと忙しいだろうと推測する意識だ。句の相手に対する作者の気持ちも同様で、わざわざ「日のあるうちに」とことわったのは、他の季節ならそんな時間には別れない人であることを示している。飲み友だちのような、気の置けない間柄なのだ。それがせっかく会ったのに、明るいうちに別れた。お互いに相手の多忙をおもんぱかり「ちょっと一杯」など言わないで、いや言えないで別れてしまった。ところがこのときに、おそらく作者には時間がたっぷりあったのだと思う。相手にだって、あったのかもしれない。別れてしまったあとで、やはり誘ってみるべきだったかなどと、ちょっとうじうじとした気分なのである。この気分が、すっかり葉を落した「冬木立」の淋しい風景に通じていく。さて、これから余った時間をどうしようか……。ところで、多くのサラリーマンは今日で仕事納めだ。だいたいの人が、それこそ日のあるうちに退社できるのだろう。私が勤め人だったころは独身のこともあって、明るいうちに同僚と別れるのはなんとなくイヤだった。帰宅しても、何もすることはない。かといって、忙しそうに見える人を誘うわけにもいかないし、結局はひとり淋しく映画でも見たのだったろうか。『離庵』(2001)所収。(清水哲男)


December 25122003

 賀状書く痴呆かなしき友ひとり

                           細見しゆこう

状を書いているうちに、風の便りに痴呆が進んでいる友人宛のところで手が止まった。彼に、この年賀状が読めるのだろうか。読めたとはしても、差出人が誰かを理解できるのか。あんなに元気だった奴が何故……と、信じられない思いで暗く悲しい気持ちに沈みこむ。だが、やはり作者は例年のように彼に元気よく書いただろう。そう思いたい。たとえわからなくたって、それでよい。それが友情というものではないか。幸い、私には痴呆の友はいない(はずだ)。ただ、毎年のようにポツリポツリと亡くなる友人がいる。今年も、同級生ひとりと若い友人ひとりを失った。パソコンに入れた名簿を見ながら順番に書いてきて、亡くなった人の名前のところで筆が止まる。出そうか出すまいかの話ではなく、もう出してはいけないのだから、暗澹とする。そして元気だったころの姿を思い出すのだが、妙なもので、こういうときに浮かんでくるのは何故か些細なイメージばかりだ。よく赤いセーターを着ていたなとか、そういうことである。もう一つ、焦点が結ばない。そして最も辛いのは、もはや不要となった彼のアドレスを名簿から消去するときだ。パソコンでの操作だから、一瞬で消えてしまう。が、その操作には逡巡が伴ってなかなか踏ん切れない。あらためて電話番号などまで読み直して、それから思い切って消去ボタンを押す。そうすれば、見事に消えてなくなる。しかし、なんだかそのまま通りすぎるのも忍びなくて、また消去作業の取り消しボタンを押してみたりする。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)




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